ペルーの青木大使バッシング

 ペルーの青木大使に対する風当たりが、にわかに強まっております。国は身代金を払えないから民間企業が払えと言っただの、ずっと酒ばかり飲んでいただの、記者会見での態度が悪かっただの、当初の英雄扱いから手のひらを返したような報道のされ方だ。

 主なニュースソースは、同じ人質だった日本人たちのようだ。まあ、それなりの理由はあるのだろうとは思う。スタンドプレイとは言わないまでも大向こうウケを狙うタチのお茶目系オヤジらしいことは身振りや言動からも見当はつくし、そういうタチがいらぬ誤解を生むのも世のならい。何よりあんな状態で数ヵ月も軟禁されていれば、互いに葛藤や反目があるのが当然。きっとそのあたりの機微に不用意なオヤジなんだろうと思う。

 それよりも僕が気になるのは、この「政府は何もしてくれなかった」という批判だ。

 気持ちはわかる。わかるが、しかし「何もしてくれなかった」自分の国の政府をなじるその一方に「何かをやってくれた」外国をいきなり持ってくる発想の背後には、どうなんだろう、屈折したエリート意識が微妙に透けて見えていたりはしないだろうか。たとえば、「やっぱり外国は違う、日本はダメだ」的な。

 あれは確か湾岸戦争の起こる前、侵攻してきたイラク軍に捕らえられてやはり人質になっていたクウェート在住の在留邦人たちが解放された時、窓口になったイギリスかどこかの大使館の扱いをまるで拝むようにほめそやし、「それに比べて日本の政府は何もしてくれなかった」と口とがらせてなじっていたのを思い出した。あの時は、現地の商社マンの奥さん連中などが、帰国後もテレビの討論番組にしゃしゃり出てきて政府批判をやらかしていたものだ。その居丈高な様子にムカッときてまたもや世間を狭くしたのだが、あのいやな感じと同じものが、今回の青木大使叩きの気分のどこかに介在していそうな印象も僕にはある。

 ボーダーレスなんて浮かれ回る手合いには申し訳ないが、今も国境はある。厳然とある。それを“超える”ということは、どんな理由からであれ、間違いなくあるリスクを負うことだ。そして、好むと好まざるとに関わらずそのような生き方をせざるを得ない人たちというのも、また厳然と存在している。現地企業の社員であれ身ひとつの出稼ぎであれ基本的にそれは同じだ。

 しかし、大企業の社員はやはり守られている。身代金であれ何であれ、求められればうっかり払いかねない程度に守られている。そこが決定的に違う。身ひとつの出稼ぎならば、現地大使館の華やかなパーティーになど決して呼ばれたりはしていない。

 少なくともそのような現地企業の社員であるという立場も棚に上げて、いきなり政府や官僚にだけ完全無欠の立派さや頼もしさを求めてしまう気分は、いきなりのっぺらぼうの「市民」になって官僚批判をやらかす気分などとどこか同じもののような気がして仕方がない。これってやっぱりヘソ曲がりな見方ですかね。