地方競馬クライシス

 ほんとに地方競馬はどうなってしまうんだろう――今年になってまた改めて、あちこちで尋ねられるようになっている質問です。それほどニッポン競馬、とりわけ地方競馬をめぐる状況は、ここにきたまた一段と予断を許さないようなことになっています。

 ご存じのように去年、宇都宮、高崎と県営レベルの競馬場ふたつが立て続けに廃止。先にすでに開催を行わなくなっていた足利とあわせて、これで北関東三場は全滅となったところに、あの笠松までもあわや、だったところを、梶原県知事の任期満了寸前の英断(でしょう、やっぱり)で、一年間の“執行猶予”つきの存続が決定。綱渡りのような状況で、何とか競馬を続けているのが現状です。ご当地岩手県の経営状態は言わずもがな、ホッカイドウも売り上げ好転せず、園田も同様、今秋JBCに手をあげた名古屋も青息吐息ですし、最後のアラブ専門競馬場としてサラを導入した競馬場に比べて賞金水準その他でまだ頑張っていた福山も、アラブ資源の枯渇を前にこの四月からいよいよ賞金を半減……と、まあ、ざっと見回してみただけでもいい話がどこからも聞こえてこない、というのが正直なところです。

 ただ、競馬法改正を中心にニッポン競馬の“構造改革”を進めている方面からすれば、この笠松の「存続」は想定外の事態、だったようです。これは信じたくないことですが、地全協の職員あたりまでも厩舎関係者の免許更新の面接で「笠松? あそこは今年いっぱいでなくなるよ」てなことを平然と言い放っているとか。ほんとだとしたらとんでもない。おまえら、これまで瀕死の競馬場に対してろくに手助けもせず、あまつさえ赤字の経営状況でも上納金かすめとって食ってるくせに、死に物狂いの厩舎関係者が中心になって運動を続け「存続」を決めた競馬場に「ご苦労さま、何もできなくてすまんかった」のひとこともかけてやれないのでしょうか。それとも、すでに残すべき競馬場の「選別」はすんでいる、ということなのでしょうか。

 いまの地方競馬危機の本質が、「お役所競馬」の限界、だということを、もうあたしは何度も、ことあるごとに言っています。県や市の職員が主催者にいて“役人”という縛りの中で競馬をやっている限り、今のこの赤字体質は好転しませんし、まして累積赤字は絶対に解消できない。売り上げが下がったから、という理由で賞金をさげられ、開催日数も削られ、預託料その他の経費をギリギリまで切り詰めて何とかしのぐしかない状況の続いている厩舎側に比べて、主催者側の幹部職員は、どうかすると未だにひとりあたり年間一千万円ももらっていたりするという不条理。さすがに最近では、そんな不条理に厩舎側も気づき始めて、自分たちの食っているこの競馬ってそもそもいったいどういう仕組みで成り立ってきてるんだろう、という素朴な疑問が共有されるようになってきた。それはそれで、このところの地方競馬クライシスのひとつの効果だったと思います。そう、厩舎側ももう黙って馬さわっているだけじゃない。学ぶべきところは学んできています。

 公務員法で縛られているから職員の給与をおいそれといじるわけにはいかない、という理屈はあるでしょう。でも、本気で競馬事業を何とかしようとするのなら、理屈は現実にあうように変えてゆくべきですし、それこそが「政治」の役割のはずです。小手先のその場しのぎできれいごとの“アクションプラン”などいくら出してみても、自ら血を流す覚悟があるかないか、何よりこの主催者は本当に競馬を愛しているかどうか、厩舎側もそしてファンも、もうちゃんと見抜いています。

 笠松の場合は、主催者を構成していた三団体(岐阜県笠松町岐南町)から岐阜県が事実上抜ける形をとることで、県職員の多くを地元の笠松町岐南町の職員と入れ替えることなどで思い切った人件費の削減ができた。それでも不十分なところはまだたくさんあるのですが、しかし、これだけでも従来の主催者体制のままではできなかった大ナタを振るったのは確かです。結果、去年度より売り上げはまだ下がり気味なのに、場外発売も合わせた収支では四月からこれまでのところ赤字は計上されていません。ということは、これまで主催者はどれだけムダな経費を使っていたか、ということが改めて証明されてしまったわけで、これは何も笠松だけでなく、全国の競馬場に当てはまることのはずです。

