民主党という現在

民主党、というのは、見ての通り、とにかく寄せ集めである。

混成部隊、と言えば聞こえはいいが、要はつぎはぎ、それも同じクルマの部品ならばまだしも、クルマや船や飛行機に、工作機械や農機具、なんだかよくわからないガラクタに至るまで、元の素性も定かでないパーツがひと山いくらになっているようなもの。どう組み合わせてみたところで、まともにうまく動いてくれる気遣いはない。

いまさら改めて言うまでもない、もうずいぶんあちこちで言われ倒していることではある。

自民党橋本派を始めとしてコテコテの利権誘導型オヤジ議員たちから、元社会党の労組系以下のベタベタ自称「リベラル」代議士、さらには元民社党生き残りのかつての文字通りの中道左派はいるわ、それに加えて新しく公募で入ってきた若い世代、経歴的にも元高級官僚から元プロ市民から元松下政経塾から元市議町議県議まで、もうほんとに何でもあり。党首は党首でくるくる変わっているけれども、その本体というか正味のところは基本的に変わっていない。それは、いまさらいくら小沢一郎がシャッポにすわったところで、一朝一夕に変わるようなシロモノでもない。

もとはと言えば、江田、菅、横路らを中心にした親子二代(江田と横路は共に大物左派政治家の二代目で、菅は江田の高弟にあたる)にわたる「リベラル」大合同というのが、民主党ができた時のもともとの目論見だった、と言われる。いや、そこに「壊し屋」小沢一郎自民党を割って出てきてマウンティング、さらにわけのわからないことに、というのは、党内サヨク/リベラル系人士の言い分。その一方で、同じ民主党でも保守系分子からすれば、あいつらリベラル野郎が巣くってるから支持が広がらないんだ、といったものだろう。まあ、どっちもどっち、ということなのだが。

あっさり言ってしまえば、今の民主党はダメである。それはまず間違いない。とてもじゃないが、安心して日本を任せられるような政党ではない。自分たちでしょっちゅう口にする政権交代が、何かの間違いでほんとになったとしても、政権担当能力などあるようには見えない。生徒会の自治会ごっこ並みのかのシャドーキャビネット影の内閣)を見るまでもなく、かつての村山内閣、いや、それ以上の支離滅裂な政権ができあがってしまうだろうことは大火事を見るよりも明らか。それは何も理屈じゃない、小難しい知識でもない、普通に今の政治ってやつを眺めている、いまどきのニッポンの〈その他おおぜい〉としての、ごく素朴な感覚、等身大の知恵、ってやつだ。

じゃあ、だったら社民党みたいに政治的に消えてなくなっちまってもいいか、というと、そう簡単に言いっ放すわけにもいかないらしいところがあるから、ことは難儀である。

確かに、現状とにかく寄せ集め、それぞれが政治家としてスジを通せばいくつかのグループに分裂してしまうのが必然としか見えないのだが、それでも、今のこの政治状況では腐っても野党第一党。なにせ肝心の与党の方にしても、かの小泉が表舞台に登場して以降は連戦連勝、何か盤石の一枚岩のように見えてはいても、永田町のパワーバランスの上ではしょせん自民党にあの公明党がおんぶおばけのようにくっついて成り立っている連立政権であることは相変わらずなわけで、だからこそ、たとえどんなにスカでも寄せ集めの役立たずでも、カウンターパートはないよりあった方がまし、という判断もひとまずあり得る。他でもない、このあたしでさえ、ある程度はそう思っていたりする。

特に、今のニッポンみたいな社会だと、支持政党は特になし、という層、俗に言う「無党派層」がどんどん拡大、百歩譲って支持する政党がたまにあったとしても、だからと言ってそこに単純に投票するような投票行動をとってくれるようなシンプルなものでもなくなっている。

たとえば、難しいことは抜きにして、高度経済成長以降のニッポンの「戦後」とその延長線上にある今のこの暮らしぶりをとりあえずは肯定、だからその限りではおおむね与党支持なんだけれども、でも、それがあまりに強くなりすぎるのもナンだから一応ここは批判票を入れとこうか、といったある意味で評論家的、別な意味ではいらぬ気を回しすぎな意識を持ったうっかりとナイーヴな選挙民が少なくないのが、このニッポンの高度大衆社会の現実。数字の上では、選挙のたびに揺れ動くように見えるいまどきの「民意」ってやつを支えているある部分には、そんな選択をしてしまう性癖を持ってしまった結果、民主党(でなくても、要はカウンターパート、つまり与党以外の多数派部分)に一票投じておく、という、高度大衆社会に宿る最大公約数の気分、ことの本質として相対主義的なある種の批評意識の必然、といったところもかなりの部分、含まれているはずなのだからして。そして、そういう必然というやつはおそらく、選挙分析や世論調査、地道な取材といった通りいっぺんな手法の積み上げからだけでは、うまくその手ざわりをこちらに感じさせてはくれないものでもあるらしい。

