ナンシー関 追悼 for 毎日新聞

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 ナンシー関の死について、語ります。

 80年代出自の価値相対主義思想の、その最良の部分が死にました。その限りでこれは、思想的事件です。ひと昔前ならば、たとえばサルトルがくたばり、三島が割腹し、中上健次が早世した、いずれそういう大文字の固有名詞と結びつけられて語られるべき、あるひとつの「時代」とその精神を象徴するできごとになっていたはずです。ナンシー関の死、というのは、岡崎京子の“遭難”と並んで、実にそれくらい、同時代を生きる者にとって大きな意味をはらんでいます。

 テレビにもの言う、というのは、これまでも評論家たちのお家芸でした。古くは大宅壮一に始まり、藤原弘達細川隆元など、彼ら「オヤジ」評論家が何か「もの申す」時にはテレビは常に悪玉で、「衆愚」の権化として扱われてきました。テレビはバカであり、通俗であり、文化とは相いれないものだった。ゆえに、知性や教養の側からは当たり前に批判されるもの、でもあった。今でもそれは基本的に変わっていません。

 けれども彼女はそんなテレビを、そのバカで通俗なありようのまま、世間の多くが抱える日常の感覚の内側から眺めて語る、という離れ業をやってのけてきました。テレビを高みから見下ろすのでなく、バカで通俗なそのテレビと同じ空気を吸い、同じ場に生きている自分も共にひっくるめて眺める――そこに旧来の知性や教養を超えた「批評」が宿りました。

 それを可能にしたのが自己相対化――つまり「ツッコミ」です。バカで通俗なテレビに敏感に反応しながら、でもそんなテレビと共に生きるワタシって何、という自己相対化も必ずしている。月並みなニヒリズムに足とられておのれの立ち位置さえ放り出しがちな価値相対主義を一歩突き抜けて、彼女のそのスタンスは、「ツッコミ」がある種透明な自己抑制に昇華し得る可能性を見せてくれていました。そしてそれこそが、この高度情報社会における最も信頼すべき「主体」のありようを示していました。だからこそ、単なる売れっ子雑誌コラムニストの死にとどまらない衝撃が各方面に深く、静かに走っているのだと思います。

 ナンシー関に寄せるこの絶大な、しかしそのままでは絶対に世の安定多数にはなり得ない、そういう土俵とは最後まで関わりようのないところに宿った声にならない無告の「信頼」というものを、もはやここまで役立たずがバレバレになってしまった活字出自の知性だの教養ってやつは、さて、どれだけ謙虚に受け止められるか。それは言葉本来の意味での「政治」の問題であり、ごく普通の日本人、いまどきの「常民」の水準に即した、気分のフォークポリティクス、とでも言うべき領域と関わってきます。

 「いつも心にひとりのナンシーを」――けたたましくもとりとめなく流れるばかりの、この情報化社会の真っただ中で、うっかりと舞い上がらず、不用意に自意識を肥大させてしまわず、身の丈の「自分」の立ち位置を確認し制御してゆくために、ナンシー関の残した仕事はこれからもなお、あたしたちがこの国でまっとうに生きてゆく上で欠かせない、言わば常備薬のようなものであり続けるに違いありません。