本多勝一に宣戦布告

 世が世なら「人民の敵」になるんだろうな、こりゃ。

 『毎日新聞』夕刊掲載記事にまつわる本多勝一氏との一件である。一体何が起こったのか、って? 未だご存知ない向きには、経緯のごく概略だけは今のところ『週刊朝日』10月15日号と『週刊宝石』10月21日号に事実報道のかたちで掲載されているから、ひとまずそちらを参照していただければありがたい。まぁ早い話が、仕事の手続きとしても内容としても常識に照らして何の問題もないはずのインタヴュー原稿に、インタヴューの現場ならいざ知らずゲラの段階になって突然いちゃもんつけられ「ボツにしろ、さもなくば訴訟する」とまで言われて、あまりの無理無体にこっちが「おもしれェ、やるならやってみやがれ」てな構えで根性見せたら一転、テキは情けない懐柔策をとってきたってお粗末。さらに詳しい経緯などは今後いくつかの場所で追い追い明らかにしてゆくつもりなので、期待していただきたい。

 それにしても、仕事としてのスジを通すため、ほぼひと月にわたってまさに耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、ようよう9月29日の掲載までこぎつけた。もちろんもとの原稿はズタズタにされちまったのだが、「よくそこまでつきあいましたねぇ」というのは何人もの編集者や新聞記者たちから半ばあきれ顔で言われたことだ。言われるまでもなくわれながら心萎える話だけれども、ただ、この間のすったもんだの経緯に含まれた“問い”は決して小さなものではない。敢えて大上段に振りかぶって言えば、この国の近代のある時期以降、あたりまえのようにあり続けてきた社会や現実を語ることばのありようが最終的に地滑り起こし始めているのが露わになった「現在」を象徴する“できごと”だとさえ思う。

 ソ連の新聞なんて、きっとこんな目に遭い続けてきたんだろうな。あんたらの言う「言論の自由」ってのは、そういう自分勝手で権威づくのやり口でとりつくろわれてきた、たかだかその程度のものだったんだな。