歳を早くとってみてえ、と思うようになった。
生きるのに飽きたわけじゃない。昭和三四年生まれは五黄の亥だから、今年は本厄の四二歳。故あって五年前、大学をケツめくって辞めてこのかた、厄っぽいできごとはひと通りくぐってきたようだから、いまさら改めて厄年もクソもない。身体の方もガタは多少きているけれども、お定まりの成人病の類からはまだお呼びはかかっていないようだ。ただ、「中年」という呼ばれ方がきっちり似合うようになりたい――そう、思ったのだ。
何言ってやがんだ、四二の厄年なら立派に中年じゃないか、と叱られるかも知れないが、待っていただきたい。いずれ高度経済成長期に生を享けたわれらが世代、身の回りを見渡してみても、このうまく「中年」になっているやつが、なぜかあまり見あたらないのだ。
芸能人でいえば桑田佳佑、郷ひろみあたり。野球選手なら、原辰徳だの江川卓だのがいるけれども、どうです、どれもいわゆる「中年」からはほど遠いとは思いませんか? こんな有名人だけじゃない、そこらのカタギの勤め人にだって、かつての「中年」という響きが持っていた、前向きにあきらめざるを得ない何ものか、を感じさせる手合いは少ない。
かつて「中年御三家」と呼ばれる三人がいた。野坂昭如、小沢昭一、永六輔。いずれ一筋縄ではゆきそうにない、メディア渡世の手練れたちだが、今から三十年ばかり前、四十代にさしかかろうとするあたりの彼らがそう呼ばれていた。何のことはない、今のあたしくらいの年格好だ。
当時、彼らが敢えて「中年」を名乗ったのは、その対極に位置する「若者」を意識してのことだ。「オレた~ちぃ~オジサンにぃ~はぁ~唄がな~い~」とヤケクソ気味に歌っていた小沢昭一は、しかし確かに、その「オジサン」と呼ばれる「中年」の自意識に踏ん張ろうとしていた。今ならさしずめ、ある種差別語みたいにまでなったあの「オヤジ」になるわけだが、何にせよ、そんな「オヤジ」であり「中年」であるようなオレたち、というのを意識せざるを得ないくらいに、何か「若者」というのは異様に輝かしく、素晴らしいもののようにその頃なってきていたらしい。七〇年安保を境にした学生運動その他、「若者」が社会の全面にはっきりとある存在感を持つようになった時代。「戦後」のある極相としての「若者」幻想は、その照り返しとしての「中年」を、そしてその先の「老い」をも「豊かさ」のハレーションの中に溶かし込んで、なかったことにしてしまったらしい。
だから、早いところまず「中年」を取り戻しておかないことには、何でもありでこわいものなしな、あのあこがれのクソジジイにもなれやしない。「隠居の自己否定なんてものはない。自己を否定する者は、隠居する前に死んでしまう。隠居とは自己肯定の姿である。(…)それは、実務と責任から解除されることによる権力の権化である」(平岡正明)のだからして、とにかくそういうおいしい立場に立つ前にくたばってたまるもんか。見るからに「中年」のオヤジになるために、まずは日々是研鑽、なのであります。