『新潮45』のトホホ

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 安野モヨコ美人画報ハイパー』、テリー・ケイ『白い犬とワルツを』、ジャックウェルチ『わが経営』、以上三冊並べて四ページ、それぞれ半署名の書き手による書評欄ときたら、さて、どこの雑誌でしょ。

 正解は、なんと『新潮45』であります。活字文化の棚落ちと共に今や存続自体が危ぶまれ始めている月刊総合誌の中でも「保守」だの「右」だの「反動」だのと呼ばれる一角の雄。『諸君!』と並んでゴリゴリのクソオヤジ系能書き垂れまくり雑誌と目されてきたはずなのに、はて、この軟弱な並びはいったいどういうこと、といぶかったのですが、よく見たらあなた何てことない、編集長が女性になったってことらしいですな、これが。そう言えば表紙からしてソフトなイラストの、少し前までの婦人画報みたいなゆるいテイストになってるし、レイアウトもビミョーに変わってるし、ううむ、これで固定客の論壇系クソオヤジ共がついてくるのかなあ。

 その書評欄ったって「読まずにすませるベストセラー」なんてタイトルがつけられてて、直球の書評じゃありませぬ。同じく新企画の「見ずにすませるワイドショー」と対にしたつもりらしいのですが、どうもこのへんも悪い意味での週刊誌ノリ、それも最近のコラム雑誌と化してからの週刊誌の悪癖が感染したようで、あたし的にも、なんだかなあ、であります。フェミニンな保守なんて見たくもないわ。

 書き手はそれぞれ(髭)(千)(香)のお三方。最後の(香)だけは女性と見ましたが、おそらくこれ、編集部内かその周辺の片手間原稿じゃないすかね。なぜかってえと、どれもやたら肩に力入ってて「ひとつもの言わん」的な力みがありありなんですわ。雇われライターなら必要十分な手間ですますはずだし、署名看板の手練れならもっとキャラを立てた仕事をするはず。要するに書評という形式の中で、その本をダシにしながら読み手に何を伝え、どう楽しませるか、ということにもっと気を配っていいはずなのが、この三本共そういう配慮があまりになさげ。どだい、書き出しからしてこんなオヤジ調なんだもん。

 「『美しく在ろう』という意識が失われると、人間はあっという間に錆びる。」


 「物語が、その物語自身の内容で売れるのではなく、もう一つ別の『物語』によって売れ始める、という不思議な事態である。」

 わざわざベストセラー(現時点での刷り部数を明記しているのはいい)をとりあげるのだから、その「売れている」こととの距離を計測することも求められる芸のはず。まして、唯我独尊、超絶孤高のクソオヤジ雑誌の「伝統」ってのもあるでしょうに。「リニューアル記念号」と銘打った割には、迷走気味でトホホな仕上がりになっておりましたな。


       

*1:本の雑誌』連載「書評スイカ割り」原稿。しかしなんだろ、この連載タイトル……