「おたく」と新保守主義の関係について

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● 若い世代が新保守主義へ傾いてる、なんて最近言われているよね。言論という限られたステージにせよ、メディア市場のプロデュースともあいまって佐藤健志福田和也といった固有名詞も出現し始めて、その「若い世代」の言論のありようとからめて語られることも出てきた。で、その場合の「若い世代」というのは、うっかり聞いてるとまさに我々のことだったりするんだけど(笑)。いわゆる新保守主義的言説になじむ感覚というのは個人的経験としてもわかるんだけど、ただ、今そういう文脈で記号としての「新保守主義」に分類され回収されることについては、僕自身「おいおい、ちょっと待たんかい」というところがある。くくられるのはある程度仕方ないにしても、その前にこっちでやっとかなきゃいけない作業ってのはまだいくつもあってさ。たとえば、八〇年代、新保守主義的な思想の流れが出てきた時期と、いわゆる「おたくカルチュア」が輪郭を整えてきた時期が重なっていることの意味なんか、もう少しゆっくり考えてほどいておく必要があると思うんだよ。そこで今日はひとつ、「おたく」世代はなぜ新保守主義的言説に親近感を持つのか、というあたりの話をしてみたいんだけど。

○ 私自身もある意味では、広い意味での「おたく」と新保守が結びつくあたりで仕事をしている人間のひとりと見てもらって構わないと思っているけどね。

● それは、積極的に構わないと思っているわけ?

○ 構わない。ある意味ではそのスタンスというのを自分も標榜していたい。だから、よけいに佐藤氏や福田氏との違いも意識しているわけだ。

 この場合の新保守というのはね、要するにイデオロギー終焉後の「後」という認識をあくまで前提とする、そのイデオロギー終焉を肯定するということだな。ここでイデオロギーというのはご存じの通り、いわゆる進歩的知識人が奉じてきた全てのもの、マルクス主義を中心とした戦後進歩思想と言われるものです。そうしたイデオロギーが我々がものごころついた時にはもう実効的な意味というか、少なくともリアリティは全く失っていた。そこをひとつの共通了解というか、前提とするということ。この点では、いわゆる新保守と呼ばれる動きと私はほぼシンクロする。

 で、なぜそれが「おたく」と通じるかということなんだけど、これは偶然ではない。ひとことで言えばニヒリズムということに同じ根があるわけだ。要するに、あらゆる思想というのは何か「価値」を信じるから思想なわけなんだけれど、そういう「価値」を信じない現実主義。「現実主義」と「現実肯定」。これが昨今の「新保守」と呼ばれるものの正体と考えられる。つまり、価値に対するニヒリズムだ。それと同時に、価値を奉じるということは、ひとつの価値をもとにした文化体系を戴いて生きることなんだけども、価値に対するニヒリズムというのは当然、この文化体系に対するヒニヒリズムへ展開してゆくわけで、そうなると文化は体系を失って解体しちゃう。では、解体しちゃった後、文化と関係のない非常に実務的な生活が残るのかというと、そういうわけでもない。この情報消費社会にあっては、あくまでも文化的な生き方から逃れられるわけない。だから、そこで必然的に、断片的な文化そのものをひたすら玩弄するということになる。そんなわけで、新保守主義と「おたく」っていうのは、全く根はひとつなんですよ。

● まぁ、「おたく」ってくくりが乱暴なように、「新保守」ってくくりも今やかなり乱暴だ、っていう状況もあるよね。

○ いまの私の話は乱暴なくくり方を前提とした上で、その「幅」とか「ぶれ」を全部フォローする形でいちばん大雑把なとらえ方を示したわけだけどね。

● たとえば、佐高信さんに対する風当たりが強くなっている状況があるでしょ。口火を切ったのは『宝島30』のオバタカズユキのインタヴューだったと思うけど、僕はあのインタヴューは誠実なものだし、佐高さんも向い合おうとしててそれなりに意味があったと評価してるんだよ。でも、それ以降出てきたいくつかの文章を読むとかなり尻馬に乗った、かつてのタームで言うと単なる「反動」じゃねぇか、っていうのもあってね。で、それがまた団塊の世代以上の、未だイデオロギー・センタードの意識から見ると「なんだ、若ぇモンはみんなアカ叩きに走るのか」「全部保守化、右傾化してファシズムじゃねぇか」みたいな図式での理解に簡単につながっちゃう。なんかそういうのはもうどっちにせよ不幸なんでさ。