 その笠松が先日、北海道からオグリキャップを呼んできた、ということは、スポーツ紙その他でも話題になったので、ご存じの向きも多いでしょう。オグリキャップ記念に合わせての、言わば客寄せのイベントでしたが、それでも結果、初日だけで八千人あまりの観客が入り、一億七千万円もの売り上げをあげて、“オグリ特需”と揶揄されるほどの効果がありました。いまやふだんの開催日一日あたりの売り上げが一億円を切るのが当たり前になっている現状で、この数字は特筆もの。何より、ふだん平日の笠松に足を運ばないようなファン、かつてニッポン競馬の最も熱かった時期に競馬に熱狂した、でもいまはもうそれほど競馬の方を向いていない世代までが開門前から並んでくれたことは、去年のあのハルウララ現象と同じように、いまのこの競馬をめぐる環境を考えさせてくれるいい素材になりました。盛岡でも昨秋、スイフトセイダイの「里帰り」イベントがありましたが、ああいう形でもいい、これまでの競馬の“記憶”をもう一度掘り起こして〈いま・ここ〉に還元してゆくような試みも求められます。今すぐ売り上げ増につなげて結果を出さないと、と焦るばかりで、オンナ子供がいくら入っても馬券は売れない、とうそぶく主催者の感覚ではもうダメ。カップルであれ家族連れであれ、今はとにかくまず競馬場に足を運んでもらう、そこで何かおもしろいことがある、楽しいイベントをやっている、ということを知ってもらうのが第一。単に馬券の勝ち負けだけではない広い意味でのテーマパークとしての競馬場、という観点が必要なのだと思います。それは、たとえばセ・パ交流戦で新たな時代を開いたプロ野球の、千葉ロッテ日本ハム楽天といった“ニューカマー”たちの球場でのファンサービスのありようとも通じます。メディア主導、広告資本まかせのプロモーションでない、地元密着で手作り感のある“場”づくりの知恵。もちろんそれは、「お役所」の一番苦手な分野ではありますが。

 ただ一方で、馬産地の状況がもう限界、という大問題もあります。馬産農家一軒あたり平均五千万円ともそれ以上とも言われる赤字を抱えた日高の状況からして、もしも廃・転業のための資金が提供されるようになれば一気に店じまいする生産者が続出するでしょう。内国産馬千頭体制、といったことが少し前から馬産地エスタブリッシュメントの間で半ば公然と口にされるようになっていましたが、それがいよいよ現実のものになりかねません。となると、いくら競馬場が「存続」で頑張ったところで、競走馬資源自体が縮小するわけで、まして昨今、馬主もまたどんどん減っているわけですから、馬券の売り上げうんぬん以前に馬がいない、レースが組めない、という理由でつぶれる競馬場が出てくる可能性も、冗談ではなくあり得ます。実際、通年開催で安定して番組を組むためには、競馬場の規模にもよりますが、やはり最低でも五百頭は在厩していないと苦しいはず。特に夏場の開催は消耗も激しいですし、特に西日本の競馬場はなおさらです。さらに今年は水不足もすでに予想されていますし、夏をうまく越せるかどうかでまた、秋口には新たな「存廃」論議が起こる競馬場が出てくるでしょう。

 予定より半年から一年、進行が遅れていると言われていた競馬法改正ですが、農水省競馬監督課長の交替をきっかけに新たな動きもまた見え始めました。このところ、競馬議連のメンバー自ら笠松や名古屋に出向いて、現地の関係者といろいろ接触を繰り返しています。懸案の東海地区ブロック化構想に目鼻をつけようということでしょうか。いずれにせよ、早く全体の方向性をはっきり示さないことには、それぞれの現場の努力もまたムダになってしまう。そんなニッポン競馬全体を巻き込んだ大きな流れを自前で見据えるだけの情報収集力や決断力が、主催者にもまた求められています。