ハルウララ騒動顛末

「いやあ、取材されてこんなんもろたん、はじめてやわ……」

 口もとがほんの少しゆるむかゆるまないかくらいのごくごくかるい苦笑いと共に、宗石大さんは、ぼそっとそう言った。

 いまをときめく「日本一の“負け組”馬」、あのハルウララの調教師。去年の秋くらいからこっち、テレビから新聞、雑誌までがなだれを打って殺到し、世の善男善女もそれに追随してにわかに出現したハルウララブームに、発信地のここ高知競馬にもたらされた時ならぬメディアスクラムのその真っ只中に立たされた渦中の人。競馬開催中の忙しい中、さすがに騒動のピークは過ぎたとは言いながらいまだ引きも切らない取材陣の応対をかいくぐって別に時間をとってもらったことへの感謝の意味で、ほんとにわずかなんですけど気持ちだけ、と薄っぺらい封筒を差し出したその時、ああ、宗石さんは確かにこう言ったのだ――はじめてやわ、と。

「もうね、ほんとに苦しかったですよ。ノリヤク時代も含めて、昔はそりゃヤクザにさらわれて脅されたり、いろいろこわい目もおうてきたけど、それでも今回みたいな苦しいのは初めてやった。とにかく、取材が波のように押し寄せてくるでしょ。もう自分のことはなんもでけんようになる。朝は九時から十二時頃までテレビ局でしょ。それが多い時は三件も四件も並んで待ってるでしょ。そして昼からは新聞や雑誌にコメントでしょ。それから自分の(世話している)五頭の馬見て、風呂入れば今度は電話の取材ですわ。預託料の計算もでけんからお金も入って来ない……」

 ゆっくりと間をあけて、言葉を選ぶようにして話す。自分で自分の言葉を確かめるようにしながら、宗石さんは言う。

「……ほんまにね、正直言うて、もうすっからかんなんですよ。貯金も健康保険も全部解約して(競馬を)やってるん。テレビの取材が入ったばっかりにそんな目にもおうたし、ほんまになんで僕だけこんなしんどい目にあうんや、と思たよ」

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 それまで、ハルウララの騒動は遠くから眺めていた。眺めて、ああ、なんだかえらいことになってるなあ、と、ひとり気を揉んでいた。

 知らない現場じゃない。それまでも何度も古い話を聞きに出かけていたし、経営困難で賞金がどんどんさがってゆく地方競馬のこと、ついには一着賞金10万円ちょっと、預託料も10万円を切るという、先につぶれた中津や益田の最後よりもまだひどい水準になってまでまだ踏ん張って競馬を続けている高知の厩舎が、どういう日々を送っているのか、痛いほどわかっていた。そんな中でのハルウララ騒動、だった。

 去年の夏くらいまでは、地元のちょっといい話、くらいだったのが、秋風が吹く頃からはあれよあれよという間にメディア露出が増え始め、時には馬主でもない人間までいきなりしゃしゃり出てきて「引退させます」だの「乗馬にします」だのとうつろな眼でコメントし、またそれをスポーツ紙以下が大々的に報道する。何かただならぬことが現場で起こっているだろうことは、素朴に想像できた。

 ウララブームの仕掛け人のひとりで、ウララに関するグッズの管理・販売を担当するサポートKRAの代表も頼まれてつとめる実況アナウンサーの橋口浩三さんも、ウララの走るレースの実況は難しい、と苦笑いする。

「多少でも先行してくれたら道中、名前を呼べるんですが、僕たちは習性としてゴール前に目がいくわけで、といってハルウララを全く無視するわけにもいかず困ってます。この間の正月開催で走った時なんか、ゴールインした馬のはるか後ろの方でお客さんがウララを見てまだワーッ、とか言ってたり(笑)なるべく名前を呼べるようにしたいんですが、ふたつのレースを実況してるみたいなもので、正直苦労します」