 あなたが今いみじくも言ったような、既成の「価値」が現実とそぐわないものになった時期に社会化した世代、という意識は俺も全く共有してるんだけど、ただ、そこから先の作業として、そのイデオロギー・センタードの意識の中に未だうずくまってる連中とどう向い合うのか、ってのがそろそろ眼前の大きな課題だと思うんだよ。現にそういう意識の領域は相対的にどんどん縮小していってて、縮小している分どんどん閉じてもいる。で、その内側ではかなりヤバい煮詰まり方もすでにいっぱいありそうでさ。例の毎日新聞での本多勝一との一件なんて、まさにそこらへんの抱えこんだヤバさがデローッとはみ出してきた問題でもあるわけさ。こっちにすりゃ、とうとう正体現わしやがったなぁ、って感じだったんだけど。この先、いくら嫌がったところで、そういう煮詰まり具合と直面してしまう局面はどんどん増えてゆくんだろうって気は、まぁ、半ばあきらめみたいなものも含めてするわけさ。世代的なめぐり合わせみたいなもんだよ。もちろん、そんなもんいちいち背負い込めるわけないんだけど、でも、「今、敢えてそれをやろうとしなきゃ、汲み取れるかも知れないものも汲み取れないままだぞ」みたいな危機意識はあるんだよ。

 さっきの“佐高バッシング”の例で言えば、最初の『宝島30』の志っていうのは認めるし、理解できるんだけど、その後の流れがそこからあっという間にズレてって、非常に粗雑な「叩き」にしかならない。本当はこっちがその粗雑な「叩き」へ向かう流れの中で踏ん張って、その間の腑分けや交通整理もちゃんとしなきゃいけないんだけど、いかんせん今のところ力不足で現実にはなかなか難しい。だから、ひとくくりに「新保守主義」なんてもの言いがひとり歩きしてしまうんだろうけどさ。

○ 少し整理させてもらうとだね、まずかつてのイデオロギー陣営が非常に縮小しちゃって生き延びている。生き延びて断末魔だからよけいに悲惨な状況になっている。それ自身は扱うに値しないんだけど、そのまま放っておくんだったらそのままになっちゃうという認識がある。それは理解できるんだけど、私はその後の対応の姿勢はあなたと異なってくる。まぁ、縮小していく旧来のイデオロギーに対してまず興味が持てないわけですわ。興味もないし、放っておけば自滅するものだと思う。と言って、それを促進する気もない。でも、今の新保守主義の現状に対して全面肯定というわけではないよ。旧来のイデオロギー・センタードの意識が没落した後に、残る茫漠たる新保守主義の現実主義と「おたく」な文化の断片化の現実を見据え、その前提の上に新しい価値(イデオロギー)と体系を組み立てあげる。私はそっちの立場なんだよね。

● いや、その立場には俺も基本的に同調するわけさ。でも、その縮小して閉じたイデオロギー陣営のブラックホールにも敢えて関わって、引き出せるものがあれば何か引き出そう、という気はないわけ?

○ 全くない。左翼や近代主義といったものに見直すものが全くないとは思わない。でも、それを再評価するなら源泉を汲むべきだ。つまり、どうせだったら福沢諭吉丸山真男を読みなさい、ってことだよ。あとの尻馬に乗ってお題目を重ねてきた人々にはとりあえず興味が持てない。

● 確かに放っておいても滅びるものであるかも知れないし、個人的にはそういう流れは止められないだろうとも思うんだど、でもさ、滅びる時のスジってのもあるよね。ただ放っておいたまま滅びさせていいのか、って気はする。

○ それを言うのなら、ある程度でいいから、たとえばこういうのは救わなければいけないんじゃないか、とか、こういうものはほどいて救出しなければいけないんじゃないか、とかを示すべきだよ! 少なくとも私には何も見えない。だから、あなたがブラックホールの中で滅びていっちゃうにはためらいを持っているものってのは何なのか、っていうのこそが、こちらの方で知りたい。

