ゼニカネを口に出そう

 いまさら言うまでもなく不肖●●、大学をブチ辞めてこのかたしがないもの書き仕事をしているのですが、この原稿仕事というやつ、商売とはいいながらそれがいったいいくらの仕入れでいくらの儲けになるものか、実は事前にあまり知らされていないことが多いのをご存じでしょうか。

 そんなバカな、この契約社会の世の中、仕事をやるんだからあらかじめいくらいくらの約束で決めて、それに合わせて材料の仕込みから仕上げまでやってのけ、そこから必要な経費を計算して儲けを出す、ビジネス社会においてはあたりまえの手裁きというのがあるはず、という風に普通の人は考える。もちろん、あたしみたいな外道なもの書きまがいでさえも何とかここ二十年ばかり食えているわけですから、何らかの儲けが出ているのは間違いないのですが、でも、世の大企業とは言わないまでもそこらの商店街のお店程度の「商売」感覚というのを、もの書きというのは持たされていないのが実は現状だったりします。

 だって、どこかの雑誌から仕事の依頼が舞い込むとします。いついつまでに締め切りで、ということはいわれますが、ならばそのギャラはいくらで、ということを明示されることは実はあまりないんですよ。いくらもらえるかわからない仕事を引き受けるなんていうのは、それこそ建築現場なんかの下請けが泣きを覚悟でやらかす場合でよく紹介される事例ですけれども、なんだかそれに近い状態があたりまえ、というのがこのもの書き業界の通例のようであります。

 まあ、出版に関しては最近はあらかじめ契約書を交わして、なんてのが当たり前になってますから安心なのですが、それでも印税のとりそこないなんて話は未だに珍しくもない。請求したところから払ってゆく、なんておっそろしい版元も名のあるところにだって平然とあるのがこの世界なのでありますからして。

 改めて考えてみると、はて、どうしてこういうことになっているのか、と思うのですが、ひとつにはどうもわれわれニッポン人に、ゼニカネのことを表だって言うのはカッコよくない、という感覚が未だに根強くあるせいなんじゃないかと思います。

 先日も、これはとあるテレビ局、まあまずはマスコミの花形にいる連中が集まって十人ばかりメシ食ってた時に、おまえどれくらい貯金持ってるのか、という話になった時、日頃の仲のよさをよしみに珍しく白状しあったところ、なんと入社十年、三十代も半ばにさしかかろうというのに百万も持っていないのもいれば、オンナだてらに一千万以上も貯め込んでいるのもいるのがわかって、互いに顔見合わせていたのが脇で見ていて結構大笑いでした。

 三十代のこのへんといえば、オンナならば例の男女雇用機会均等法の恩恵に預かり始めた世代のはず。「自立」することが何よりいいことだと教えられ、二十代半ばにかかってくるまわりからの「結婚しなさい」プレッシャーにもめげずに仕事ひとすじに頑張って、値が偏差値優等生のマジメさがあるもんだから気がついたら貯金だってそこそこたまっちまった、てな感じのケースがほとんど。なるほど、いわれて見れば、一時よくいわれた「オヤジギャル」なんてのも、まさにこの世代ですよねえ。たまったカネでうっかりクルマ買ったりマンションに手出したりするともうこれは立派に「自立」オンナのいっちょあがり。会社帰りにメシ食うのでもひとりでラーメン屋や居酒屋に入って用を足せたり、ひどいのになるとパチンコなんか打って帰ったりする。こうなるとオトコに依存して生きる「結婚」なんて選択肢は見えなくなるのは必定で、こういう具合にしてオンナの「自立」は実現してきたのだなあ、と改めて感慨深かったのであります。

 ゼニカネで世の中成り立っているのはみんな知っているのに、そのゼニカネをきちんと語る言葉を未だに日常の中で持っていないわれわれニッポン人。GDP世界何位と威張ったところでゼニ持ってるのは年寄りばかりで、二十代の若い衆の貯蓄率なんてほんとに情けないものだといいますし。いや、あたしとていいトシこいて人のこと言えた義理じゃありませんけど、もう少し今年あたりから自分の身のまわりのゼニカネの現実について、きちんと言葉にし、口を出して語ることをし初めてもいいんじゃないかと思ったりしています。