山一証券、「自主廃業」のシナリオ

 山一証券が倒れた。正確には「自主廃業」ってんだそうだけど、要はギブアップ、自力ではもうどうにもなりまへん、と手をあげてバンザイしちまったことには違いない。

 とは言え、どうも気に入らねえのが、大蔵省だの日銀だのといった“保護者”連中のあのクソ落ち着き具合だ。倒産が決まってからの動き方を見ていると、なるほど金融関係ってのはつくづく役所丸抱え、おかいこぐるみでがんじがらめの業界だってことが、根っから経済オンチのアホな民俗学者にもよくわかる。

 陰謀史観は根っから嫌いなおいらだが、昨年来、総会屋への利益供与の泥沼みたいなバレ具合や、山とたまった不良債権処理にまつわる不手際など、金融関係のいためつけられ方を見ているとさすがに、やっぱりなんかある程度はシナリオができた上でのことなんじゃないの、ぐらいのことは言いたくなる。山一の関連会社含めて約一万人、家族もコミで数万人の暮らしを犠牲にして「ビッグバン」という大きなガラガラポンをやってのける、それが官僚的リアリズムだとしたら、こりゃもう多少の荒療治はしゃあないか、という世間の気分を作るためには、ここらで一発これぐらい派手な見せ場があるのがいっちゃん都合いいもんなあ。

 昨今言われる「ビッグバン」も、表で名前が取り沙汰されている連中でなく、さらに下の四〇代の課長クラスが実際に設計図を引いているという話がある。組織にガタがきている時は、そういう幹部の中でも一番若いあたりの元気のいい奴の言い分がホイホイ通ってしまうんだよ、とある人が言っていたが、その感じ、よくわかる。かつて勝ちめのない戦争おっぱじめる片棒担いだ昭和の新官僚なんて手合いも、実はそんなもんだったんじゃないの?

 図面引くのが仕事なのはいいけど、その図面がどんな現実引っ張り出すのかについてまで責任をとらないのがこういう手合いの常だ。今や七転八倒小沢一郎がかつて書いた『日本改造計画』はそういう官僚臭プンプン、いかにもよくできた霞ヶ関メイドの「図面」丸出しの内容だったことを改めて思い出した。あそこに今の「ビッグバン」につながるような「改革」ってすでに書かれてなかったっけ?政治の表層が変わっても、官僚ってのはいつも勝ち馬に乗って生き残りやがる。政治がボケていればいるほど制御の外れた彼らの全能感は一層強まる。この事態に陶酔して図面引きに盛り上がってる若手官僚っていやがるぞ、きっと。

 そう言えば、アメリカのニュース番組で、バンクーバーでのサミットがらみで「ハシモトヒロシ」なんて日本国内のニュースに絶対出てきてないオッサンが出てきてこの件についてくっちゃべってた。テロップには「日本政府のスポークスマン」ってなってたけど、あれ、一体どういう立場のオヤジなんだ? 英語が流暢にしゃべれてたみたいだから、やっぱりそういう外務官僚ってやつか? だとしたら、なんで国内向けの報道には全くツラ出さないんだ?