● いや、むしろ逆なのさ。そりゃ確信があるわけじゃないけど、先行する世代から何を救出できるかできないかを知るためにこそ放っておけない、ってところなんだよ。

○ たとえば私は、近代主義とか戦後民主主義にそれなりに関心と好感を抱いたことはあります。関心と好感の対象というのは、私の場合はリベラリズムなんだな。個人というのもを日本の陰湿な共同体の抑圧から救うという思想なり方法が、その中に明らかに見えた。それについてはかつて魅せられたこともあったし、いまでも基本的にはそのスタンスは変わっていない。これは日本の左翼とか近代主義というのが、一般の大衆のレベルではひとつの個人主義のへの憧れとして受容されたと私は見ているところがあって、それは現実のレベルでは左翼勢力によってではなくて、日本の高度成長によって実現されたわけです。でも、その高度成長を支える大衆の欲望の中には、左翼思想が吹き込んだ個人主義、消費主義があった。で、そっちの方は少なくとも一段落した。達成できた。

● つまり、個人主義、消費主義に代表される日常的なレベルでの欲望の解放は一応の達成を見た、と。

○ そう。それで目の前にぶら下がっていた架空の、言わばろう細工のにんじんである左翼思想は捨てられたわけだ。で、捨てられても、そのにんじん作りにいそしんでいた人たちが生き残っているわけで、彼らがブラックホール化している。とりあえず私は、そのろう細工のにんじんに今は価値は認めないわけだ。認めないと言うより、そこにおもしろいものがあるとは思えないわけ。

● よし、ならば今のその比喩に乗って言うけどさ、そのろう細工のにんじんを作ってきた経験とか技術のありようとか、それを支えた関係性みたいなものも含めた現実には、当然歴史がまつわっているわけで、そのろう細工自体が今、いかに役に立たないくだらないものになっていても、この国の思想とか言論ってのがそういうろう細工を作る経験とか技術の歴史の上に成り立ってきた経緯は否定できないじゃない。だから、そこはやっぱり放っておいたまま滅びるに任せていいものじゃない、と俺は思ってるわけさ。それは、言わば知の財産目録として、ある程度引用可能なように整備して未来に役立てる責任をこっちが気づいてしまってる以上、めんどくさいけど引き受けなきゃしょうがねぇや、って気がする。そういう関わり方ってもちろん膨大に葛藤も軋轢も生むんだけど、我々が腰上げないと後の世代はなおのことやらないだろう。でも、それについてはあなたは投げちゃう、と。

○ 投げちゃうという以前に興味がない。それはあなたの個人的な興味としか思えないよ。戦後思想「おたく」と言うか……。

● うーん、そういうくくり方するならそりゃ甘んじて受けるけどね。

○ つまり、結局はスコラ哲学だと思うわけです。たとえば、中ソを中心とする東側勢力というのは、神学を中心としてあとの細かい辻褄合わせというのをさんざんしてきたスコラ哲学でしょう。スコラ哲学も知の経験なんじゃないかと言われれば、私はそこまで否定する気はないけどね。人間には絶えずそういう愚行を続ける側面ってあるものだし。そういう思想史的関心というか、人間の知の動きのひとつの様相を研究する、そういう意味はもちろんあると思うけれど、私はそれをやるアカデミシャンではない。少なくともいま眼の前にこれから起こってくる事態に対して、一群の人たちが私に言葉を求めた時に私が応じてゆくという思想者の仕事から見ると、ろう細工作りの経験が使えるとはまず思えない。そういう思想史の検証といった作業に意味がないとは言わないけれど、とりあえず私の現場から遠いわけです。

 もっといろいろ細かいところをつっつけば、神学の解体過程――大衆というものを「善」としてたんだけれど、「善」じゃないということがわかってゆくという過程でなされた知のさまざまな経験、たとえば吉本隆明の軌跡とかさまざまな形での現場主義もそうだろうけど、そういうものがある程度意味を持つというのはわかる。でも、少なくとも大きな図式っていうのはもう見えちゃってる気がするし。

● 見えててもその図式の中でやるべき仕事ってのもあっちまうから、世の中難儀なんだけどさ。

 まぁ、話を少し戻すと、この春、呉智英さんと「考えたら本当に状況が変わりましたね」って話をしたんだよ。たとえば、彼が『封建主義、その論理と情熱』なんて本を出した頃は、まだ「封建主義」という言葉に当たり前にまつわっていた違和感があって、それを当て込んであんなタイトルをつけたわけだけど、でも現実にはほとんど“色もの”としてしか扱われなかったわけでしょ。でも今は、あなたもよく知っているように『サルの正義』が二ヵ月でそれこそ四万部売れるし、『バカにつける薬』だって数年かけて一〇万部近く売れてる。しかも確実に読まれている。「それってやっぱり時代が変わったって思うでしょ」って聞いたら「それはもう」って呉さん笑ってたけど。

