真の「郊外文化」は生まれるか。

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 都市生活者たちが「東京」から逃れて郊外に移り住もうとする動きは、別に今に始まったことではありません。

 日本でまず郊外生活を志向したのは、明治後半から大正にかけての知識人たちでした。彼らが「東京」に抱いた疎外感のある部分には、地道に働く農民に比べて「非生産的」な自分たちに対する一種の強迫観念がありました。彼らの“うさぎ追いしかの山”的な「ふるさと」像も、その裏返しと言えます。

  敗戦後は膨脹した勤め人たちが知識人に代わって郊外移住の主役になりましたが、その意識の底にはやはりかつての知識人流の疎外感があります。かつての知識人の持っていた意識構造を温存したまま実体が急激に大衆化したのが、日本の「サラリーマン」の特徴であり、また奇妙なところです。

 とは言え、次々に開発される郊外のニュータウンも、価格帯の関係などから、やはり住人は同じような世代の同じような所得層の勤め人たちになりますから、意気込んで移り住んだ先もまた“擬似社宅”的な同質の空間になって疎外感は癒されない。何より、自分とは異質なものとの出会い、摩擦から生じる言葉本来の意味での「文化」はそこから立ち上がりにくい。というわけで、そのような日本の郊外生活のリアリティーを内側から表現する言葉は、文学であれ何であれ、残念ながら今のところまだ生まれていません。

*1:何かのコメント原稿、だったかと。雑誌か新聞か、媒体は例によって記憶がない……