佐高と猪瀬の泥仕合

 佐高信猪瀬直樹の喧嘩が、いよいよ泥仕合の様相を呈し始めた。

 もとはと言えば、猪瀬が原作をやっていた劇画の中で、明らかに佐高とわかる人物を登場させて当てこすったのが始まりで、その後、両者共機会あるごとに悪罵の投げ合いをやっていた経緯がある。どう考えても、もともと飲み屋の酒の肴以上になりようのない話で、とても「論争」の域になど達しようのない代物なのだが、しかし、それはそれでどんな世界にもありがちないがみ合いでもあり、長期低落著しい業界での数少ない仲間うちの同業者意識をまとめる接着剤くらいには役に立っていたところもあったかも知れない。だが、それが今や、佐野真一大宅賞受賞を妨害したのしないのというような低次元の話まで公然と持ち出すまでになっては、これはもう品位も何もあったものではない。どれだけ互いに口角泡を飛ばして正当性を訴えても、どちらの側にも正義などあるわけがない。そんな泥仕合に加担して誌面を作ろうとする周囲の編集者ともども、読者をあまり見くびらない方がいいということはひとこと言っておきたい。

 だが、このような品位も互いの信頼も欠いた泥仕合のやりきれなさは、この一件だけでなく、その他最近のこぜりあいに共通して漂っているようにも思う。たとえば、佐高や猪瀬と世代は違うにせよ、宅八郎その他の『SPA!』系居直りライターたちと、何かというと小林よしのりの威を借りて虚勢を張る切通理作との罵りあいなどはまさに同類。「団塊の世代」批判を偉そうにやってのける彼らが、いざ「論争」を成り立たそうとしたら「団塊」よりもなお「団塊」的な貧しさを露呈するなど、全くもって噴飯もの。やはり最大の問題は、表層的な世代性や思想性などよりも、それらを超えて現前しているそれら「言論」の言葉の硬直だということだろう。(紅)