本多勝一事件顛末詳細

 仕事としてのスジは通した。あとはケンカだ。

 毎日新聞の水曜日の夕刊に連載している「大月隆寛の無茶修行」でのインタヴュー原稿をめぐって本多勝一氏との間で起こったいざこざについて、“こちら側”から見た経緯をまず述べる。他人のケンカのいきさつをくどくど並べられても面白くないぞ、とお叱りを受けるかも知れないが、しかし、重要な問題だと思うのでここは伏してお願いする。ひとつ辛抱して読んでみていただきたい。その後で、本多氏に「名誉の著しい侵害」「そのまま掲載すれば訴訟する」とまで言われたもとの原稿、およびこのような経緯の後に手直しされた掲載原稿も併せてご紹介するので、それにもぜひ、眼を通していただきたい。

  • 八月九日(月)毎日の担当記者が本多勝一氏宅へ電話し、企画について説明、インタヴューを申し込む。その際、企画の性格を説明。インタヴューの場合でも、表題のように多少無茶で挑戦的な質問をすることもあり得ることを説明する。と同時に、それまでのインタヴュー記事の中から栗本慎一郎氏の登場した回のコピーなどをFAX送信する。
  • 九月一日(水)午後二時から毎日本社四階主筆室で約一時間半のインタヴュー。担当記者とデスクが同席。当初、写真部記者が撮影のために同席したが、撮影後すぐに退席した。写真撮影は事前に了解をとっていたので、氏は変装して撮影に応じる。インタヴューそのものはなごやかな雰囲気で、その場での問題は特になかった。テープは毎日と大月がそれぞれ録音。
  • 六日(月)午後、担当記者がゲラを本多氏宛にFAX送信。「八日夕刊掲載予定なので、直しがあれば七日午後までにいただきたい」との伝言を付記。夜九時頃、本多氏より電話があり、掲載を中止して欲しい旨の要請あり。その際の本多氏の主張の要点は、直しをして欲しい、とのことだが、事実の改竄があるので部分的手直しだけでは不可能である、脈絡をきちんとするためには、相手の話も含め全面的に直す必要があるが、それは時間的に不可能である、大月のコメントを読むと、要するに少数派は消えゆく運命だというからかいのためにやっている原稿で、そんな企画につきあうつもりはない、従って、原稿はボツにして欲しい、あるいは掲載を延期して検討させて欲しい、というもの。

 これに対して担当記者は、問答の内容、流れについては概ね誤りはないと確信するが、直しについては極力協力する、大月の発言やコメント部分は大月と協議なしに直すわけにいかない、などの説明をし、八日夕刊掲載の理解を求めるが平行線に終わる。

 その後、大月に連絡が入り、善後策を協議。内容的にも仕事の流れとしても何も問題はないと確信するので、翌日さらに本多氏と協議することを確認する。

  • 七日(火)早朝、本多氏より担当記者宛に「本日中に直接会って話したい」旨のFAXが入る。午前九時過ぎ、出社した担当記者が何度も本多氏宅に連絡を入れる。

 昼過ぎ、本多氏より毎日に電話。会う場所として、自宅近くの成城学園駅前の喫茶店「青柳」を指定される。その際、「インタヴューのテープを持ってきて欲しい」との要請あり。テープ録音していなかったため聞きたいという。事後、担当記者から大月にも連絡が入るが、仕事で出先にいたので残念ながら午後には同席できないことを伝える。

 午後二時過ぎ、喫茶店「青柳」にて担当記者が本多氏と会い、一時間あまり話し合う。冒頭、本多氏が何の了解もなくいきなりテープ録音しようとするので、了解を求めない理由をただすと、形式的に了解を求めた上で「あなたがたとの信頼関係がないので」と説明する。そこでの本多氏の主張は、からかいの企画には協力できない、私の家族及び『週刊金曜日』編集部にゲラを見せたら、これはひどい、からかいだ、と言っていた、部分的な直しではすまないし、自分は近く出張の予定もあるのでその時間もない、従って、ボツにするか延期して欲しい、というもの。これに対して担当記者は、からかいと受け取られるのは心外である、おかしいという部分には具体的に直しを入れて欲しい、八日夕刊掲載に協力して欲しい、と申し入れる。これに対して本多氏は妥協の余地見せず。担当記者が、主張は持ち帰って検討するが、こちらとしては何の問題もないと思っているのでこのまま掲載するという選択肢も含めて検討したい、と言うと、「その場合は訴訟します」との返答。