 でも、わずか一〇年ちょっとだよ。一〇年前は二〇歳そこそこだったような我々の世代――ある意味で「おたく」が一番「おたく」であり得たような、その分きっちりトンがれた世代だと思うけど、その我々がかつて遭遇したそういう脱イデオロギー的な相対主義、あるいは現在の新保守主義につながっているような知のありようというのは、当時やっぱり新鮮だったし光り輝いてもいた。でも、今言われる新保守主義的言説には、もうそんな新鮮さはなくなってる。

○ 新保守の輝きなんてとっくに失せてますよ、そりゃ。だから、今どういう人がいるんだか詳しくは知らないけれど、新保守の人たちの著作を読む気は全然しない。新保守の世の中の捉え方は私にとっては了解済みの前提で、それ以上でも以下でもないんだ。私はそこから先に興味があるわけ。戦後長らく進歩思想というものが日本の知の良識の大前提であったからこそ、新保守主義も輝いていたわけでしょ、マイノリティとして。その戦後進歩思想が風化しちゃった以上、新保守主義の新鮮さもなくなっちゃったと私は思うから、新保守自体に格別の魅力は感じません。ただし、言っていることは大前提として正しい。それは事実なわけ。要するに現実主義は否定できないということ。

● あるいは、ある部分では穏健な常識主義。

○ そうそう。それだけでいいとは思わないけれど、それを踏まえなければ何もできない。その限度でなら、私は新保守の側に分類されても全然文句はない。先ほど明言したようにね。

● その限りにおいては、か。

○ そういうことです。そりゃ魅力はないよ、昨今の新保守主義なんか。明らかに行き詰まってるもの。新保守主義っていうのは、もとより「行き詰まる思想」なの(笑)。だって、思想の否定ですからね。何かの価値を持ち上げる他の「思想らしい思想」に対して、「そんなのは観念論じゃないか、空想じゃないか」と言うわけ。みんなが、思想とは即ち観念なんだ、と言うことを知らなくて、本当に「人権」というものはあるものだ、と実体化していた時代、あるいは「科学的」社会主義なんてものが信じられた時代にはいい薬になったんだけど、それをみんなが知ってしまったのなら、もう用済みというわけですわ。ただ、逆に言うと新保守主義は「伝統」とか「常識」の内容を体系的に説くことはできない。だから行き詰まって先はない。もし仮りに彼らが一言でも「常識とはこういうものです」と言ったら「あっ、観念論観念論」と逆襲すればいいわけですから。だから、西部邁さんなんかバカじゃないから「常識」や「伝統」の内容は決して言わない。言ってしまったら保守思想はそれで終わりだから。

 だから新保守主義の人たちも、たまに左翼的な発言や、湾岸戦争の時の平和宣言みたいなものが先祖返り的な形で出るとそういうモグラを一生懸命叩く、それ以上のことはもはやできなくなっている。だから、当然彼らも死んでいるわけです。そこまで両方とも衰弱しているということです。

● 「じゃあどうすりゃいいの」という具体的な問いかけに対してあまりに無力という意味では、確かに衰弱しているよね。先回りして言えば、それは別に「○○主義」の問題じゃなくてもっと構造的なもの、言わばその「○○主義」を成立させてきた仕掛けの問題という意味で、かなりメタレヴェルの問いにならざるを得ないと思うんだけど。

 ただ、少なくとも「若い世代」と言われる中で「新保守主義の論客」てな触れ込みで出てきた連中は、たとえば『諸君!』あたりでお座敷がかかってもあまり違和感なく書けちゃうみたいだよね。あのへんの屈託のなさっていうか、抵抗感のなさっていうのが同世代ながらよくわからない。そりゃ仕事なんだからいいんだけど、でもそれって、それこそ言葉が空中楼閣の中で閉じてゆく旧来の構造を温存する行為でしかない、ってのもあってさ。

