宮台真司の立ち往生に思う

 宮台真司という社会学者がいる。東京都立大学助教授で、いわゆるブルセラ現象など今のティーンエイジャーの生態を対象として「若者文化」を論じている。難しい専門用語を操ることばかりうまくなって社会的な発言のできなくなった昨今の社会学畑には珍しく、テレビや雑誌などマスコミの場にも積極的に出てきている。

 その彼が、この夏『朝まで生テレビ』に出演した。「女子高生とニッポン」といったテーマで、スタジオには女子高校生とその親たちがギャラリーとして控え、パネラーにも彼の隣に飯島愛が座るというあざといセッティング。そのいかにもテレビ的な意図と仕掛けが丸見えの包囲網の中で彼は、これまで身をもって擁護してきているはずの女子高校生たちからブーイングの集中砲火を食らって立ち往生した。昔ながらの知識人と大衆の距離をくっきり見せられたようで、いろいろと考えさせられる光景ではあった。

 だが、そのことについて彼は最近ある雑誌で「ああなることも含めて全てこちらは予期した上でやっていた」*1といった発言をしている。よほどこたえたのだろうが、まるでかつてのオウムの広報担当たちのような卑劣な言い訳でがっかりした。失策自体は問題ではない。その失策からどう学ぶかを含めてマスコミは商品にしてゆく。そのからくりを自覚できないとせっかくの積極的発言もみるみる信頼を失ってゆく。猛省を促したい。

*1:今で言う「想定済み」ってやつだ。この頃から言ってやがったんだよな、このテの“東大クン”たちは