 なおこの際、本多氏は個々の個所についての不満も指摘。 『週刊金曜日』出版のいきさつについての説明が不充分、大月が『週刊金曜日』的なスタンスについて聞いたことに対する答えがかみ合っていない、正義が複数ある、という議論が納得いかない、またそれを「横丁の正義」と呼ぶ大月もおかしい、記録するということについてこんなに簡単に片づけられてはかなわない、「都会に現場がない」という風には自分は発言しておらず、「汚職などの現場はあるが見えにくい」と言ったはずだ、最後のコメントがひどい、本多は少数派でいずれ消えゆく運命だと言っている、また「感じる人だけに訴える」と言うが、そんなことは自分だって大月だって同じだ、といったもの。これに対して担当記者は、それぞれの点については基本的に直しとして対応可能だと思うので掲載に協力して欲しい旨要請するが、「部分的直しでは不充分で、相手の発言を含めて全部を直さねばならない」と言うのみ。ひとまずそのまま別れる。

 夜、大月も含めて対応を協議。本多氏の納得が得られない事情を考慮し、八日はとりあえず企画全体を休載することを決定する。

  • 八日(水)午前、担当記者が本多氏宅にFAX送信。本日八日夕刊の掲載をひとまず延期したこと、こちらとしては直しをしてもらって次回の二二日夕刊(一五日は祝日のためもともと休載予定だった)に掲載したい旨を伝える。
  • 一〇日(金)夜、本多氏への電話がつながる。二二日夕刊掲載の希望を伝え協力要請するが、本多氏はこれまでの主張を繰り返すのみで平行線。長編小説を俳句にするのは無理だ、対談の全文を連載とかで掲載するのならともかく、あのままではダメだ、ボツを要求する、とのこと。
  • 一八日(土)二二日夕刊掲載のために、こちらの判断で、七日の話し合いで本多氏が指摘した具体的な不満個所について、極力対応した直し原稿を作り、本多氏にこれで掲載を了解してもらいたい旨添えてFAX送信。
  • 二〇日(月)夜九時前、本多氏よりFAX。「ダメです。ボツにして下さい」との内容。また、大月に電話連絡して欲しい旨の伝言もあったので、担当記者が大月に連絡。あいにくテレビの仕事があるので身体があくのが深夜になるが、その時間でも迷惑でなければ連絡するし、また明日でも本多氏の都合のいい時間に連絡する、と大月から担当記者経由で返事するが、本多氏は「もう疲れたから寝る、明日からは北海道に出張する」との返答だった由。さしつかえなければ出先にでも連絡する、とも担当記者は言うが、その必要はない、とのこと。
  • 二一日(火)午前、最終的に二二日夕刊掲載で問題なしとの判断を現場で確認。

 午後、編集局長と担当記者宛の本多氏の「通告書」が代理人の弁護士よりFAXで届く。この原稿は「通告人の真意を性格に反映していないばかりか、通告人の反論すら保障されていないもので、かかる記事の掲載は通告人の名誉を著しく侵害するもの」という内容。

 夕方、一転、担当記者より「上の判断で掲載中止になった」との連絡が大月に入る。顧問弁護士との関係がからんでいるらしいとの話もあったが、毎日の社内事情なので未確認。緊急に編集局長と話をしたい旨、担当記者を通じて要請し、夜九時以降ならば可能との返事を得る。