○ 構造を温存する以前に、もうその構造それ自身が沈みかけた船なのに、まだ何かあると思っていることで、私は彼らに憐れみしか感じませんな。

● あるいは、「その程度であんたら満足してんの?」とか。

○ 彼らも自分たちが先端だとは思ってないんじゃないですか。佐藤健志あたりはアカデミシャンになろうと思っているだろうし、まぁそういう人たちだって気はする。

● だとすると、「あんたら、今どきそのアカデミーってのを信じる覚悟がどこまであるの?」って真剣に尋ねてみたい気はするけどね。

○ アカデミーは、本当のアカデミー専用の仕事というのがあるわけで、それをやる分には専門職として敬意を表しますわ。それはあなたにしても、「民俗学者大月隆寛」に対する期待でもあるわけだ。でも、それ以上にアカデミーというのが何か持つだろうかというと、それは難しいと思う。アカデミシャンという専門職であると同時にジェネラリスト、すなわち知識人として、普通の知識人以外の人間よりも一歩何かを知っているという啓蒙主義が通用した時代はもう終わったわけだから、むしろそういう余計なことは考えずに専門職に専念して欲しい。そうしたらその限りにおいて、その仕事に私は敬意を表します。

● そう言われても仕方ない状況はわかるけど、その「啓蒙」の可能性ってのももう少しうまく回復できないだろうか、っていうところもあるんだけどね。

 例の角川の一件ですごく嫌だなと思ったことがあってね。角川って昭和二〇年にできた出版社でしょ。モロ、戦後だよね。戦前からの岩波文化的なものを乗り越える、岩波的なもの以外の価値を作り上げなきゃ民主日本はあり得ないんだ、という志で角川源義が始めたわけじゃない。事実、それまでの知の権威や教養主義とは少し違う新しい「質」を求めていたわけだし、息子の春樹の方だって、最初は『ある愛の詩』の翻訳本で当てたわけでしょ。映画という〈それ以外〉=サブカルチュアが獲得していた「量」が活字の方に還流するのをみて、「こりゃすげぇ」と思ったはずなんだよね。それ以前、日本の映画なんて昭和三〇年あたりに動員数からいうと黄金時代を迎えてるんだけど、でもその頃の出版メディアはそんなこと考えもしないわけで、やっぱり〈エラい〉=メインカルチュアと〈それ以外〉=サブカルチュアの「棲み分け」がまだあった。それが六〇年代末あたりになると、さすがに双方出会い頭に接触せざるを得ないような状況になってきてたんだな、と改めて思ったんだけど。

 今でいうところのメディア・ミックスをやって、いろんな「量」を彼は〈それ以外〉の側から獲得した。岩波文化的な「思想」や「言論」を支える旧来の〈エラい〉を語る言語の構造の強固さなんて、まさに五五年体制どころじゃないわけよ。それが証拠に、八〇年代半ばこのかたもう根本的なガタがきているにも関わらず、未だにその土台まで崩れ切ってないもんだから、ここのところそういう構造の側からのテルミドールが起こってる。テレ朝の「偏向」問題でも筒井氏の「絶筆」問題でも、そこらへんで根っこは共通してるんだよ。で、今にして思えば、角川はそういう旧来の〈エラい〉の構造の側を「量」で包囲はしていったと思うし、ある程度の達成も獲得したと思う。なのに、やっぱり彼自身は〈エラい〉の側からの評価が欲しかったわけでしょ。それはやっぱり辛いよね。

 「量」を獲得したら、その「量」の中にも「質」は宿り得ると思う。そして、その「質」の中にまた、新たな「量」を獲得してゆくための技術も宿るはずだ。そういう往復運動を保証できることこそ、いい意味での商業主義だと俺は信じたいわけ。でも、角川文化ってものがあったとして、獲得した「量」の側から新たな「質」を立ち上げるそういう健康な往復運動に届かない何かを抱え込んでるところが見えちゃった。

 でも、獲得した「量」の中から新たな「質」を発見してゆくためには、どうしたって批評が必要なんだよ。批評を立ち上げるためには歴史に関わらなきゃいけない。で、歴史に関わるためにはやっぱり記録性の高い文字の装置、活字のメディアにどこか足つけた信心を持っていないとダメなわけだ。でも、それって実はパラドクスでさ。文字に足つければやはりどこかで旧来の〈エラい〉にひっぱたかれざるを得ないような瞬間が、必然的に訪れたりする。そのへんの宙吊りの中で角川はスピンアウトしちゃったな、と僕は感じてるんだけどね。ただ、だからと言って「ほら見ろ、『量』至上主義の儲け主義に走ったからだ」と嘲笑したり眉しかめて見せるというのは、今や断末魔でのたうち回ってようやく滅びかかっている「〈エラい〉の構造」の側からの、実にしょうもない逆襲だよ。