だから、民主党はどこかで割れるのがスジであり、必然なのだとしても、それがよりよくニッポンの未来に役に立つように割れてもらうためには、その環境やタイミングもあれば、そのための準備もある。何より、ニッポンの政治をめぐって〈いま・ここ〉で一体何が起こっているのか、について、ニュースキャスターや政治評論家、学者など「エラい人たち」の知識で固めたもの言いの表層とは別に、もっと身の丈にあったところでの素朴な知恵、といったものをそれぞれの手もとで共に整えておく必要があるように思う。誤解をおそれずに言えばそれは、この観客民主主義状況(それは決して悪いものでもない、とあたしゃ思っている)における、政治をよりおもしろく、だからこそほんとに役に立つものとして眺めることのできる観客としてのリテラシー、を上手にとぎすませてゆくこと、なのだとも。

要するに、冷戦構造下で、国内政治的には二極構造を形成していた保守と革新、のその革新の側が一気にグズグズになってしまった、その表現としての離合集散を繰り返して、何とかひとつの看板の下に押し合いへし合い身を寄せ合っている、というのが民主党の現状である。

で、思いっきり無責任に言いっ放してしまえば、それは基本的に悪いことではない。というか、はっきり言って正しいかも知れない。なぜか? ほんとならば当の保守、要するに自民党の方もそれに見合って離合集散、再編成をきっちりされた方がよかったのだが、現状それが未だできていない、むしろ「野党」の方が先まわりしてそれをやっちまっているからいっそわかりやすいじゃないか、とまあ、そういうことなのだ。

 もちろん、自覚的にそうなったわけではない。おそらくご本人たちも居心地悪いまま、互いになんだかなあ、と思いながら「民主党」という看板を掲げてみている、おそらくはその程度だ。それが証拠にこの政党、それぞれの議員センセイ方に「政党」という帰属意識が、はたから見ているよりもずっと薄いらしいのだ、良くも悪くも。政党というまとまりが薄い、個人プレイである、若い世代が無条件でやりたい放題である(ように見える)、

 だからこそ、民主党とは実は、「戦後」があらかた終わってしまいつつあるこのところのニッポンの政治の、本質的な問題点をまるごと抱え込んで見せてくれている、ある意味ありがたい存在、なのかも知れないのだ。




民主党がいくらスカだと言っても、その一方で、当の自民党にしたところでもしかしたら、置かれている状況というのは基本的に同じなんじゃないか――そんな疑問は以前からうすうす感じていた。

そういう風に、状況のある本質を鏡のように見せてくれるためにこそ、おそらくいま、民主党は存在意義がある。スカであればあるほど、そのスカが実は民主党固有の問題というだけでなく、もしかしたらある部分でいまのニッポンの政治をめぐる状況そのものに含み込まれている、そんなスカなのかも知れない、と立ち止まらせてくれる、そんな反面教師としての役割。同じダメでも、社民党共産党がダメ、というのとほんの少しだけ違うところが民主党にあるとしたら、きっとそのへんなのだと思う

たとえば、この春先ににわかに大騒ぎになったかのメール事件の顛末を見ていて、そのことを改めて確信した。

永田議員、前原代表、そして野田副代表、というコンボで切り盛りされたあの一連の茶番、要は業界札付きのヨタ記者の持ち回ったガセネタ電子メールひとつが発端。ちょっと立ち止まって考えればことの真偽くらいは確認できそうなものを、これこそが与党にとどめを刺す究極のアイテム、念願の政権交代が一気に実現できる最終兵器、とばかりに盛り上がった幹部含む一部が、ひとりよがりなヒロイズム任せに勝手に暴走、あげく一時は国会の審議が事実上停滞、メディアの重囲の中での国民環視の劇場政治だからスカ具合がみるみる増幅されてゆき、最大野党が空中分解寸前にまでなる大騒ぎに。おいおい、いくらなんでもそりゃないだろ、というツッコミが、連日の報道で多くの国民から日夜浴びせられていたはずだ。

