書評・斉藤孝『スポーツマンガの身体』

 マンガはすでに日本人の一般教養である。かつての浪曲がそうだったように、戦後の日本人のものの見方、考え方を形成してきたメディアのひとつになっている、それは間違いない。そういう意味で、マンガをきちんと語ろうとすることは今後、日本人とは何か、を語る上でさらに重要になってくるはずだ。

 だからこういう本も出るし、注目もされる。身体論から読み解くマンガ、それもスポーツマンガ限定という趣向の一冊。『巨人の星』から『あしたのジョー』『スラムダンク』に『バタアシ金魚』、最近の『ピンポン』まで、ひとまず定番の有名どころを配して、新書という枠組みで想定される一般読者のニーズに応えようとしている。

 マンガ論、マンガ批評としてのクオリティは正直、問わない方がいいだろう。というか、これをマンガ批評として読むのは、おそらくスジ違い。著者の専門は、教育学と身体論・コミュニケーション論。そういう分野の専門家が、マンガを素材に何かものを言うというのがウリなわけで、これまでのマンガ批評の歴史や、最近の到達水準などにはほとんど言及していないし、おそらく著者自身、ろくに視野に入っていないと思われる。で、きっとそれでいい。文芸批評などではすでに試みられている身体性を介した「読み」を、マンガという素材をテキストにしてやってみた。そのへんの目新しさと、「東大卒の大学教授」が「マンガ」を扱う、という企画としての商品性が際立って新書としてはひとまず成功。マンガに限らず、いわゆるサブカルチュアに関する論考は、そういう落差による底上げを前提として消費されてきた不幸な歴史を持つわけで、その図式が未だ有効なのは評者としてはいささか心萎えるが、少なくとも、マンガを単に大量消費財としてだけとらえる一般読者が手に取ったとして、ふ~ん、マンガってそういう風にも読めるんだ、と、おもしろがれるのは確かだろう。と同時に、大学での文科系の教養がいま、どれくらい何でもありになっているか、を垣間見る上でも興味深い一冊かも知れない。