 何にせよ、そういう時期ではあるんだよ。その程度には過渡期ではあるんだろう。でも、一方の「量」の側も自前で「質」を発見できない。もうすでに新たな「質」はその「量」の中に存在しているのかも知れないけれども、それを自分たち以外に向かってかたちにして表現する手立てを持っていないし、その持っていないということについての意味や問題についてもよく自覚できていなかったりする。テレビなんかそうだと思うし、漫画や音楽だってかなりの程度そうだと思うよ。だって、〈それ以外〉の領域にロクに「論」が成り立たないじゃない。そこらへん、さっきの旧イデオロギー陣営の閉じたブラックホールと一緒で、めんどくさいけど敢えて文字の側から関わっていかないと、通時的な批評を可能にする前提としての歴史性の構築には向かわないような気がする。だから、本来の守備範囲じゃない領域についても俺は敢えて発言しようとしてる。まぁ、余計な責任意識だって言われればそれまでだけど、でも、あなたの場合、特に最近そういう発言は結構禁欲しているところがあるんじゃない?

○ 全く逆だよ。そういう発言しかしまいと私は思っている。

● あれ、むしろそうなんだ。

○ 私はアカデミシャンじゃないもの。はばかりながら思想者だもの。

● それはわかるけど、でもアカデミシャンであるかないかということは、そのような発言を禁欲するかしないかということとは別なんじゃないの?

○ 関係あるよ。あなたの場合、アカデミシャンだけどそういう想いがあるから発言もしている、ということでしょ。私はもともとそうした発言をするために生まれてきた人間だと思っているから。それが思 想 者。だから本格的にやんなきゃダメ。私が発言した時には山どころか地球が動く――わけは全くないんだけれど(笑)、少なくとも私としては手応えのある一群の人間が動く、そのためにやっているわけだ。

● 少なくとも、その想いはあるわけだ。

○ 私の想いとはそれだけですよ。だから、とりあえずある程度手応えがあると見込んだ時だけ、私は動いているんですよ。ほとんど仕事はしない。それは状況に相当に絶望しているからで、禁欲しているわけじゃない。無駄ダマをあまり射ちたくないだけですよ。

 でも、勘違いかも知れない、絶望の中に勘違いがあるかも知れない、と思って、ひょっとしたら、という思いでたまに仕事をする。その時には私なりに全力を上げている。でも、現実はうまくいっているかというと、そりゃいろいろありますわ。

● こういう機会だから敢えてからむんだけど、今のあなたの想いのかけ方みたいなものは、さっきあなたが「もう滅びるしかない」といった旧来のイデオロギーブラックホール化してゆく前提になっていたものだったりしないわけ?

○ わかんない。どういうこと?

● つまり、自分はそういう発言をするために生まれてきた、ってあなたは今言ったわけだけど、「そこまで肩に力入れなくてもいいのに」って茶茶入れたくなるのね、悪いけど(笑)。で、そういう肩に力の入り方した主体が言葉をつむぎ出そうとしてゆく時のある種の窮屈さ、あるいは、確かにそれは「力」ではあるんだけれどもその分宿ってしまう偏屈さ、そういうものは――まさにあなたがさっき否定して俺もほぼ全面的に認めたわけだけど――今やブラックホール化した閉じ方をしてしまった旧来のイデオロギーを支えて来た言語空間の、かつての姿だったという可能性はないの、ってこと。

○ それは可能性どころか、その通りでしょ。だから、福沢諭吉とか丸山真男を私は愛読しているんだよ。ただ、舞台が一周回ったからね。新しいラウンドを私は新しい走者として走ろうとしてるんだ。私の試みもいずれ風化する時が来るだろうけど、思想なんてそういたものだからね。とりあえず私は「今」が大事なんだ。

● でも、もうひとつからむと、偏屈に見える見え方としては変わらないかも知れない、というのもあるよね。

○ そりゃあ、わからない奴、取り違える奴はいつだっておりますよ。でも、現実に私の読者で、そう見ている奴は少ないんじゃない?

