フェミファシズムの尖兵「コメンテーター」

 メディアの現場周辺で「とにかくそう言っておけばさしさわりがない」という程度に空気と化してきた雰囲気としての「フェミファシズム」。その重要な発信源のひとつに、コメンテーターという連中がいます。

 こやつらは果たしていつ頃から当たり前の肩書きとして通用するようになってきたのか。考えたらよくわからないのでありますが、テレビにおけるワイドショーという形式の出現と密接にからんでいることは間違いない。あらかじめこさえてあった取材VTRを流しておいて、それに対してスタジオで何かもっともらしい「コメント」をする。かつて評論家という職種が出現し始めた頃に期待された「よろずもの申す」な役割が、もともとあった専門家、ないしはインテリとしての知見の前提が蒸発していった果てに「視聴者代表」というわけのわからない立場である種のキャラとしてもの言いを演じてゆく――コメンテーターという存在は、まあ、そういうものだと思って間違いないでしょう。そういう意味で、コメンテーターの突出は、信頼されるべきインテリ、ある分野での知見のプロフェッショナルとしての専門家のが大衆社会に埋没してゆくのに比例した現象と言えるのかも知れません。

 〇〇の専門家、ではない。あくまでも「視聴者代表」。世間的にはどういう肩書き、どういう世渡りをしていようと、立場としては末端の視聴者の同じ目線、同じ立ち位置でものを言う。それこそ俗情と結託し、世の空気におもねることを主旨とした商売なわけで、考えてみたら非常に気色の悪い存在ですが、このコメンテーターにさらに「オンナ」という要素が一発かんでくると、その気色悪さはよりとぎすまされて純化されるようなのであります。

 以前、中野翠が『プロードキャスター』を評して、「どうしてここまであたしの嫌いなやつばかり選んで出してくるんだろう」と言っていましたが、その嗅覚は正しい。マスコミの現場にすでにある種の「文化」として漂っている空気、それをまるで自分の思想、おのれの考えであるかのように呼吸して世渡りする輩であればあるほど、このコメンテーターとしてはデキがいい、ということになる。

 たとえば、こんなもの言いを平然と垂れ流して恥じなくなることだってあります。

 「私は人間で、私は女で、そしてそこから先は、どうも私には「私はこれこれです」と名乗るほどのものは、恥ずかしながらないらしい。ときに私は編集者であり、ときに私はインタビュアーであり、ときに私はザツブン家、ヒョーロン家でさえあり、イベントのプロデューサーもやれば、はなはだ心もとないが、カンリ職だってやっている。しかしそれらは、私がときに娘であり、妻であり母であるように(あ、ザンネンながら、このへんはまだやってなかった)、ときと場所と対人関係によってたやすくヒョーヘンする心もとないものなのだ。しかも、そのどれもが、自分としては職業的樹連度からいってもはなはだ中途半端きわまりなく見えて、胸をはって、「私はこれです」なんて言えたものじゃない」

 書いたのは島森路子。ほれ、『広告批評』編集長で、天野裕吉とコミでワイドショー系番組でコメンテーターとしてよくツラ出すオバサン。こやつは生年を明かしてないのもしゃらくさいんですが、団塊世代の真っ只中のはず。この発言は今から十数年前のことですから当時すでに推定三十代後半。いいトシかっくらったオバサンがここまでスカスカな能書きこいて平然としていられる才能は、まさに天然のコメンテーター。

 同様の世渡りしているのに、小沢遼子というのもいます。「朝まで生テレビ!」などでも半ば常連で、「リベラル」「民主派」の代弁者として使い回されてます。昭和12年生まれというからもう70歳近いご高齢ですが、未だ「オンナ」であることに居直り続けてものを言っておられます。法政大学社会学部心理学科卒。広告代理店、出版社勤務の後、「埼玉ベ平連」を結成。代表としてベトナム反戦運動に邁進しつつ、浦和市議や埼玉県議なども勤められた御仁であります。

