笠松の「上納金」猶予に続け!

 地全協が、笠松競馬の「上納金」を三年間猶予することになりました。地元一般紙ではそこそこ大きく報道されていましたが、それ以外ではほとんどスルー。なので、競馬関係者の間でもまだあまり知られていないようです。

 要するに、売り上げの一部から地方競馬場が地全協に「上納」している一号交付金というやつを三年間猶予しましょう、ということ。具体的には、売り上げの0.55%を「畜産振興」のため、という名目(これはこれでまた別の問題がありますが)で納めているのですが、この額が笠松の場合、三年間で総額二億円くらいになるとか。これは今年一月に施行された改正競馬法に規定があって、農水省に収支改善計画を提出してそれが認められれば、という条件つきで「上納金」は猶予、ということだったのですが、笠松が全国でさきがけてこの制度を積極的に活用したわけです。まあ、新しい競馬法の趣旨が活かされたひとつの例、と言ってもいいでしょう。

 ただ、気になるのは、この規定を活用しようとしたのが今のところどうも笠松だけらしい、ということです。改善計画の提出からそれが認められるまで半月ほどという、お役所にしたら異例と思えるスピードで農水省も対応したようですし、さあ、どこも深刻な赤字経営に苦しんでいる地方競馬場の主催者のみなさん、ほんとに競馬事業をどうにかしようという気があるのなら、ここはもうどんどん後に続いて「うちも台所事情が苦しいんで“上納金”猶予してくれ」と駆け込むが吉、です。程度の差はあれどいずれほとんど危篤状態にも関わらず、未だにお互い顔色をうかがいあうばかりで将来どうするかという構想も出せないまま、と言って自ら「廃止」を言い出す度胸もなく、ただ息絶えるのを待っているくらいならば、とにかく大風呂敷でもいいから改善計画をこさえて、自前でもうひと踏ん張りしてみるから今のこの貧乏所帯からカネむしるのはちょっと待ってくれ、と言ってみることです。

 だいたい、「財政(に寄与する)競馬」が地方競馬存立の根幹とは言え、売り上げの低下で赤字が慢性化していながら、そんな競馬場からもなお「上納金」を粛々とかすめとる制度の不条理さは、これまでも言われていました。せめて「畜産振興」という縛りを緩和して、馬が稼いだカネなんだからもう少し馬と競馬にうまく還元できるように、というあたりまえの議論さえも、単に地方競馬だけではない“大きな枠組み”の中ではまともにとりあげてもらえません。農水省その他、その“大きな枠組み”でニッポン競馬を管轄している(らしい)方面にこのへんをぶつけても、「それぞれの主催者が独自のご判断でやられている(競馬)事業ですから」といった答が返ってくるのが関の山。お説ごもっとも、なのですが、しかしそれをタテに事態を静観するばかりなのはまた別の話。その主催者の実体が果たしてどういうものなのか、あなたたちとて知らないわけでもないでしょうに。

 こんな話もあります。とある小さな競馬場、ということにしておきましょう。ここの主催者、自分の競馬場の在厩頭数さえきちんと把握していなかった。だったらこれまでどうやって番組組んでたんだ、と言いたいところですが、競馬事業に携わりながら在厩頭数も知らないまま、これまで通りに機械的に番組組んで馬を流し込むだけで競馬がまわってこれたのだとしたら、皮肉でなく、地方競馬ってのはほんとにシアワセだったんだな、と思います。競馬を事業としてまわしてゆくための最低限の資質や知識。それらを、これからの主催者にはきちんと備えていて欲しい。でないとまた、馬と、馬に近いところで生きている人たちにだけ、しわ寄せが行くことになります。

 いまの地方競馬危機の本質が、「お役所競馬」の限界、だということは、もう何度も言ってきました。県や市の職員が主催者にいて“役人”という縛りの中で競馬をやっている限り、今のこの赤字体質は好転しませんし、まして累積赤字は絶対に解消できない。売り上げが下がったから、という理由で賞金をさげられ、開催日数も削られ、預託料その他の経費をギリギリまで切り詰めて何とかしのぐしかない状況の続いている厩舎側に比べて、主催者側の幹部職員はそのような「痛み」から遠いまま、どうかすると未だにひとりあたり年間一千万円ももらっていたりするという不条理。さすがに最近では、そんな不条理に厩舎側も気づき始めて、自分たちの食っているこの競馬ってそもそもいったいどういう仕組みで成り立ってきてるんだろう、という素朴な疑問が共有されるようになってきた。それはそれで、このところの地方競馬クライシスのひとつの効果だったと思います。そう、厩舎側ももう黙って馬さわっているだけじゃない。学ぶべきところは学んできています。 公務員法で縛られているから職員の給与をおいそれといじるわけにはいかない、という理屈はあるでしょう。でも、本気で競馬事業を何とかしようとするのなら、理屈は現実にあうように変えてゆくべきですし、それこそが「政治」の役割のはずです。小手先のその場しのぎできれいごとの“アクションプラン”などいくら出してみても、自ら血を流す覚悟があるかないか、何よりこの主催者は本当に競馬を愛しているかどうか、厩舎側もそしてファンも、もうちゃんと見抜いています。