● これは自戒も込めて言うんだけど、同世代でそういう文字の知性に足つけざるを得ない育ち方をしちまった人間に会うと、どうしてこういう敵を作るような言葉しか自分の武器にして来れなかったんだろう、と思うことがすごくあってさ。

○ わかるわかる。そこに難しい問題があると思うけど、それは、欲望の充足・解放というところだったら彼らはいくらでも味方を作ってこれたはずでしょ。でも、彼らは知識人という戦前からの歴史を背負っちゃってるから、そこで、たとえばマルクス主義のストイシズムとか、それ以前の儒教的ストイシズムとかも背負っちゃってる。だから、欲望の解放ってことを大っぴらに言えなかった。多少は言ってる人もいたけどね。そう言った方が味方を作れたはずなんだけど。こういう時代にはストイシズムは敵しか作らないんですよ。

 だから、社会全体が貧しかったり、あるエートスを共有していたりする時には、ストイシズムで大衆が宗教的についてきたりした時代はあるけれど、そうじゃないからよけい孤立してゆく。そこはもっといろいろな例をあげて考えることもできるけれど、とにかく「味方を作る発想」ということね。味方を作るには、自分の中の何かを解き放ったり解体したりしなきゃなんないという発想。それがなかった。でも、それをやったら彼らは進歩的知識人ではなくなってしまっただろうね。ただの大衆芸術家か、あるいはただの新保守主義者になってただろう。それでもやるべきだった、と私は思うけど、やったらたぶん彼らは何十年か早く解体してた。それはやっぱり、彼ら自身が進歩主義であると思っていた限りで、できないことだったんでしょうな。

● あなたは「どうせ滅びるものだから私には興味ない」って言ったよね。そこまで言うほど――もちろん、パーソナリティとかいろいろ関わるんだろうけど――何かそういうものに対して抑圧を感じていたわけ?

○ ある程度はあるな。

● 個人的な恨みとかいうレヴェルも含めて?

○ 個人的にはない。個人的なレヴェルだったら、私は「個人の欲望」を日本的な陰湿な共同体の抑圧から救ってくれようとした戦後思想というものに対して、好感すら持ってますよ。ただ、観念論の偽善性は抑圧だった。もうひとつ、知的な面として「やっぱりこいつらバカだな」っていう抑圧はあったからね。「なんでいつまでたってもわかんねぇのか」っていう想いはあった。

● それは年齢的にいくつぐらいの時からあったわけ?

○ 高校ぐらいからかな。中学の時はスラムの隣で抑圧的な中学だった。共同体で抑圧されてたから、逆に中学の時はそっちに好感持ってた。高校の時はそうじゃなくなったので、好悪ともどもだったね。日本的な共同体みたいな者っていうのは、この国のマジョリティなんだということがわかっていたから、その点で個人主義近代主義っていうものに共感したけれど、同時にこいつらリアリズムを何もわかっていないというのがあったから。いじめをなくそう、って人権論、平等論に立ってお題目を唱えたって、建て前の抑圧が重なってゆくだけで、何ら救いにはならない。いじめには実力で対抗するしかない。こっちはいじめられっ子だったから、そのあたりのリアリズムがわかるわけね。その分、彼らの偽善性がいやだったんだ。

 当時、私のまわりにいた初期の「おたく」みたいな連中は、そういう嫌悪感というのはすごく共有していたね。そういう「おたく」の世代は、そのテの偽善には実に鋭かった。だから、選挙に行く奴っていなかったんですよ。いろんなタイプの奴はいたけれど、そういうことになると本当にエートスは同じなのね。

● ああ、その感覚はとてもよくわかる。たとえば、八〇年代コラムニストの文体に共通するものって究極のところそういうエートスでしかなかったし、で、それによって獲得した風通しの良さやある種の健康さってのは、そう馬鹿にしたもんじゃないぞ、と本気で思ってもいる。ただ、それをひとつの「立場」として世間の中でゆっくり組み立ててゆこうとする作業をしてこなかった、って世代的な反省は今、ものすごくあってさ。だから、八〇年代をくぐった文字の知性がこれから先を本気で考えようとする時には、おそらくそこらへんがひとつ大きな踏み絵になるはずだ、と俺は思っているけどね。

*1:図書新聞』(だったはず)紙上での、浅羽通明尊師との対談。その後、単行本に再録をお願いしたところ断られた経緯があった記憶が……まあ、いろいろ事情や思惑その他、あったんだろうな、と。