「エディター」の勘違い

 世の女性誌に代表されるグラビア満載、デザイントンガリまくりの派手めな雑誌が、何よりも広告の入り具合にキンタマ握られてているのは、いまさら言うまでもありませぬ。長引く不況の昨今でも、女性相手の商品広告はまだそこそこ期待できるカネづるらしくて、事実、そういうオシャレな雑誌でとりあげられる「トレンド」(笑)なんてのが、次にはテレビのワイドショーなどに流れてゆき、なんか知らないけど「最近、雑誌やテレビで人気の○○」てな能書きと共に繰り返し使い回されるようになる、と。かつてポストモダン(ああ……)全盛時、かの渡辺和博が名著『金魂巻』(もう忘れられてるかも)でバラしてみせた「ネタの還流の構造」ってやつは、シソーだのブンガクだのの難解系では絶滅しちまいましたが、そういう広告まわりにだけはしっかり生き残っているようです。

 そういう出版まわりの広告資本をめぐるドサクサってやつから、あたしなんぞはもうきれいさっぱり縁がない世渡りでありまして、まあ、そんなドサクサ自体を初手から「ケッ」という剣呑な横目で長年にらみたおしてるんですから、そんなもん別にいいんですが、ただ、どうもそういうドサクサの真っ只中で仕事をしている編集者、とりわけオンナのシトたちって、その自分たちのことをカタカナ書きの「エディター」なあんて呼ばれたがっているらしいのであります。

 たとえば、ほら、最近女性誌なんかに「エディターズ・チョイス」みたいな欄、よくありません? あれって、たとえば飛行機の機内誌(見てくれやつくりは広告満載の女性誌と同じですが)でスチュワーデスのおねえさんたちが「あたしたちのおすすめ」みたいな形で世界各地の雑貨だの化粧品だのをご紹介する、ってのとノリは一緒ですよね。あるいは、ある種の女性タレントとか女子アナなんかもそういうコーナー持ってたりする。要するに、「センスのいいシト」「トレンドに敏感なシト」てなくくりで読者の女性たちのあこがれになってもいる、と。で、今や編集者――いや、「エディター」も、めでたくそういう「高感度人種」(ううう……)に数えられるようになったらしいのであります。

 でもねえ、それってほんとかなあ、と。エディター自身の願望まじりの勘違い、黒子の立場に耐えられなくなって、「ほんとはあたしだってセンスいいのよ、フン」的なたまりたまった怨念が、垂れ流し的になってるだけじゃないのかなあ、と。中には、それもまた仕事の一環なのか、いそいそと得意気にテレビに出てきてタレント笑いにモデル立ち、「最先端」ぶりっこ全開で商品紹介してる「エディター」もいますけど、夜中にところかまわず嬌声ふりまくテレビショッピングの三流タレントと同じイタさ、いたたまれなさを感じてしまうのは、さてさて、あたしだけなんでしょうかねえ。