改めて、靖国神社

 オーライ、わかった小泉。あんたは偉い。よくやった。改めてほめてやる。

 「いつ行っても同じだから、最も適切と思われる今日参拝した」というタンカは、どんなに気配りしてやっても、どうせ特亜の連中とその手先みたいな野党以下、国内マスコミ、文化人、評論家その他の連中は批判ばかりしやがるんだから、もうつきあってらんねえ、と翻訳するのがよろしい。ちっとはてめえら、人のキモチってやつを考えやがれ、ってことで。

 まあ、今回の参拝をめぐるあれやこれやの能書きは、これから腐るほど出てくるだろうからひとまずそっちに譲っとく。今日のところは靖国神社について、民俗学者の立場から少しだけ。

 A級戦犯(うわ、また一発変換かよ、ATOK)合祀がどうのこうの、とか、やれ分祀だ、分霊だ、といろいろ小手先の弥縫策が最近、あれこれ言われてるけれども、それについては神社側が言うように「分祀はムリ」ってのがほぼ全て。だって、すでに一緒くたにしちまってるものをもう一度別にする、って手続きも考え方も神道にゃないはず。文句を言うなら、そもそも合祀(うわあ、これも一発変換)した時の手続きと責任者を呼び出さないと。

 そもそも、「戦死」した者を祀る神社、ってことで靖国神社はある。でもって、あの九段のアレは全国総本部みたいなもので、それぞれの地方には護国神社、招魂社ってのがたくさんある。そっちのお祀りなんざ、他の神社と同じく、今やもう誰も見向きもしなくなってるのはご多分にもれないわけで、そんな状況で靖国神社だけがとりたててこんなに問題にされたり、取り沙汰されてるって状況自体、かなりけったいなのだからして。

 もっと言えば、「戦死」ってのはつまり非業の死。わかりやすく言えば、普通の死に方じゃない死に方を心ならずもしちまった、ということで、だからこそきっちり祀っておかないと生きてる側はおっかないし落ち着かない、と。そういう「異常な死」がうっかり大量に出ちまったから、それを始末する仕掛けもなんか考えないといけないよな、というのでこさえたのが招魂社-靖国神社システムだった、と思ってもらえれば間違いない。

 しかも、その非業の死を遂げたのは若い衆だった。つまり、多くは結婚もせず家も持たないまま世を去った、と。今でこそ「英霊」なんてひとくくりにしてるけど、あれも日露戦争の後、靖国神社に旅順表忠塔ができた時に乃木将軍が奉った祭文で使われたもの言いがひとり歩きして一般化したもの。それまでは「国●」って言ったそうな。……ああ、●が変換されない。「傷」のにんべんを「殊」のへんにとっかえたものだ。「こくしょう」と読む。非業の死を遂げた若者、って意味だったという。

 ほんとなら自分の「イエ」できちんと祀られ、何十年かたてば無事に祖霊一般に組み込まれてゆくはずの民間の約束ごとが、戦乱によっておかしくなって、祖先になれないままの非業の死が大量に出てきてしまった。だからこそ、それを引き受ける施設が別に必要だった、ということ。確かに、サヨクが言うように靖国神社システムは初手からそういう「公」の死者追悼装置だったわけで、しかしサヨクが決して指摘しないのは、と同時にそれは、「イエ」のレベルでの祭祀と対になって初めてうまく機能していた、ってことだ。

 戦死したら靖国神社へ、ってみんなよく言うけど、当時だってそんなに簡単なものでもなくて、たとえばまず現地での招魂祭があって遺骨にして、それから遺骨を戦友が出身地に持って帰って届けて、そこでもまた地元の慰霊祭があって、それが一段落してから遺族に靖国神社から呼び出しがかかる、と。もちろん、戦争が忙しくなったらそんなことやってられなくもなったけれども、でも、概ねそんなもの。兵隊ひとり死んだらその手続きというのは、結構大変で、落ち着くまで何ヶ月もかかる場合もあった。

 それらはもちろんみんな「公」の死になるから、それまでの「イエ」レベルでの葬式とはまるで違うものになった。たとえば、普通の「イエ」だと白装束の野辺送りだったものが、こういう「公」の死に方を処理する時には、黒い喪服、遺影のコンボで、何よりも遺骨が中心で、といった、いまのあたしたちがあたりまえだと思ってる葬式のモードが始まってたりする。だいたい遺影なんて、かなり後になるまで普通の庶民がそうそう顔写真を撮ってるわけないんで、おそらくは軍隊の証明書がらみで広まったもののはず。そんなこんなも、せいぜい大正時代以降のハナシですがな。

 靖国神社はもともとそういう意味での「公」の施設。それも戦争という異常事態での異常死を管轄するもの。で、その一方にある「私」のレベル、個々の「イエ」での祭祀が崩壊寸前になってる現在、片方の靖国神社を語るもの言いだけが肥大してひとり歩きしているのはヘンなのだ。どだい、家の中に神棚がなくなった今、靖国神社の意味も変わっているに決まっているのに、そのへんのことを指摘する評論家や文化人って、悪いが見たことない。皮肉に言えば、「イエ」での祀りをみんなしてほぼ放棄しちまった代わりに、そういう死に方したのは全部「公」の靖国神社に任せっぱなしにしよう、という感じでもある。これって、あの介護保険なんかと同じ発想だよなあ。

 もっと言えば、「戦死」ってやつをなんかこの間の戦争だけで語りすぎ、ってのもあたしゃ気に入らない。なんか一般市民が赤紙で徴兵されて前線に送られてタマに当たって死んで、ってステレオタイプがほとんど。職業軍人だっていたし、志願兵だっていただろうに。日清日露は言うまでもなく、戊辰戦争でうっかり大量に死んじまったのがやばい、ってんでこさえたのが靖国神社のそもそもなんだから、そのへんまで全部ひっくるめて語る度量、知的排気量がどこかにないことには、ほんとの意味で実りある議論にも何もなりゃしない。シナチョン特亜のゴリ押しがここまで小泉とニッポン国民を開き直らせたのは時代の必然で、それは全くいいことだったと思うけれども、その勢いまかせに靖国論議、ほんとの意味での戦争体験の継承までグダグタにしちまうようなことは、あたしゃ納得いかないのであります。

 

●編集後記

 小泉、参拝するなら15日の早朝しかない、と予想していて、だもんで九段界隈に夜明けから出張ってはいたんですが、あんまり報道陣その他、ごったがえし方がすごいんで、シラけちまって早々に引き揚げました。

 

 なんかこぜりあいとかもやってましたが、あたしの感想としてはまず、ああ、サヨクの戦闘力ってここまで落ちてるんだなあ、ということ。多勢に無勢とかそういうことよりも、まともなぶつかりあいもしたことないんだなあ、と。あと、そんなサヨクに対抗していたのはウヨクというよりも、なんというか、もう少し得体の知れない人たち、って感じでした。まあ、お盆休みの早朝にわざわざ靖国周辺にいるってこと自体、フツーじゃないんですが、それにしても、いわゆる街宣右翼系の方々とは別に、そのへんに蝟集していたなんでもない人たちの、そのサヨクあんちゃんたちに対する「どんよりした悪意」みたいなものの方が、印象に残りました。でも、サヨクプロ市民も、そういうものってほとんど感じる能力もなくなっちまってるんだろうなあ、その得体の知れなさも含めて。