「ほんまに、ウララのブームがここまでになったのは、何もほっといてなってわけやないんです。みんなの努力があってこうなってきたわけですから」

 主催者の前田英博さんはそう言って胸を張る。

「高知競馬はこのままなんもしなかったら確実に悪くなっていく。それは間違いなかった。と言って、このご時世、売り上げはすぐには伸びないから、とにかく話題づくりをしよう、騎手か馬かで話題をつくらんといかん、と、いつも言うておったんです」

 実は、ハルウララを売り出す前にもう一頭、別の看板を考えていた。イブキライズアップという中央さがりの葦毛馬。中央では1戦未勝利だったものの、高知に来てからは初戦の三着以降、いつもおいでおいでのぶっちぎりでなんと十五連勝。去年の夏、佐賀のサマーチャンピオンにも遠征、ノボジャック以下のつくる早いペースにもたじろがずに追走、六着と健闘していた。当日、高知競馬場の場外発売は大いに盛り上がり、地元のろくでなしたちから「高知のオグリキャップ」の声まで飛んだ逸材だ。

「よし、これをうちのメインの看板にしよう、この馬を売ろう、というんで、ちょうど十三連勝したあたりで宣伝する原稿を作ってマスコミに働きかけとった時に、実はうちに89連敗という馬がいるんですが、と広報担当の吉田君が言うてきた。それがハルウララだったんです」

 「スターター吉田」の名前で高知競馬のHPのテーマソングを歌い、ハルウララの歌にも参加している、その吉田昌史さんの言。

「去年の六月に、ウララが初めて高知新聞に出たでしょ。あの時に僕は、あ、これはスターになるかな、とちらっと思うたんです。でも、勝つためにやってる競馬で負け続けの馬を、それも当の高知県競馬組合の職員が宣伝してええんかな、というのがあったんで、一応管理者の前田さんのところにもってったら、う~ん、こんな負け続けの馬なんか取り上げてくれるとは思えんがのう、としぶい顔されたんですが、最後には、まあええわ送っちょけ、ということになったんです」

 それがすべての始まりだった。ダメもとで出した80通ほどのプレスリリースに、毎日新聞の高知支局が反応した。何週間か後に記者から電話がかかってきて、90戦目はいつですか、と言われて、いやもう走りました、と答えたら、すぐに飛んできた。「ほんとは地方版の記事やったんですが、毎日の中央のデスクがどうも競馬ファンやったらしくて、全国版に回してくれたらしいんですわ」

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 全国版に載ったその記事を、フジテレビの「とくダネ!」の小倉智昭が見つけてとりあげた。その日の新聞の目についた記事を並べて紹介する、あの番組だ。早朝、いきなり電話がかかってきて、朝八時からの放送でウララをとりあげたいんで写真を送れ、と言われた。受けたのは前田さんだったが、たまたまパソコンに強い職員がそこにいたので送ってもらえたとか。当の吉田さんはというと、「イブキライズアップの取材に出かけて帰ってきたら、前田さんが、おお吉田、今日ハルウララがテレビ出ちょったぞ、いうんで、何のこっちゃ、と思た」

 テレビにとりあげられたことで数社がやってきた。そのなかのひとつ、東京新聞の女性記者が書いた記事はなんと見開きで、見出しも「リストラ防止の対抗馬」とか思いっきり煽られていた。

「NHKとか、重松清さんのハルウララ本を出すことになる平凡社とかも、その記事がきっかけやったようですね。そこからはもう、加速度的に取材依頼が殺到するようになりました」

 「マスコミ関係の方は東京新聞をよう見とられるんですかね」と吉田さんは首をひねる。だが、それはおそらくこうだ。

 毎日の記事のトーンはまだ最初の高知新聞と同じ、素朴な社会面ネタだし、フジの小倉はテレビらしく、言わば地方のバカニュースといったノリで扱っていたのに対して、この東京新聞ははっきりとある意味づけを与えていた。それも、いまどきのメディアの現場@社会派系が考えなしに共有している「弱者」ヨイショな「おはなし」の枠組みで。別の言い方をすれば、ここで初めてハルウララは「美談」=「いいハナシ」の文法に押し込められることになったのだ。地方競馬に負け続けの馬がいる、という一次情報だけではダメで、そういう自分たちの飲み下しやすい「おはなし」にコンバートされて初めて、メディアは発情し始める。一次情報自体がはらんでいる文脈や背景――どうしてウララのような馬が未だに現役で走っているのか、そういう現実を可能にさせてしまっているいまの地方競馬の、その中での高知競馬の仕事としての現状などは、「いいハナシ」モードが発情し始めたそこでは当然、なかったことにされてゆく。