しかし、そのようなスカをうっかり表沙汰にしてしまったのと同じ構造は、自民党の中にも間違いなくある。

たとえば、あのメール事件で自爆した永田寿康と、小泉チルドレンの色物として珍獣扱いのタイゾーこと杉村太蔵の、果たしてどこが違うのか。同じく若手自民党議員のはねっかえり的に扱われていて、最近では派閥の苦言も馬耳東風、ヘタなラップのCDまで出して次期総理の有力候補の安部官房長官を応援してみせている山本一太のあの考えなしの軽薄さに、どこか民主党と同じスカを感じないか。あるいは、郵政民営化の議論でヘタ打って事実上失脚したものの、一時は初の女性総理候補、とまで持ち上げられていた野田聖子のあのトンデモぶりはどうだ。蓮舫辻元清美は、はたまた、猪口邦子広中和歌子は、小泉チルドレン松下政経塾出身の民主党若手議員との違いは……こう考えてくるともう、民主だ自民だ、といった問題でもなくなってくる。

スカという意味で同じ、ということだけでもない。ましてや、年齢的に若いから、ということでもない。気をつけなければいけないと思うのは、それが世代の問題、のように見えている、ということだ。もう少し正確に言えば、世代の問題、と言ってしまえるような部分が確かにあるのだとしても、そう言ってしまう前に、ならばなぜ、そういう若い世代が取り立ててそういう風に政治の場に濃厚に吸い寄せられてしまっているのだろう、という問いも同時にしておかねばならないはず、なのだ。

いま、政治の場に浮かび上がって見えるスカが若い世代に特徴的なのは確かだとしても、若い世代全てが同じようなスカ、というわけでもないはずだ。同じように、スカが民主党にあらわに見えるとしても、そのスカはその他の党、政治の場にもおそらく共有されている可能性がある。構造的に、今のニッポンの政治の現場にからんでくる何らかの必然、というのが民主党に、そのダメでスカなところにわかりやすく見えている、そんな風に思うのだ。

民主党は、「リベラル」最後の牙城、とも言われる。ならば、その「リベラル」と言い、少し前までは「進歩的勢力」「民主派」などとさまざまに言われてもきたような一連の勢力というやつは、いったいいつ頃からどのような経緯で成り立ってきたのか。そしてそれは、今のこの目の前の民主党に集約されるように、なぜ、どういう理由でなってきたのか。

最低限必要なのはお勉強ではなく、〈いま・ここ〉の手ざわりから逆算してゆくような視線だ。具体的には、昨今だといわゆる「プロ市民」という存在に象徴されてしまっているような「リベラル」(もちろん退廃形態であるのだが)のスカに至る道筋、というやつが、果たしてどういうものだったのか、ということを、同時代史としてディテールから確認してゆこうとすることだ。




とりあえず、床屋政談のおさらいも最低限、やっておく。

80年代末、バブル景気の絶頂期に発覚したリクルート事件(88年)に端を発する政治不信の流れの中、93年の総選挙で自民が過半数割れを起こし、その余波のすったもんだの中で宮沢内閣が総辞職、これによって高度経済成長期以降、当たり前になっていた自民党一党支配が終わる。冷戦構造下の政治体制であった「五五年体制」が崩壊した、と言われている。もっと引いたところで、、ニッポンの「戦後」の終わりの始まり、という位置づけをしてもいい。何にせよ、戦後の歴史の重要なひと区切り、だったことは間違いない。

崩壊の前提として、その少し前から新党ブームというのがあった。きっかけは、熊本県知事だった細川護熙が言い出しっぺの形になった日本新党。国政のダメっぷりに対して蔓延し始めた深刻な政治不信を吸収する形で「改革」イメージをふりまきつつ、参院を足がかりに主に地方政治経由で徐々にいわゆる「無党派層」の支持を拡大。その少し前にあった当時の社会党ブーム(俗にマドンナブーム、と呼ばれた)の余韻なども含み込みながら、政治という舞台に「改革」というモティーフをひとつ大きく定着させてゆくのに寄与した。