 夜、大月、毎日にて編集局長と話し合い。学芸部長、デスク、担当記者が同席。大月、現場ともども何も問題ないことを確信しているので掲載中止でなく延期の方向で上層部のコンセンサスをとる努力をして欲しい旨要請。基本的に了解を得る。同時に、学芸部長の名前で本多氏側に質問を「要請書」として出すことにし、代理人の弁護士宛FAX送信する。質問の要点は、「真意を反映していない」のはどの部分か、また「真意」とは何か、反論を書けば掲載すると伝えているのに「反論が保障されていない」と言うのは事実に反するのではないか、「名誉の侵害」とはどの部分か、言論の自由は批判の自由を含むはずだが、これが許容される批判でなく「名誉の侵害」である理由は何か、というもの。同時に、あくまで二九日夕刊掲載を考えていることも明言する。

  • 二二日(水)再度掲載延期。昼過ぎ、大月の留守電に本多氏より連絡を取りたい旨の伝言が入る。大月個人に連絡が入ったのはこれが初めて。出先より大月が電話を入れると、私はことを荒だてたくないし面倒なことも嫌いだ、君は話のわかる人間だと思っている、二人だけで会いたい、君との話がつけば毎日との問題も解決する、とのこと。こういう経緯なので二人きりでは会いにくい、毎日の人間が同席するならば、と答える。また、『週刊金曜日』に原稿を書いて欲しい、とも言う。先のインタヴューの中で君の触れた話題のうち、最近の若い世代がいわゆるルポライターに魅力を感じなくなっていること、むしろスポーツライター志望者が多いことなど、いくつかに関心を持った、だからそれらのことについて書いてくれないか、とのこと。今こういう事態で仕事のことを言われても困る、今回の件がかたづいてから改めて考えさせて欲しい、と答える。

 夜、毎日と連絡をとり日程調整の結果、二四日の午後、毎日で会うことになりその旨、本多氏に連絡。基本的に合意に達する。その際、本多氏は、毎日の人間が同席するなら弁護士を同席させる、と言うが、その後また電話が入り「ジャーナリストの常識の範囲で話をしたいのでやはり私一人で行く」由。七日午後の成城の喫茶店における担当記者とのやりとりを録音したテープについても、ダビングしたいので当日持ってきて欲しい旨要請し、本多氏は了解。

 先の「要請書」に対する「回答書」が、FAXで送られてくる。質問 については、「どの部分」ではなく「全体の要約の仕方」「選び方」が問題である、質問 については、「反論」とは同じ紙面での反論ということである、質問 については、ジャーナリストであれば説明する要もない、という内容のもの。また、撮影した写真についても、無断で使わぬこと、という一項も新たに加えられていた。ただし、前回の「通告書」は弁護士と思われる「当職」という主体で書かれていたのに対し、今回の「回答書」は「私」という本多氏が主体の文章になっていた。

  • 二四日(金)午後二時、毎日で話し合い。本多氏はあらかじめ準備したB5版六枚分のレジュメ様の書類を配り、それまでとは一転、掲載を前提とした提案をする。くわしい説明が必要な個所の直しをする、大月のコメントと同量のコメントを載せる、対談の全文を適当な雑誌に掲載する、の三条件を提示し、氏の希望として、A.だけにして新聞はボツにする、B.全てボツにする、C.右の三点を満足させる、というオプションを示す。

 提示された条件のうち、 についてはこちらが当初より要請していた点であり、その他の点についても、まず掲載することがこちらの目的であることから前向きに話し合いをする。 も組み方を変えるなどしてスペースを確保することにし、 についても、ひとまず社内の『エコノミスト』編集部に打診し、検討するとの返事をその場でもらったこと、などから一応の合意に達し、二九日夕刊掲載へ向けてお互いに作業を進めることをひとまず確認。話し合いの途中で、毎日に対してでなく大月個人との訴訟にしてもらっても一向に構わない旨、大月が明言すると、本多氏は「そんなことできるわけないだろう」と言う。

 また、同席したデスクに対して「君は何年新聞記者をやっているのか」「経歴を言いたまえ」などの、極めて権威主義的な発言もあった。この間のやりとりは毎日、大月、本多氏それぞれがテープに録音。なお、要請してあった七日午後の録音テープについては、その他“こちら側”との電話でのやりとりも含めた録音をダビングしたテープを本多氏より受け取った。

