やめちまえ、という声が

「もうなあ、こんな値段でしか売れないんだったらやめちまえばいいんだわ」

 激しい口調でもなく、淡々と力なくそう言う、だからこそ、ことの深刻さが余計に伝わってきます。先日行われた札幌競馬場でのトレーニングセールの片隅、とある小さな牧場のオヤジさんのことばです。

 翌日、浦河でもセールがあり、すでにこの季節の恒例、ほぼ実戦に使えるまでに仕上げられた言わば「即戦力」「半完成品」の二歳馬たちが売りに出される。二ハロン程度とは言え、実際のレースさながらのスピードで調教を公開、それを見てもらってからその後セリに、という流れでの馬の売り方は、このところもうずっと苦しい状況が続いている馬産地界隈では、それなりの実績を残してきている試みのわずかな例でした。

 ところが、どうもそれがもうひとめぐりして、以前のようには売り上げが伸びない。いや、伸びないどころか、今年のセールは馬の値段自体が一気に値崩れしたような印象でした。なりふり構わず再上場を繰り返してようやく引き取られる馬も、その価格はシロウト目にも気の毒な水準。市場が健全に機能しなくなっているような感じです。

 「去年の秋に仕入れた馬を、半年なりかけて調教して仕上げてきてるんだから、当然その分カネもかかってる。だからそれも含めての値段で売れてくれないと困るし、またそれを期待してここまで辛抱して(馬資源を)引っ張ってきているんだけどさ」

 せりの声が聞こえるのを避けるようにしながら、小声のぼやきは続きます。

「なのにだよ、いくら牝馬ったって百五十万かそこらでしか売れないんだったら、儲けなんか手もとに残るわけないべ。それどころか、こんな値段だったら再上場なんかかけてくれん方がいいわ。なのに、(育成牧場も)苦しいもんだからとにかくゼニにしたいんだろうなあ、なんぼでもええから売っちまえ、になってる。余裕がありゃ、仕方ない、自分(の名義)で道営でも使って、とか考えるよ。実際、少し前までならそうしてたし。でも、今はもうそこまで余裕がないし、それ以上に……」

 そこまで言って、少しためらいながら、こう続けました。

 「……これはもう、競馬そのものがもうダメなんでないかなあ、と思うんだわ、ほんとに」

 確かに、馬主さんたちはそこそこ集まっているし、それを取り巻くエージェントその他、牧場関係者はいつもと同じくせり場をにぎわしています。でも、言われてみれば確かに、雰囲気が少し前までと違うような気はする。怒声や罵声が飛ぶくらいならまだいい。どんなにひどい状況になっても、もう声も出ず、淡々と現実を流してゆくだけ、そんな感じ。

 「先が見えないんだよ、先がさ」 と、これはある地方競馬の若い調教師。

 「どこの競馬場も苦しいのはどこも同じだけど、でも、みんなさ、賞金がさがったとかそういう表面しか見てないんだよ。たとえば、厩舎の獲得賞金見てみなよ。うちの競馬場にしたって、十年前と比べたらとんでもない減り方なんだから。年寄りはいいよ、昔はいい時だってあったんだから、うちらみたいな三十代の、やっとこ免許とって開業したばかりの調教師は、何のために免許とったのか、ほんとにわからなくなっちゃってるよ」

 競馬という仕事に希望が持てない。それは牧場とて同じこと。いま、このタイミングで辞められるものなら辞めたい。でも、借金が、後始末が……と躊躇しているうちに、わずかに希望のあったトレーニングセールまでそろそろ行き詰まりかも知れない、という状況に。

 「こんな値段でしか売れないのがわかったら、今年の一歳はもう(育成牧場に)売りたくない、ってところが出てくるんでないの? ほんとならそこまで考えて、再上場かけるのもちょっと控えるとか、そういう“仁義”みたいなのも少し前ならあったと思うんだけどなあ……」

 みんな誰もが、目先の状況をしのいでゆくことでせいいっぱい。それが、今のニッポン競馬の現実です。現場の厩舎や牧場だけでなく、ほんとは大所高所で状況を制御し、改善してゆく立場のはずの主催者や農協といった組織の側も同じようにジタバタするばかり。かくて、「日本の競馬そのものがダメになる」という、おだやかでないもの言いもまた、さに現実味を帯び始めています。