「あるテレビ局の人なんか、朝、新聞を開いたらハルウララの記事が載っちょったんて、おお、これはええ、とその面だけ自分のデスクの中に隠しておいて、会議にいきなり企画として出したらしいです。出した瞬間にだいぶ上の方の人までが、これはええハナシや、即やれ、ということになったらしいんですね」

 その後、99戦目まででのべ60社くらいの取材があって、100戦目でめでたく100社を超えた。国内だけではない。あまり知られていないが、アメリカのニューズウィーク、イギリスのタイム、雑誌もサラブレッドタイムズにカナダのトロットマガジン、オーストラリアの日刊紙にはるかスペインの通信社までがやって来た。この11日にはドイツのテレビクルーも来ていたし、近いうちにワシントンポストも来る。いやもう、ほんまにわけのわからんことになってます。

 ハルウララの歌も、最初に作ろうと言い出したのはNHKだったという。さすがにNHKではうまくゆかずに地元で自主制作みたいな形で出すことになったけれども、歌詞の原型となったという宗石さんの走り書きにしても、高知新聞の石井記者が厩舎のゴミ箱から拾ってきたもので、メロディも学生時代にバンドをやっていたという吉田さんがクルマの中で鼻唄で歌っていたもの。それを地元のミュージシャン堀内賢さんがひと晩で曲にしてくれた。「曲は永渕剛風で、ギターのイメージは『あらいぐまラスカル』のイメージで、最終的には『走れ!コウタロー』みたいに橋口さんのアナウンスを入れて」という、むわけのわからない注文をつけたのは吉田さんだったというが、「イメージ通りのデキやったんでびっくりしました」。ウララグッズの販売を担当するサポートKRA限定ながら、これまで数百枚が売れた。その他、おまもりやTシャツなども好調で、正月2日の時などは一日で百万円以上も売り上げたという。預託料も稼げないウララのためにこれらグッズの売り上げの10%を厩舎に戻すという形をとっているので、少なくとも去年の暮れあたりからこっちの預託料は、ウララは自分の名前で稼いでいることになる。ウララのキャラクターで商売しようと寄ってくるあやしい連中もいるんじゃないですか?

「そらもうたっくさんいますよ、本なんかもだいぶ出てますけど、いろいろ現実とは違うこと書いてありますわね(笑) 高知競馬の売り上げが何倍かになった、とか書かれてる方もいらっしゃいますが、あれは嘘です。そら、何百万かは増えてますよ、この間の単勝も一番人気でしたが、普通のうちのメインでも単勝は15万くらい売れたらいい方ですよ、それがあの日は590万円。そのうちハルウララが200万くらい。しかも、レースの結果はちょこっと斜めに入ったもんだから単勝五千円もついたでしょ。ウララのレースは馬券を当てに行く人にとっても魅力かも知れません」(前田さん)

「報道が報道をつくってくれたところと、こっちも先を予測してそれに乗っていったところがあるんです。途中で、引退してどこ行くとかアテネ馬術がどうとか、ヘンな噂も出ましたけど、でもそれは中に勇み足の人がいただけのことで、一部で言われている三月の引退というのも絶対ありません。おかげさまで賞金や手当ても何とか去年の水準に戻せましたし、高知競馬が来年度も続く以上、ハルウララも高知で走ります」(前田さん)

 ウララがいま、高知競馬から去ったらただの馬になっちゃうよ、ここにおるから意味あるんだよ、それを十分に理解をしてくれるならいいけど、今よそへ引っ張ってって高知を離れたらただの馬になるよ――ウララの引退後を画策して立ち回る人たちに向かって、前田さんはそう諭したという。