  • 二七日(月)昼前、本多氏より直しを入れたゲラが入る。ただし、直しの分量が非常識に多過ぎること、当初の取材目的のひとつだった『週刊金曜日』についての氏の発言部分が「私は編集長ではなく編集委員の一人に過ぎないので責任ある答えを出せない」といった理由で全面的に削除されていること、 大月の発言まで勝手に削ってあること、などをめぐって何回かやりとりをする。分量については組み方を変えるなどして対応できるギリギリの線を出し、その範囲内で収めてくれるよう要請する。

 『エコノミスト』編集部からインタヴュー原稿の掲載は無理との返事がある。本多氏にその旨伝え、この点については引き続き協議することになる。

  • 二九日(水)ようやく夕刊にて掲載。懸案の前述の条件について本多氏は、「私はいそがしいし、めんどくさくなってきた。大月氏がどうしてもと言うなら考えてもいい」と棚上げする姿勢を見せる。また、二二日にFAXで送られてきた「回答書」の末尾には「正式な書面は別途、郵送します」と書いてあったが、一〇月三一日現在、未だに郵送されてきていない。『週刊金曜日』からの原稿依頼の件についても、その後何の連絡もない。

 さて、いかがだろうか。ここで“こちら側”は仕事の手続きとしても、そして当初の原稿の内容としても、いきなり「訴訟する」とまで言われるような不誠実なことをしていたと思われるだろうか。

 経緯から見る限り、要するにテキは当初の原稿のゲラを見て、前後のコメントがシャクにさわった、それだけだ。しかし、自ら掲げてきたご大層な“ジャーナリスト”の大看板の手前、そうは言えない。だから、「真意を反映していない」「名誉の侵害である」と弁護士経由の内容証明でハッタリかまして黙らせようとした。テレ朝の「偏向」報道の一件で、いきなり証人喚問しようとした自民党以下の政治家たちの発想とどこが違うってんだ。

 きっと、これまでもこういう手口でずっとやってきたってことなんだろう。で、こういう手口でたいていの「組織」は黙っちまうことになってたんだろう。事実、今回の毎日新聞にしたところで、現場はともかく「上の方」としては一旦黙っちまうことに決めてたんだし。それくらい、「ああ、もうそんなめんどくさい奴にからまれて、裁判だ何だとめんどくさいことになるくらいなら、大した要求でもないんだからいっそ言う通りにしちまえ」という“気分”は大きいものらしいし。実際、個人としてその気持ちはよくわかる。まして、その相手が本多勝一となればなおさらだ。その「めんどくさいなぁ」という“気分”を発動させる手口が大文字の「良識」や「正義」の名の下にひとり歩きして、「組織」はまだ何も起こっていないできごとについてまで先回りして慮ってしまう。そして、その“気分”の政治こそが、「言葉狩り」を最も根っこの部分で支えている。

 でも、何か起こるとすぐに職員室に駆け込む奴など、仲間うちの鼻つまみと昔から相場が決まってる。そうか、おもしれぇ、駆け込むなら駆け込め、とことん受けて立ってやる――おのれの立場に確信がある限り、そういう手合いに対してとるべき基本的態度というのはまずこれだ。まして、“ジャーナリスト”と言い、メディアの場で言葉をつむいで世渡りする立場ならできる限り自前できっちり受けて立つ、それこそがスジのはずだし、何より、そういう「口舌の徒」が世間に信頼されるための最低限の身の処し方だと思う。


【追記】

 その後の経緯を少し。

 十月半ば、ある雑誌が「本多勝一さんともう一度対談するつもりはありませんか」と打診してきたので、先方が出てくるならこちらは喜んで応じます、と答えた。その編集部は『週刊金曜日』経由で打診してみたらしいが、何度連絡してものらりくらりの対応でラチがあかず、結局、月が変わっても本多氏本人とは一向に連絡がとれないままで、業を煮やしている由。