鳩山新党だってばさ……

 鳩山新党ってのができたそうである。愛想なしで申し訳ないが、へえ、そうなの、としか言いようがない。

 理由は簡単。鳩山由紀夫のあの眼、あれがどうも信用できない。だってさあ、細川護煕と同じ眼してやがんだもの。なんだかなあ、二世議員って何かみんなああいう眼つきになる理由があるんだろうか。

 思えば親子二代の二世政治家というのがいつの間にか増えている。小沢一郎も二世だし、羽田 も船田元も二世。最近は影が薄いけど河野洋平も同様。いや、首相の橋龍からして立派な二世議員。いっそ歌舞伎みたいに世襲制にして、「三代目河野一郎」とか襲名させちまえばいいのに。

 二世だからいけないというのではない。政治家にも家業という側面はあるはずだし、そうやって蓄積されてきた微妙なノウハウというのもあるだろう。政治にも文化があるとしたらやはりそういう蓄積の上に成り立つものだとも思う。けれども、それが「毛並み」とかのもの言い一発で語られて、いかに育ちがいいか、という側面だけが強調される事態はあまり健康ではない。なに、音羽御殿だって? へっ、ちゃんちゃらおかしいやい、とついヘソを曲げてしまいたくもなるのだ。

 これによって次の選挙でまた“新党ブーム”が起こることを期待するような向きもある。何より、当の政治家たちがそのことで右往左往。いろいろと足の引っ張りあいがあったらしい。

 でも、どうなんだろう、またそんな“新党ブーム”なんて起こるんだろうか。評論家からはとにかくバカ扱い、意識が低いと嘆かれ続けているわれらニッポンの有権者だけれども、あの日本新党のていたらくにはいくらなんでも学んでいるはず。何より、あの細川と共通する眼つきでささやかれる「友愛」一発でこの政治のどんづまりがどうにかなると思えるほど、もうおめでたくもないと僕は思う。

 政治家には政策や政治理念が必要だという声はもちろん正しい。けれども、同時にそれらを現実のものにしてゆく手練手管というのも「政治」の重要な条件だろう。それは国会や委員会を乗り切り官僚の鼻面を引き回す器量だけでなく、たとえば人前で平気で土下座できるような感覚や、本音をおくびにも出さないタヌキぶりなども含めてのことだと僕は思う。もちろんそれらはもはや陳腐でダサいものだけれども、しかしそういう身振りが一定のリアリティを持ってきた経緯というのもある。そうしないとうまく回ってゆかないような現実と関わらざるを得ない、善し悪しや好き嫌いは別にして「政治」の内実とはどうやらそういうものでもあったらしい。ならばさて、二世議員の「毛並み」はそういう内実をどこまで含み込めるのだろうか。