宮沢内閣総辞職後、そんなこんなの新党も含めての自民党以外が寄り集まって「非自民・非共産」の細川政権が成立、村八分を食らった自民党は野党に下野して七転八倒、というのが90年代始めのおよその政局だった。その後、細川総理は殿サマの本性を暴露して「や~めた」とトンヅラ、何とか後継に羽田内閣がでっちあげられたものの、これまた二ヶ月ほどでダッチロールして墜落。自社さ(新党さきがけ)連立という、今から見てもワヤなことをやらかして、あの村山内閣が登場、ということになってゆく。

この間、湾岸戦争(91年)があり、オウム真理教をめぐる一連の事件(坂本弁護士拉致事件は89年、サリンがらみに限れば94年から95年)があり、阪神大震災(95年)があり、もちろんバブル崩壊(おおむね91年頃から)があり、とまあ、政治に限ったことでもなく、ニッポンをめぐる環境というやつも七転八倒の時期ではあった。

およそこの時期に、毀誉褒貶含めて、政界のフィクサーとして焦点にいたのが小沢一郎だった。実際、「五五年体制」の崩壊の引き金となった宮沢内閣不信任案に、同じ自民党の、それも親分筋の竹下派橋本派)を裏切る形で賛成したのが彼とその手勢だったし、その後自民党を飛び出して新生党から新進党へと変貌してゆく中で彼が仕掛けた政界再編のどさくさでは、二大政党制の実現と、それをめざすための中選挙区制から小選挙区制への転換、という、まさにその後の政局の流れをつくり、いまの民主党に直接連なる大きな方針が一貫してはっきりと打ち出されてきている。その意味で、民主党の党首に小沢が出てくるのはやはり、もっと早くてよかったはず、なのだ。出てこなかった、これなかったのにも理由はあるのだろうが、寄せ集めの民主党が初手から担わされていた運命を明示的なものにするためには、やはり小沢が前面に出てくるのがいちばん手っ取り早かったはずだ。

民主党本体の成立は96年。自民党を割って結局、新進党を率いることになった小沢が実質、もうひとつの保守、の旗頭となって、自民と新進という二大政党の流れができつつあったことに危機感を覚えた菅直人鳩山由紀夫が言いだしっぺ。その後もこのふたりが二枚看板として表に出てゆく。だから、その初志も、社会党から再編した社民党新党さきがけに声をかけての、凋落が明らかになり始めていたいわゆるサヨク/リベラル陣営の再結集だったこと、言うまでもない。

本来は水と油、控えめに見ても、冷戦構造下の保守対革新、という対立構造の延長線上にあったはずの菅と鳩山の民主党と、ある意味では「戦後」保守の正統と言える小沢の率いる部隊(自由党の看板を掲げていた)が合流したのは2003年。自民を離れて後は紆余曲折、連立政権が常態化した中、時に応じて公明に誼を通じ、社民党にも働きかけ、かつて袂を分かった自民の敵方(野中など)とさえも合従連衡を持ちかけるという、連立政権維持のマキャベリズムに徹していた小沢が、自ら小党の党首として閉塞してゆきかねない政治生命の危機を避けるために、どう考えても呉越同舟、政見も思想信条もかけ離れているはずの民主党との合流に動かざるを得なくなった。当初は「一兵卒として」と殊勝なことを言い、その後も党内政治にはっきり距離を置いて隠遁したかのような立ち位置を選択していたのも、一部で言われていたような策略でも、戦術からでもなく、本当にそれくらい心身共に疲弊しきっていたからではないかと思う。

それくらい、小沢が政権奪取に奔走した90年代後半から今世紀にかけての情報環境の変貌は、すさまじいものだった。他でもない、今世紀に入ってからの、より具体的には小泉内閣が出現して以降の自民党を見てみればいい。小泉政権五年間の終焉がとりあえず見えてきた今、実際、かつて「リベラル」と言われたような政治的な属性というのは、冷静に眺めると今の小泉自民党の方にこそ、はっきりと見て取れる。

肥大して伸びきった官僚支配の既得権益の打破、地方地盤に依拠した政党基盤からの離脱、そして「都市部浮動票」とひとくくりにされてきた〈その他おおぜい〉の意志を積極的に尊重する側にまわったその戦略、官僚のアウトノミーに歯止めをかけるために地方分権、民間移管を軸にした「小さな政府」政策……ちょっと落ち着いて考えてみれば、少し前までなら革新と呼ばれてきたような野党界隈がもっぱら掲げてきたような政策的傾向を、小泉以降、他でもない自民党が率先して最前面に掲げ、しかもそれを現実に実行してきている。

