付け焼刃の「新オヤジ」を嗤う

 ひでえや、こりゃ。ほんっとにひでえ。

 このクソ暑い中、あんまりこういう場でこういう怒りをぶちまけても、ほとんどの読者にはどうでもいい話だとは思うが、でも、だからって野放しにしてちゃいかんと思うから、申し訳ない、敢えてこの場で言わせてもらう。

 『創』という雑誌に載っていた対談のことだ。当事者は、大塚英志というその筋ではすでに有名な大バカ口先評論家と、精神科医で最近は下手な小説なんかも書いている香山リカのふたり。どちらも三十代後半、かつてなら「新人類世代」なんて呼ばれてチャラチャラしていた年格好だ。マンガやアニメやゲームや、何にせよそういう「大人にとってはよくわからない、興味も持てない、でも何か知らないけど今どきの若い連中は大好きらしい新しいブンカ」てなものをやたらとヨイショしては、そういう「新しいブンカ」を知らないとどうもまずいらしい、と妙なコンプレックスを過剰に抱いているような大人たち(情けないけどメディア関係には多いんだ、これが)に対する「解説」屋として商売してきた、おおざっぱに言っちまえばそういう紙の上のワイドショーコメンテーターの如き手合いではあります。

 で、こいつら、例の「酒鬼薔薇」の事件などを引き合いに出しながら、自分たちもこれまで若い連中のことがわかるわかると思ってやってきたけど、今度のことではほんとにもうわからないと思った、自分たちもその程度にもう「オヤジ」なんだ、だから「新オヤジ」ってことをむしろ宣言してこういうわけのわからない下の世代に対してちゃんと叱ったりすることがもう必要なんだ、てなことをうだうだと、しかしどこかお互い得意げに高みから言い合ってるんですな、これが。

 あんたら、そういう「大人」に、言い換えれば〈オヤジ〉になることにずっと違和感を表明してきた、そういう〈女・子ども〉であることに居直って能書き垂れ流してきたんじゃなかったのか? 宗旨変えは結構だけど、でも、これまでそうやって〈オヤジ〉から逃げ回ってきておいて、今になっていきなり「大人」のふりしようったって、そんなもん誰が信用するかっての。

 この大塚なんてのは、かつて宮崎勤の事件の時に「ぼくがMくんを守る」とかぬかして特別弁護人だかにまでなっておきながら、ロクにその後始末もせず口ぬぐって生き延びてやがる卑怯者。そういう口先野郎が今になって偉そうに「チビ」とは大笑いだ。

 お~い、きっちりムカつけよ、よりによってこいつらに今どきいきなり「チビ」なんて呼ばれちまってる若いの。んでもって、こいつらおまえら「チビ」がわからなくなったから「大人」として叱る、なんて言ってるんだぜ。おもしれえ、果たしてどんな叱り方をやらかせるものか、きっちりやってもらおうじゃないの。そんなもんでことが解決するぐらいなら、親も教師も、世の大人の誰もがここまで「子ども」や「教育」で真剣に悩んでやしないぜ。

*1
*2

*1:サンデー毎日』連載原稿

*2:香山リカ大塚英志という喰い合わせはすでにこの頃、定型になりつつあったようで。酒鬼薔薇事件がらみで持ち回られてるのに対して妙なオトナぶりっこをにわかに始めてた、その件についてなんだが、宮崎勤の事件やオウム真理教の騒動などに当事者としての「若者」世代代表としてのコメントを求める、的ポジショントークを彼らに割り振る役回りがメディアの現場ですでにできあがってたってことかと。