『とて日』騒動の周辺

 ネットは広大である。そう言われてきた。

 けれども、大自然の、宇宙空間の広大さに比せば、しょせんは人と人とが交錯してつむぎ出される関係の網の目の総体、そりゃ理科系的理屈で言えばIT空間もまた無限と言えるのかも知れないが、しかし、無限有限を意識し認識するのも他でもない生身の人間たちなわけで、地球上の人口に限りがある以上、ネットもまたその間口に規定されていると言えなくもない。文科系のもの知らずと嗤うならそれもよし。甘受するのもまた器量。

 ましてや、日本語という世界的にも特殊例外的な妙な言語を介してやりとりするのが一般的な界隈においてはなおのこと。ネットの「広大」にもお国の事情、文化の違いといった、しちめんどくさくも生臭い代物が否応なく介在してくる。

 若田光一さんが乗り組んだ米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルディスカバリー」の打ち上げが秒読みに差し掛かろうとしていた際、外部タンクにコウモリがへばりついているのが発見されるハプニングがあったことが分かった。

ディスカバリーは15日にケネディ宇宙センターから打ち上げられたが、打ち上げ直前になってNASAがコウモリに気付いた。 野生生物の専門家にビデオ映像を見せたところ、とまっていたのはオヒキコウモリとみられ、左の翼が折れ、右肩部分にけがをしている様子だったという。

最後に目撃された時は外部タンクの断熱材にしがみついていた。NASAは、コウモリが自分で飛び去ってくれたことを願うとしながらも、多分打ち上げの途中で死んでしまっただろうと話している。 ディスカバリーは17日に国際宇宙ステーションにドッキングしたが、 コウモリがまだしがみ付いているかどうかは確認されていない。

ソース:CNN

http://www.cnn.co.jp/science/CNN200903180033.html

画像:タンクにしがみつくコウモリ

http://www.cnn.co.jp/science/images/CNN200903180032.jpg

 「広大」であるがゆえに人間のこちら側の現実の「ちっぽけ」であることが際立ってくる。「宇宙」ならば、それもまたひとしお。

 かつて、アポロ11号で初めて月面に歩みを記した時にも似たようなエピソードが。「イーグル」と名づけられたあの着陸船は帰途、月面を離陸、母船とドッキングして宇宙飛行士たちを収容した後、切り離されて月の周回軌道上に投棄された。ひとり宇宙空間に残され、一定の年月、月のまわりを周回した後に、最後は月面に落下衝突する運命をたどることになった「イーグル」に向けて、あれはNASAの技術陣だったか、ささやかな、しかし美しい詩を捧げていたことが報道された。同じように、今回のこのコウモリもまた、「広大」さを際立たせる「ちっぽけ」な存在として意味づけられている。

 で、それに対する、われら日本語を介する電網住人たちの反応はというと……

(´・ω・`)

「朝になりました。今日はあの白い大きな樹にしがみついて眠るよ」

(´・ω・`)

「なんか手触りがへんだなあ。でも太い木だから倒れたりしないよね」

(´・ω・`)

「え? え? なに? 地震?」

(´;ω;`)

「し、しがみつかなきゃ!」

(´;ω;`)

「なんだかどんどん空に昇ってくよ。こわいよ」

(´・ω・`)

「あれっ? ……下の方が青い……綺麗だな……」

(´-ω-`)

「なんか……身体がつめたくなってきたよ……」

(´-ω-`)

「とっても……眠いや……いいか、眠ろう」

(´-ω-`)

「目がさめたら……いつものあの森に……もどれてますように……」

 AAとせりふとを組み合わせた小技は、キーボード入力によるディプレイを介した横書き日本語が標準になった電網空間ならではの、しかし静かに省みるなら、紙芝居や絵物語のぞきからくりや節談説教などにまで遡れそうな、この大和島根に棲息してきた無名の民草たちのささやかな創造の水脈もその背後に。さよう、「掲示板」とひとことで片づけられる制度の中にも、確実に文化ははらまれているし、歴史もそのように転変しながら現在に至っている。少なくとも、それらが同じ時代の空気を確かに呼吸し、健気に活きている限りは。

コウモリよ、宇宙に行きたかったなら、シャトルの方にしがみつくべきだったんだよ・・・。


ディスカバリーに張り付いて、宇宙に飛ばされたオヒキコウモリのことを思えば、僕の不幸なんてちっぽけなモノだ。


コウモリ達は思い出した。かつてコウモリAと交わしたやりとりを。

A「おれさあ、地球って丸いと思うんだよね。」

B「(何をバカなことを…)」

C「またAの妄想話かよ」

D「はいはい」

翌日、真上に向かって飛んで行き、疲れ果てて帰ってくるAの姿があった。

一同「…アイツまじでイカレてるぜ…」

体がボロボロになりながらも同じことを繰り返しているAに

皆が距離をおくようになって1年、

Aの部屋の戸に紙切れが貼ってあった。そこにはこう書いてあった。

「ようやく確かめる方法を見つけたよ。行ってくる。」


何年後かに、NASAの基地を破壊する怪獣が現れるだろうな。

 「宇宙」の「広大」もまた、必ずや人を介して認識の回路に流されてゆく。そこには言葉と生身とが必ず介在するし、である以上、その「広大」の意味もまたさまざまに表象され、媒介され、乱反射すらしてゆく。インターネットもまた、そのような乱反射を加速し、増幅してゆく装置である。まずはそれ以上でも以下でも、おそらくない。まずはそう、からりと思い切ることからしか、この情報環境の激動をあっぱれしぶとく生き抜くことは、きっと難しい。