学者や評論家界隈は、ネオ・リベラリズムだの新自由主義だのと、そんな小泉以降の政権与党の政策の流れに対してまた新たなレッテル貼りに忙しいようだが、そんなことはひとまずどうでもいい。それら新たなレッテルの字義解釈や、よって来たるその来歴などはさておき、この「戦後」のニッポンの言語空間の脈絡に関する限りで言えば、かつて野党が特権的に行使できていたような「リベラル」というもの言いにまつわる素材や意匠は、いまやそのほとんどが自民党の――正確に言えば小泉純一郎自民党のものになってしまっている。野党が、そして野党的立ち位置を選ぶ人たちがどんなに小泉政権を批判しようが、それはもうどうしようもない事実である。つまり、以前からの自分たちのお株をまるごとかっぱらわれているわけで、その意味ではあれは去年の総選挙の時だったか、小泉自身が言いはなった「いまや、自民党こそが革新政党なんです」という言挙げも、なるほど、あながち単なるハッタリというわけでもない。




思えば、かつて自民党、というのは、正しくオヤジ政党だった。

オヤジでありイナカであり、地縁血縁であり、義理人情のどうしようもないしがらみであり、ミもフタもない利権共同体であり、土建屋であり不動産屋であり、さらに当たり前だが高度経済成長を具体化させた政策を後ろ盾に突っ走った財界そのものであり、何にせよそういう「日本」、少なくとも高度経済成長期までそうであったような一次産業中心、稲作至上の農業基盤、だから当然「百姓」が国民の心性の中核に位置していたような、まずはそんなものを代弁している盤石の何ものか。

「政権与党」というもの言いにはそういう、うっとうしいけれどもにわかにはさからいがたい、言わば未だに「家長」としての威厳が揺曳しているオヤジの雰囲気がしっかりこってりとまつわっていたのだ、少し前までの、あの「戦後」という空間においては。

だから野党というのも、イデオロギーとして革新であれ何であれ、常にそういうオヤジに対抗する存在=若者、という属性を引き受けざるを得ないところがあった。冷戦構造下の保守と革新という対立構造には、オヤジ対若者、という、「戦後」の空間においてデフォルトとして仕込まれてしまった“もうひとつの対立”が必然的に重ね合わされていた。

語られる政治、の言説の中には、そういう対立もまた陰に陽に影響を与えてきている。政治とは、単なる政治思想、イデオロギー、政策沙汰から党派や派閥の離合集散といった要素だけで解釈してしまっていいものでもない。誤解を恐れずに言えば、そんな表象と解釈、さらには芸能の範疇に含まれ得るような領域までまるごとひっくるめて、政治という〈リアル〉は〈いま・ここ〉に埋め込まれている。

ジバン、カンバン、カバン、と言われた選挙の三種の神器。組織と知名度と資金。まさにそれらを存分に活かし、「イナカ」をとりまとめて票にして「政治」の舞台を、そして「戦後」のニッポンを動かしてきたのが自民党だろう。未曾有の経済成長が訪れ、みるみるうちに都会に人が集まり、暮らしぶりも変わり、それに従って誰もが地縁や血縁からも遠ざかってゆき、それまで考えもしなかった程度にまで第三次産業が仕事の大勢を占めるようになっても、こと政治だけはそういうもの、オヤジに表象される何ものか、をしっかりと体現している領域であり続けていた。「声なき声」――サイレント・マジョリティ、というもの言いもまた、そのようなからくりの中である一定の確かさを保ち得ていた。それこそが「戦後」だったし、そしてまたそういうニッポン、でもあった。

かつて、60年安保の騒乱を前にして時の首相、岸信介が言いはなったという有名な能書き「それでも、後楽園球場は満員じゃないか」というあれも、当時は確かにそういう「声なき声」こそが自分たちの背後にいるのだ、目の前で数万人単位で集まって騒いでいる連中はやっぱり国民としては例外の一部分なんだ、という信心を嘘でも持てる程度に、それは彼らの〈リアル〉だったのだと思う。

ちなみに、その対極から同じ〈リアル〉を見つめていたのが吉本隆明。デモの雑踏のまっただ中で、アンパンを売って歩くもの売りのオヤジの出現に底意地悪く焦点を当てた。さらにそのモティーフを引き受けたのが、つかこうへいの『初級革命講座 飛龍伝』。デモ隊に向かって投石用の石コロを売ってあるくオンナ闘士の形象は、当時かなりの衝撃を与えたものだ。