「直接の経済効果はわたしは考えてないんです。そんなもの今はどうやっても無理ですから。勝つ馬じゃなくて負ける馬にみなさん投資するはずないですし、馬券だって言わばお土産として買っていただいているわけで。それでも、この地方競馬のきびしい時代に、どこの競馬場でも泣き言しか出ないのに、いそがしいよ、大変だよ、と言えるのはすばらしいことだと、わたしは言うてるんですよ」

 前田さんはウララを「撫で肩」だと言う。ごつい感じではなく、いかにも非力なはかなげな馬体と名前の「ハルウララ」がまた実にうまくマッチした、とも。ただ負け続けているだけならここまで人を惹きつけるはずがない。彼女自身にも、ひと目見たら何となくわかる魅力があったからこそなんだ、と。

 確かに、実馬のハルウララは細身で筋肉もあまりついていず、何よりき甲もまだ抜けていないまるで子供のような身体つきだった。人間ならば幼女体型。競馬が嫌いで装鞍所で脚をプルプル震わせて緊張している絵が、NHKのドキュメントでも拾われていた。厩務員の藤原君の姿が見えなくなるとあわてて探す。パドックでは顔をしゃくって鞍上の古川騎手を困らせる。勝負に行けば行ったで他馬をこわがり馬群を避けて耳をしぼりっ放し。脚質は差し、ということになっているが、後ろから行くしかない性格なのだ。人間ならば……うっかり入った小さな会社でいつのまにかお局サマになってしまった安達祐実、てなところか。


 1月12日、ハルウララは102戦目の競馬に出走した。前回の出走からわずか中十日である。明けて八歳のサラブレッド牝馬。昔ならば九歳なわけで、どこをどう叩いても買える要素はない。この日も、三歳時には大井でオープンだったシングルトラックなどが同じレースだった。過去二年の賞金は加算しないというローカルルールのせいだが、そりゃあなた、かわいそうだっての。

「ここまでお客さんがついてきたんやから、どないかしてひとつ勝たしたろとみな思てるんやけどなあ」 

「去年の11月あたりが一番チャンスやったんやけどな。年明けたら強い馬がまた入ってきとるしもう難しいやろ」

 馬場の脇にある控室で、引き手を肩にした厩務員さんたちが言い合っている。正月2日の時など一枠(高知では内枠は不利)を引いたウララを見て、おい、枠順変わったろか? と宗石さんに持ちかけた調教師もいたとか。ノリヤクたちも、お客さんのために見せ場くらいはつくらないと、と無理して先行しようとするウララには気をつかっていた由。いや、それ以上に公称8300人あまり、実際には一万人以上が押し寄せて高知競馬場始まって以来という前代未聞の大観衆にノリヤクたちも興奮し、誰が決めたわけでもないのに、みんなとっておきの新しい勝負服を着込んでいたという。

 そんな正月開催からうってかわってこの日、集まった観客はせいぜい2000人あまり。それでもふだんの高知競馬に比べれば上出来の部類なのだが、その目の前でウララはしんがり負けを喫した。外枠から一応、先行するという意志を見せたのは前走よりましだったにせよ、向こう正面ではもう馬群から遅れ始めて直線ではぽつんと一頭取り残されている始末。単勝馬券をお守りがわりにひとりで大量購入する人たちが続出、大渋滞を起こして発走を25分も延長しなければならなかった前回の教訓から、穴場には「ハルウララ専用発売窓口」まで設置して万全の態勢だったのだが……

「あんな速いレースとか見てたらね、ウララがかわいそうや……」

 この102戦目の負けっぷりを見て、さすがの宗石さんもこうつぶやいた。一部が先走ってひとり歩きしてしまった、引退後は乗馬にするという話にしても、正直、どうかなあ、と思う。

「オリンピックの馬術に出場してる選手がやってくれるというんで、できんことはないと思うけど、まあ、何より馬体的に酷ですわね。案外乗馬っていうのは馬がもたんのですわわ。毎日毎日同じことさせるし、それも競馬と逆のことさせるわけで、あの馬術の収縮姿勢というのは馬はに一番負担なんですわ」

