「なつかしさ」のプロモーション――小泉和子『昭和のくらし博物館』青木俊也『再現昭和30年代 団地2DĶの暮らし』近藤雅樹・編『大正昭和くらしの博物誌』

 「なつかしさ」ってやつは商売になる――そのことに気づいている人は、商売人も含めて別にもう珍しくもない。大衆化したおたくアイテムの重要なひとつ、高度経済成長〜昭和三十年代ネタは言うに及ばず、ひと頃盛り上がってあちこちにでっちあげられてたテーマパークなんてその最たるもの。この夏話題の宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』だって、高台の新興住宅地のすぐ隣でテーマパークのなれの果てと見まがう異界に紛れ込んじまうおハナシだったし、いずれそういうこしらえものとして再構成された「なつかしさ」ってやつは、いまどきのシトのココロをわけもなく魅き寄せるものになってるっことは、まず間違いない。

 昨今、博物館ってやつも、そのテーマパークに限りなく近づいてきてる。特に、ハコモノ行政とからんで一時期山ほどこさえられた歴史・民俗系の博物館が、生き残りを賭けてそうなるのはいまどき半ば必然。それは企画を立ち上げる学芸員の器量もさることながら、展示の実際を担当する展示業者の手癖に依るところが実は大きかったりするのだけれども、それはともかく、そういう「なつかしさ」を武器にした企画展示は最近、そのテの博物館界隈でも少しずつ定番になり始めております。

 どういう目論見があるのかわからないが、河出書房新社は確信犯でそのへん、本にし始めている。まずは、小泉和子昭和のくらし博物館』。東京は大田区久ヶ原にあった生家をそのまま博物館に改造、戦後の公庫住宅の生活空間をまるごと展示することにした著者が、そこでの展示を写真や図版をふんだんに使いながら紹介してくれます。もともと女子美大を出てから東大の建築史研究室で研究生をやっていた御仁。建築博士の博士号も持っていて、その意味じゃまっとうなアカデミシャン。このテの生活史/誌がらみの展示企画なども含めて仕事にしているというから、これはもう現場の当事者。だからこそ、ムック的に眺めて楽しい造りになっている。

 青木俊也『再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし』が続く。こちらの著者は、千葉県松戸市立博物館の学芸員。武蔵大で民俗学を学んだ四十歳、ってことは、あらま、あたしと同年代の同業者。脳死状態の民俗学にちみっとでも可能性があるとしたら、大学なんぞより現場の学芸員などにちっとはまともな感覚持ったのが出始めているあたりにしかないのだが、まさにそういう人材のひとり。自分の職場で仕事としての展示業務に七転八倒して何とかおもしろいものを、と苦心しているさまが見えるようで、それもまた好ましい。ただ、前書に比べると、「団地」ってあたりに着目したのが善し悪しで、暮らしを成り立たせていた経済や政治や、そんなもろもろの大文字の地盤ってやつに対する配慮が薄い。まあ、これは民俗学自体の構造的弱点だと思うからあたしゃ斟酌するけど、やっぱりね、「なつかしさ」をハンドリングしようとするなら、もちっと前提の仕込みもゆっくりやりながらでないと、こういう仕事も「団地の民俗」的なスカな理解にどんどん回収されて終わっちまうぞ、と、ここは敢えて苦言を呈しておこう。

 関東ばっかじゃない、関西も頑張ってるぞ。近藤雅樹・編『大正昭和くらしの博物誌』だ。著者は、大阪千里の国立民族学博物館で地味ながら日本研究のセクションを支える重要なひとり。なにせ大阪万博がらみで国の財布ででっちあげられた大風呂敷な研究所、アジアだアフリカだ、と目の色変える文化人類学系が常に跳梁する職場で、宮本常一直系の民俗学的知性が居場所見つけるのはそりゃタイヘンだわ、とずっと同情していたのだが、ここのところ堅実にいい仕事を繰り出してきていて実に頼もしい。ここも副題に「民族学の父・渋沢敬三とアチック・ミューゼアム」とあるように、同館でやった企画展示のこれは図録。とにかく、宮本常一も含めた渋沢人脈、アチック系の民俗学的知性たちが何をしようとしていたのか、というあたりに焦点を当てた一冊になっていて、これまた楽しい楽しい。不肖あたしの特集ページの方でもこの宮本常一は改めてヨイショしてあるので見てほしいが、この本などもあわせ技で読んでもらえばさらによく効くはず。特に、収録されている「アチックミューゼアムの仲間たち」(近藤雅樹)「渋沢敬三民族学」(田村善次郎)などは、彼らのやろうとしたことを知ってもらう意味でコンパクトないい仕事だ。