橋本改造内閣のこと

 俺、もうやだよ。仕事しねえよ。機嫌悪いんだよ、今。

 ロッキード事件で有罪判決を食らっていた佐藤孝行氏が、今回の内閣改造でめでたくご入閣ときたもんだ。

 あのさ、世の中やっていいことと悪いことってあると思うんだよね。しかも、いつも言ってるように、政治なんてのはきっちりそれを見守るこちとら「観客」の視線あってのなりわいなわけで、その「観客」の気分を初手から無視して土足で踏みにじるような真似したら、いつかこっぴどい罰が当たるのが世の常。で、みなさんいやしくも政治の玄人なわけでありますから、それを十分わかった上でなおこういう世間をなめた真似してると、ここはそう受け取っちまっていいってこってすね?

 ロッキード事件の裁判は裁判として問題がある、という議論は当時からあるけれども、そういう難しい理屈はひとまず抜きだ。世間の気分としてそういういわくつきの御仁を今のこの時期に内閣に入れ、あまつさえ行政改革の元締めみたいなポストにつけるってことは、「ああ、こちとらそこまでなめられてんのね」と思わざるを得ない。首相は「前科者にももう一度チャンスを」てな言い訳をしてござったけど、そんなヒューマニズムあふれる了見でやらかした人事じゃないってのは、よほどのバカかお人好しでもない限りバレてるっての。

 一時期、二大政党をめざして、てな能書きがもてはやされたけれども、今や自民党の中に理念も政策も違うグループがきれいにふたつできていて、その「二大政党」のまわりをどれも弱体化した野党たちがとりまいている。だもんで、これまでの世間の野党支持の気分(冷静な与党批判から、「とにかく権力は信用できない」てなかつての全共闘世代的うっぷんまで、結構幅広く根深い)はそのままだともはや共産党に行くしかないし、与党支持層の中でも「このままじゃ自分たちの生活がヤバい」と感じる農家や、この先老後が不安な勤め人なども少しはそっちに流れるから、その分共産党が伸びる。とは言え、それもごく一部のこと。多少なりとも政治を真面目に考えようとする人の大方は、「このままでいいわけねえんだけどなあ」という不満を抱え込んだまま、ますます不機嫌に黙り込むしかない。でも、こういう沈黙ってほっとくと、ほんっとにヤバいぞお。

 例によって政治評論家の福岡政行センセなどは、「世代交代がはっきりしてきましたね」てな他人事の能書きを並べとられましたが、なんか「世代交代」って言うと、それ自体いいことで反対しにくい雰囲気が作られちまう。そのやり口って、少し前の「守旧派」というレッテル貼りと同じざんしょ? あの時と同じ手口で今回も世論誘導しようってんなら、そりゃあんた、あの細川内閣のスカから何も学んでないってこった。いくら評論家ったってメディアでもの言う以上は価値中立じゃあり得ない。そういう「立場」をまずきっちり自覚した上で能書きを垂れて欲しいと、機嫌の悪い大月は思うっす。