 工事現場用のジェットストーブがゴーッという音を立てる前で、ウララは寡黙な藤原君に手入れをしてもらっている。その姿が、苦しい状況で肩寄せ合う姉と弟のようにも見える。藤原にもかなり気ぃ使ったんですよ、あいつも取材何十件も受けてキレそうになってて、顔みてたらわかりますからねえ、そういうのは。

「僕はね、何かウララに事故が起きないうちに引退させたいんですよ。何かあったら今度は僕が非難浴びるやろしね。それまでは、そっと回ってくるだけでええぞ、とノリヤクに言うてたのが、98戦目くらいからはお客さんもようけ来るんで、少し無理してでも前行けたら行くようにせい、と指示するようにしたんですが、そうしたらやっぱり無理がかかる。どうしてもね、その馬の能力以上に走らせようさせると、フォームがバラバラになるんですよ。そうなると今度は脚をぶつけたりね、いろいろと問題が起きてくる」

 暮れに出た脚部の不安もそれだった。3月22日の黒船賞の時には、武豊アンカツでも乗ってもらえないか、と主催者側は言っているけれども、馬にもきついし、いきなり乗るノリヤクだって。「そうそう、競馬を知っている人はそういうことわかってくれるんやけどねえ」

「とにかく目立たないように、他の厩舎にいろいろいわれんように、と気をつかってやってきたんですよ。どこの取材を受けた、というようなことも、僕は一切まわりには言わなかった。だから、地元よりも東京やら海外やらでウララは話題になってたんやと思います。よそで騒ぎになってるんで、なんやうちにそんな馬がおるんか、という感じやったんと違いますか?」

 百戦目をウララが走ったあと、思わず涙ぐむ宗石さんの姿がNHKの番組でも拾われていた。

 いかにも「いいハナシ」にふさわしい絵になっていたけれども、でも、高知競馬場の人たちは、あの涙のほんとうの意味を知っている。

 最初はうっとうしいわ、と思て取材にいやな顔もしたけど、主催者から取材を持ちかけたんがわかったんで、こら愛想ようせないかんな、おカネももらえんけどしゃあないわ、と。取材こられた人はどう思われたか知らんけど、僕は僕なりに精一杯に取材の方には愛想ようしてきたつもりなんです。これは万人にひとりのことやし、こんなことは二度とないことやし。このハルウララ高知競馬場の売り上げにも少しでも貢献できればええことやし、ハルウララも奇跡かも知らんけどオレにとっても奇跡かもしれん、ここまで人びとに注目されるようなことは一生にもうないろ。やけ、やるだけやってみようと思いだした。百戦までは、これは一生に一度の大仕事じゃ、と思ってやろか、と。

「そりゃね、朝の二時から押しかけてうまやに入り込んだり、外の馬道にカメラすえて取材されるんで、馬が驚いて何とかならんか、というような苦情もよそから何件もきたしね。けど、百戦目の前くらいから、まわりの人らも、大ちゃん大変やったなあ、大ちゃんやからできたことやなあ、言うてくれるようになってきたんで、それだけはいま、ほんとによかったなあ、と思てます」

 引退? それは馬主さんの決めることだから……と宗石さんは、そこはそれ、調教師の顔になってそつなく答える。馬主欄に名前のある横山さんというのは、宗石さんがノリヤク時代からの古いおつきあいの馬主さんだとか。他にも持ち馬が厩舎にいる。廃止確定と言われていた去年の七月の段階でもう処分してくれ、と言われていた馬が、ほんとにひょんなことからこんなことになって、おいそれと手放せなくなった。だったら、走れる間は走らせてやるのが僕の仕事ですし、先のことなんか今は考えられません……

 話を聞いている間にも、宅急便がやってきてファンからの差し入れを届けにくる。今日はリンゴかニンジンか。「とにかく、ここの厩舎がダントツに多いんですよ」――日に焼けた顔のアンちゃんはそう言ってにっこり笑った。


 おい聞いたか、シンボリクリスエスハルウララ、いま、海外で一番有名なニッポン馬は、実はこの二頭らしいぜ――そんな馬鹿話もまた、高知のスタンドにはささやかれるようになっている。

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