松本智津夫の現在

 メディアの舞台での「麻原彰晃」は、いつの間にか「松本智津夫」と呼ばれることになっているようであります。大声を出して興奮したり独語したりで保護房に移されたそうだけれども、今頃になって拘禁反応が出てきたんだろうか、それとも大方の人がうすうす疑っているように「精神異常」を演じてみせる茶番なんだろうか。

 けれども、よく考えてみたらわれわれは最近の彼「松本智津夫」がどんな顔をしてどんなたたずまいでいるのか、何も知らない。逮捕されてからこっちは護送車が通り過ぎる一瞬をとらえたテレビカメラの映像から起こした荒れた写真しか見ていないし、法廷の中は例によって写真撮影禁止だから似顔絵だけ。「やせた」とか「小さくなった」とか言われているけれども、そもそもものさしになっている「以前の彼」自体を確かに知っているかというと心もとなかったりする。だって去年の春先、事件が一番盛り上がっている時でもテレビで頻繁に流されたのは資料映像や教団のVTRからのもので、つまりはそれ以前の彼の姿。すでに国民的規模でたっぷりと刷り込まれたイメージとしての「麻原彰晃」と今の「松本智津夫」との間には、生身と情報の落差という意味でなく、同じ情報によって作られるイメージの水準においてさえも、きっと予想もしない距離やズレがあったりすると考えておいた方がいいのだろう。

 それにしても「オウム」は未だに格好のニュースネタだ。現職の警察官が国松警察庁長官の狙撃犯だった、なんて最近になって急に浮上してきた一件など、もし本当だとしたらこりゃ軍隊なら反乱もの。ほとんど二・二六事件だ。狙撃に使ったとされるピストルを探すドブさらいの行なわれているJR水道橋駅前の橋の上は連日黒山の人だかり。とは言え、通りすがりの人がちょっと足を止めて眺めているといった程度で、かつてのオウムの青山総本部みたいにわざわざそれを見物に出かけてくる人がいるというほどではなさそうだが、それでも、現在進行形で起こっているできごとの大小とはまた別に、こと「オウム」がらみのネタはどこか今どきの世間の人々の好奇心のツボにきっちりはまったニュースであり続けていることは間違いない。

 ただ、この一件については当の警察官が一切表面に出ず、しかも供述があいまいらしいことや捜査があまりに後手に回っていたことなどから、どこかで「本当かよ」という気分がメディアの現場には漂っている。当時言われた射撃の腕前の鮮やかさも普通の警察官のものなのかどうか。陰謀史観にハマるのはまずいけれども、こういう批判力はやっぱり持っていなければとも思う。でないと、せっかくのみんなの好奇心も台なしだ。