そんなデモだ、運動だ、といった表現に走った連中などはしょせん国民の一部、メディアが増幅して必要以上に大きな騒ぎになっていたにせよ、全体としてははねっかえりの所業、というシニシズム。それは位相は異なっていても、当時から連綿として宿っていた。よく言われる「団塊の世代」が、どうかするとそのまま「全共闘運動世代」と置換されてしまうおおざっぱにしても、ひとつにはそんなシニシズムをうまく織り込めていないため、というところがある。それを政治家の側から脳天気に転写してしまえば、それこそ「声なき声」というもの言いにもまた別の〈リアル〉が宿ったりもする。もちろんそれは、また別の側から見れば「庶民」「民衆」「市民」というもうひとつの〈リアル〉にもなってゆく。

「声なき声」と言い、「庶民」「市民」と言い、それぞれの〈リアル〉を担保していたものは、巷間思われていたほど、そして今も多くの人がそう思っているほどには、彼我の違いのあるものではなかったらしい。だが、いずれにせよ、その後そういう「声なき声」の内実は大きく変わってゆく。政治家それぞれのイメージの中でもそういう支持層、自分たちを支えてくれると思いこめるだけの何ものか、についての手ざわりは、おそらくどんどん希薄になっていったはずだ。

「戦後」は終わり、その後ろ姿さえもがみるみる遠くなってゆく。同じように、オヤジのニッポン、何かそういう確かなもの、なつかしげなことに収斂してしまえる領域というのは、ますますおぼろげになってゆく。




民主党を貫く、何かイデオロギーなり政策的主張なりがあるとして、思いっきり刈り込んだ形にしてしまえばおそらくそれは、反官僚主義、反中央集権、反既得権力、といったものだろう。それに加えて、まあ、ある種のコスモポリタニズムとかグローバリズム、いささかアレな方向に転べばエコロジーとかフェミニズムも混じってくるのだろうが、しかし、実はそれらはおおむねトッピングに過ぎないのではないか、と、あたしゃいぶかっているところがある。

看板としては「民主主義」であり、「自由」であり、「個人主義」であり、時に「地方」であり、「生活」だったりもする。それらを臨機応変に組み合わせて表現されるある政治的立場。ひとくくりに表現する必要がある時には、「左翼」「革新」といったもの言いよりも「リベラル」が便利になっていった。それは、自民党に集約されていたような「オヤジ」的なるもの、とはおおむね対極にある、と理解されるものでもあった。

全共闘的なるもの、もまた、スターリニズムに対するアンチとして成り立っていた。スターリニズムとは官僚主義であり、その限りで「組織」的原理に対する違和感や反感が根底にある。共産党とはスターリニズムであり「組織」であり、「個人」の「自由」を「抑圧」するものだ、というおおよその理解があって、かつてあれだけ全共闘、あるいは全共闘的なるものが盛り上がることができた。その意味では何のことはない、それもまたあのお約束、「組織」と「個人」の対立、に切り縮められるようなものでもあったのだ。同様に、「個人」を根拠にしてしまえば、「大企業」「資本」に対してもアンチが成り立つ。それら「資本」を支える政党である自民党に対しても当然、それは援用されるわけで、全共闘的なるもの、はそのようにして自民党へ向かい、「権力」と対峙することになる。

「反権力」「反体制」というスローガンは当時から好んで使われてきたけれども、その中身はというと、静かに省みれば単なる「個人」主義、無理無体をゴリ押ししてくる組織、体制、権力に対して、たったひとりで、でなくとも少数派で果敢にも健気に立ち向かう、という自意識の類型が、自覚するしないに関わらず、どうしてもまつわってくるようなものだった。

「権力」はよくない、「組織」は「個人」を、「中央」は「地方」を抑圧するからよくない、「自由」は常に最大限尊重されるべきである。既得権益にあぐらをかいたままのオヤジや年寄りは「若者」に機会を譲れ。「国家」の存亡などより「生活」を守るのが先だ……当時、そのような気分はそれまでにないくらい広汎に広まっていた。この広まり具合についてはもう歴史的範疇に入っていると思うが、しかし、どんなに強調してもし過ぎることはない。なぜなら、そのような気分は〈いま・ここ〉の、それこそインターネット時代の「大衆」の気分にもまっすぐに連なっているからだ。