 ベ平連というのも、もう説明しなきゃわからなくなってるでしょうが、今のピースボートの生みの親みたいなもんで、もともと北朝鮮のスパイ(みたいなもんでしょうが)小田実が音頭を取って出現した元祖市民団体。まあ、今ならこれも「プロ市民」なんて便利なもの言いができてるんですが、そういう「プロ市民」系団体のひな形こさえたのがこのべ平連だったと言っていいでしょう。「無党派層」なんてもの言いも同根ですな。かの辻元清美センセなどもこの周辺から湧いてでた物件なのはご存じの通りです。

 70年代のメディアまわりに、当時の学生運動を体験した世代が流れ込んでいったことはすでに知られていると思いますが、その中で主流になったのがひとつ、このベ平連系であります。あらかじめ約束されたエリートとしてのおのれの人生、なんてものを「自己批判」して、「自由」に「自立」したニンゲンとして生きてゆくためにはどうしたらいいか、てな感じで、実は当時すでに大学の大衆化が始まってエリートでもなんでもなくなっていた中で七転八倒していた。そんな一部が、おりから市場拡大し始めていたテレビや雑誌といったメディアの現場に居場所を求めて流れ込んだわけであります。

 具体的には『話の特集』とか『思想の科学』、『面白半分』なんてあたりはそういう気分が色濃く宿っていた雑誌だったかも知れません。版元だと筑摩書房晶文社、なんてのがそれ系の典型。映画やマンガ、音楽など後に「サブカル」とひとくくりにされるようなジャンルまわりにも、この流れは色濃くよどんでゆきました。また、同じく当時勢力を伸ばし始めていた出版社系週刊誌のまわりにも彼らは多くいつくようになって、それが後のルポやノンフィクションといった業界の底上げに貢献していったわけです。

 団塊の世代というのは、戦後民主主義の極相を生活意識として生きてきた世代であります。特に、そこに「オンナ」という縛りがかかるとその意識にさらにターポがかかる。というか、オンナにおいてこそ、戦後民主主義は最も野放しに稼働してゆく装置になってゆける内実を備えていたようなのです。「オンナ」で「個人」で「弱者」で「自由」で――とまあ、何のことはない、ものの見事に戦後民主主義のお題目だけ全開放、さらに加えて「消費者」自意識が裏打ちしているというバケモノですわな。

 もの言いとしては何やら小難しそうなこともふりかざすのですが、この島森、小沢の類のコメンテーター稼業の連中のバックボーンにあるのは、何も「思想」だの「イデオロギー」じゃない。ぶっちゃけ、「広告」であり「プロモーション」です。ミもフタもないゼニカネの流れの上に、それと意識されない形で成り立つ言葉本来の意味での虚偽意識(イデオロギー)。これが80年代になると、糸井重里だの川崎徹だのに象徴された「広告文化幻想」が最大値にまで肥大していった中で、このイデオロギーとメディアの現場の空気とのシンクロ率(笑)も極限まで高まりました。コメンテーターに代表されるメディアでのもの言い屋たちの発言が、まるで測ったようにある一定の方向性と幅の中で自足していったのもこの頃から。特に、オンナのコメンテーターというのは固有名詞と関係なく、広く使い回せるキャラとして重宝されるようになったのですが、局内の女子アナ、特に「キャスター」と称する手合いや一部芸能人がその代替物として進出してきた関係もあって、一枚看板で商売できる椅子にもある程度天井があるようです。島森、小沢の他には吉永みちこ、木元教子あたりが一応、名前が通っているクラスでしょうか。とは言え、吉永などは政府まわりの審議会関係でも便利に使い回される常連のようですし、もともとマンガ家の里中満智子なども同系統。「なんでもいいからオンナをひとり入れておけば」という時に、必ず一枚かんでいるカードとしてこのあたりの名前はもうおなかいっぱい、です。コメンテーターというモードはその程度に汎用性があるようなのであります。

 フェミファシズム とは言え、なにせすでにひとつの「文化」、イデオロギーと化していますから、こやつらの末裔というのは世代が下っても結構います。先のキャスター系女子アナや新聞記者あがり、何か社会的なもの言いをしてランクアップできると勘違いしている物欲しげなもの書き系などは、ほんとにどこで教わったのかと思うくらい、このコメンテーター系のもの言いや身振りの劣化コピーパージョンであることがお約束。森まゆみ荻野アンナ、芸能人系では東ちづるとか飯星景子なんてのも、要観察物件に入れておきましょう。