DV再考

 

 DVというもの言いがあります。デジタルビデオ、じゃなくって、ドメスティックバイオレンス、の方。直訳すれば「家庭内暴力」ですが、これは親から子供、夫から妻、といったオトコ(強者)からオンナコドモ(弱者)への暴力、という意味にだけとられてしまいがちなので、どうもわが内閣府あたりでは、「配偶者、パートナー、夫(妻)からの暴力」といった脈絡で使うようです。

 この判断、結構正しいかも、です。だって、このDV、自己コントロールのできないオトコが主体と思われがちですが、どうも最近、オンナの方も平然と暴力を振るうケースが増えているようなのです。罵倒や侮辱などことばの暴力もさることながら、すぐにほんとに手が出る、蹴りが入る。昨今若い衆が「やさしいオトコ」になってるのをいいことにやりたい放題、というケースも案外あって、またいわゆるDVのイメージと逆なので問題化しにくい分、こじれているケースが少なくないようです。

 かつてオンナのケンカは髪を引っ張る、かみつく、といったものでした。「殴る」はさらに論の外。それが平手打ちから蹴りになり、昨今では女性格闘家やボクサーまで出現、兄弟姉妹げんかで平等に取っ組み合う光景も気がつけば案外ある。小学校の先生方なども、そういう「オンナのコの粗暴化」の現実にはすでに気がついているはずです。

 男女平等、女性の社会進出に伴って、こういうDVだって当たり前に現実化する。マスコミや政治家、お役所筋が近年、やたら掲げたがるあの「男女共同参画化社会」というお題目にしても、型通りのDV理解からは見えにくいこういう現実も含めてきちんと見つめる構えがないと、オトコは常に泣き寝入り、新たな性差別や抑圧の再生産、なんてことにもなりかねません。