言い換えれば、今の「大衆」――嫌韓流を支持し、首相や閣僚の靖国参拝を許容し、ナショナリズムを支える、と言われている彼らと、かつての「リベラル」とは、決して対立するものではなく、むしろ逆に親類だったりするのだ。同様に、プロ市民と彼ら「ネット右翼」(笑)との対立というのも、見方を変えれば根っこを同じくする「戦後」、「リベラル」同士の近親憎悪、というところもあるらしい。

その限りで、「戦後」というのは構造として強固だったし、今もなお、ある程度維持されてきている。と同時に、こういう具合に「リベラル」を標榜し、「反権力」「反体制」を脳天気に一枚看板にする党派なり個人なりには、どこかやりきれないいたたまれなさが伴う。腑分けしてしまえばそれは、そういう自意識の類型に対するこちら側の身構え方の濃淡に関わってくるように思う。そこまでその体制なり権力なりというやつがどうしようもないほど堅固なものであったどうか、といった問いかけもまた、そのいたたまれなさの前にはいとも簡単になかったことにされてしまう。永遠の少数派、に同伴する素朴なヒロイズム。それはまた、それ以前からブンガク周辺などに色濃く揺曳してきた浪漫主義の土壌と、すんなりなじんでゆくようなものだったりもする。

浪曲や講談など、もっと低位の浪漫主義の成り立ちよりも、それは良くも悪くもブンガクと、それを支えてきた近代の知識層、インテリ階級といった部分の意識とより近しいものだったはずだ。その間の違いを詳論する場ではないのでここは別の機会に譲っておくが、敢えてざっくり一言で言ってしまえば、前者の「個人」主義には当たり前のようにあって、後者のそれからは失われた何ものか、というのが、ひとつ大きな違いになっているはずだ、ということだけ指摘しておきたい。森の石松の「個人」主義、と、高倉健東映やくざ映画で演じて見せたような、あるいはまた、70年代フォークソングなどに現像されていったような「個人」主義、との一見微妙な、しかし根深い違い。浪漫主義にも階級が反映されている。少なくとも民俗学者の眼から見た歴史はそう教えてくれる。




そう言えば、思い出した。自民党本部に行ったことがある。十年ちょっと前、のことだ。

テレビの取材だった。当時は河野洋平総裁の時代で、まさに自民党が野党として下野していた、その意味では最悪の時期だったけれども、党本部の地下に案内された時には、ああ、これが自民党的なるものの中枢なんだ、と痛感した。

全国の選挙区ごとの詳細なデータがそこにはアーカイブされていた。「ここが、実は自民党の心臓部なんですよ」みたいなことを、案内してくれた職員がぼそっと、なんでもない風に言ったのを覚えている。まだパソコンが普及する前だったから、今ではあの膨大なデータもデジタル化されているのかも知れないが、もしまだされてなくても、その意味はそう変わりはしないだろう。人がどのように変わっても、あのデータベースさえあれば、選挙という現実に自民党は立ち向かうことができたのだろうし、あのデータの向こう側に見える〈リアル〉、それこそが「戦後」だったのだろう。

あの膨大なデータの“効き”がそれまでと違ってきたのだとしたら、それは都市部の浮動票と呼ばれる層が全体の選挙の現実に与える影響が、それまでと違う大きさになってきたからだろうと思う。そしておそらく、小沢一郎はまだあのデータベースのそんな〈リアル〉を信じている。そして、それは今でもなお、あっさり間違いだとも言い切れない。

新たに民主党になって最初の、先日の千葉補選でも彼は、地元の企業まわりをまずやり、組合をフォローし、そして創価学会にも仁義を通し、党内は党内で若手の議員に自分の選挙区の組織の情報を全部集約して持ってくるように伝えた、と報道されている。そういう、小沢にすれば、そして小沢が生きてきた「戦後」の自民党の政治からすればごく当たり前の手続きを、民主党はやってこなかったし、やれなかったのだと思う。また、やる必要がなかった、というのもある部分で事実だろう。「戦後」という壁紙の上での野党というのは、そういうことでもあった。

けれども、未だに〈リアル〉とはそういう「戦後」の内側に地下茎を張り巡らせたところでも、また成り立っている。どんなに情報環境が変わり、それに伴って暮らしも、人々の心も変わっていっても、その変貌の中に抱え込まれる確かなもの、の手ざわりは、しぶとくも変わりにくい。その程度に世の中というのは、ゆっくりとうねりながら次の時代をはらみつつ、迎えてゆくものらしい。だからこそ、〈いま・ここ〉はいつも厄介で、ひとすじ縄で相手どることのできないものだ。

民主党を率いることになった小沢が、そんな「戦後」の〈リアル〉――自民党本部地下に蓄積されたデータベースを介して見通せる現実にもう一度、着地することをまず考えているのだとしたら、小泉なき後の自民党がそんな小沢と同じ〈リアル〉に依拠しながら、それとは違うそこから先、をどのように織り込んでゆけるのか、それが今後の政局の大きなカギになってくると、少なくとも床屋政談、あたしの眼から見た「政治」のこれから先としてはそう見える。

劇場型政治」というもの言いも、よく使われるようになった。なるほど、小泉登場以降、「政治」がそのような「戦後」の〈リアル〉と違う、メディアを介したパフォーマンスで左右されるようになった、そんな手ざわりを表現するためのもの言いである、それもまあ、わかる。

だが、それがあのデータベースの〈リアル〉に戻る、それこそがホンモノでありあるべき政治の〈リアル〉である、という前提で使われている限り、そのもの言いは常に「虚構」と〈リアル〉、バーチャルと〈リアル〉という、あの不毛な二項対立から逃れられはしない。

おそらく、そうではないのだ。バーチャルも虚構もまるごと含み込みながら、〈いま・ここ〉の〈リアル〉は常にうつろい続けている。今のニッポンの政治を語る時のあの「劇場型」というもの言いがこの先、多少でもほんとに役に立つようになる可能性がまだあるとしたら、そういうしなやかで融通無碍で、時にいい加減でさえある〈リアル〉への新たな視座を、前向きにあきらめながら確保できた上でのこと、なのだと思う。

幸か不幸か、われわれはもう、「戦後」の〈リアル〉にそのまま戻ることはできない。できないし、する必要もない。われわれはすでに、違う〈リアル〉へと一歩、踏み出してしまっている。好むと好まざるとに関わらず、政治もまたそのような〈リアル〉との関係で、不断に変貌してゆかざるを得ないのだし、事実そのように変貌しつつある。だから、寄せ集めでスカな今の民主党、というのは、そういう変貌を〈いま・ここ〉で測候してゆく上での、ある意味観測地点、百葉箱のような役割を果たしている。

近い将来、自民党も同じ様相を呈し始めるのではないか、と思っている。ポスト小泉がどのような形になるにせよ、民主党を襲ったスカと同じ退廃が、今みたいに内在したままでなくうっかりと露わになってしまう、そんな局面が自民党にもやってくるのだろう。なぜなら、その程度に〈リアル〉は分け隔てなく、政治にも浸透しているだろうからだ。

一部で今なお言われているような二大政党というのが今後、あり得るとしたら、これまたすでに言われているように、自民党もまた民主党同様にいくつかに割れての再編が必要だろう。その意味で、小泉と小沢、というのは、たとえ政治の第一線から引いた後までも、ある種の象徴、キャラとしてその来るべき二大政党時代を象徴する、そんな可能性はあるように思う。

ナショナリズムグローバリズムか、というのは、有効な対立軸になり得ない。その図式に安住して乗っかったままでは、靖国だろうが竹島だろうが、はたまたODAだろうが外国人労働者だろうが、ほとんどの政治課題をまっとうに扱い、そして解決の糸口を模索するなどということはできないだろう。問いが何であれ、「戦後」の構造の下でほぼ不在のままにされてきたナショナルな領域をどのように説明し、〈いま・ここ〉の内側から落ち着かせてゆくか、についての目算がないままでは、どちらにしても先はない。民主党にしても、前代表のあの前原が代表就任当初、中国に対して批判的な言説を繰り出して身内からもびっくりされていたのは、その意味で必然である。

繰り返す。政治の流動化、というもの言いが正しいとしたら、そのような液状化、地盤変動のまっただ中に、民主党自民党も、このニッポンの政治そのものが乗っかってしまっている。良いも悪いもない。とりあえずそういうもの、なのだ。そしてそのとりあえずそういうもの、を正しく眺め、淡々と相手どってゆくだけの覚悟と準備こそがこれから先、われわれニッポン人ひとりひとりに求められていることなのだと思っている。