●●

 「ネットは…」と主語で語られる時、そこに想定される人格や性質といったものにも、同じくそのような乱反射の過程が介在している。電網環境が整備されるようになりほぼ十年、かつての大インフラ、鉄道をものさしにするなら、細切れの路線がそれぞれに伸び、つながり、地元有志の手による私鉄も徐々に「国」に統合されるようになって、ようやく全国の鉄道「網」が形になってきた明治30年代あたり、程度の違いはあれどネットに接している者ならば、そのことを肌身で感じてそれなりに知ってきている。

 だが、ある種の人たちにとっては、未だに「ネット」は一枚岩、ある特殊で偏った「集団」がその背後に想定されてしまうものらしい。実にまったく不思議なことに。そして、いつまでも眼を閉じ、耳をふさいで眼の前で起こりつつあることを賢く「見る」ことから身を遠ざける。

◆◇◆3月10日に一斉に麻生首相の著書を買って応援の声をあげませんか?◆◇◆

参考動画【3月10日】麻生太郎首相の本購入イベント【決行】

http://www.nicovideo.jp/watch/sm6312528

麻生太郎首相の本購入イベント【3/10】

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1235905027/l50

10日は都合が…という方はネットで購入、または9日~15日間の購入でおkです。

購入できない方は図書館へリクエストや予約で支援という手もあります。(詳しくはスレ参照)  1冊数百円です。是非ご検討下さい。

 例によって某巨大掲示板の片隅で上がった、ごくささやかな声。あぶくの如く生まれては消える、そのような「オフ」のひとつだった、はずが、何のはずみかあれよあれよという間に大きなうねりとなり、いわゆる「祭り」の位相に突入を。

 並み居るマスメディアの中では、嗚呼、不肖産経新聞は栄えある一番槍。浸水箇所多数、落伍者続出、弾薬底ヲ尽キ、船体大キク傾ケドモ、ワレ未ダ戦闘継続中。

麻生太郎首相が外務大臣時代の平成19年6月に出版した「とてつもない日本」(新潮新書)が10日、全国で爆発的に売れるという珍現象が起こった。これまでの発行部数は約20万部だが、支持率の低迷とともに現在はほとんど「死んだ状態」(出版関係者)だった。ところが、アマゾンの書籍ランキング(11日現在)で4位に急浮上。書籍販売動向の指標とされる紀伊国屋書店全店の売り上げも、8日には5冊だったものが、9日に224部、10日に272部と跳ね上がった。この背景は、ネット掲示板2ちゃんねる」で火がついた「3月10日に本屋で麻生太郎の本を買おう!」という“祭り”。3月1日にたてられたスレッドに、呼びかけ人はこう記している。

 「麻生首相がマスコミや各所からバッシングを受け、支持率も低迷している今だからこそ著作購入を通して麻生首相支持を表明するイベントのスレです」

 http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090311/bks0903111624000-n1.htm

 中には、「インターネットの世界には、物見高いけれど無責任、それでいて正義感も持っていた江戸の町人気質が感じられる。マスコミの 激しい麻生たたきに対して、町人気質が異議を唱え、多くの賛同者を生んだと考えるべきだ」とのコメントも。おかげまいりからええじゃないか、附和雷同に軽挙妄動、半鐘がジャンと鳴ったらもう駈けだしているおっちょこちょいぶりは、なるほど、電網住人たちの最大公約数として立派に伝承、保存されているかも。

町人気質当て嵌まりすぎてワロタw  まあプロ市民気質よりはいい響きだ。

赤穂浪士とかに喝采送ったのは江戸時代の俺らだったわけだな。

町人気質かぁ、はじめて2chの楽しい部分を適切に言い表す語句を聞いたよ。

あくまで楽しい部分を、だが。

同意、俺もそう感じてた。 いつもなんだかんだ大騒ぎしている様子を見てると、時代劇に出てくる江戸っ子の雑多な喧噪を思い起こしていた。

「にちゃんねらーだってねぇ」

「廃墟の産まれよぉ」

「読みねぇ書きねぇ張り付きねぇ」

 だが、他のマスコミは総じていつもと同じ。一部の特殊な連中が勝手に騒いでいる、という珍奇な現象扱いで、未だにネット=おたく=アキハバラ、の図式に流し込もうと手抜き作業の大盤振る舞い。果ては、某女優の「他に楽しいことないんですかね」という、電波芸者丸出しのコメントまでもが動画ともどもあちこちに貼りつけられ、さらに火に油。

なんか無理に煽ってる感がして麻生本の祭りを無視してたんだけど、この発言にカチンときたので、俺も買ってきます。

2ちゃんねらー定額給付金、全部その本につぎ込めw

麻生政権を倒すためにデモしようぜ→マスコミ大絶賛。

麻生政権を応援するために本買おうぜ→工作だ!他に楽しいこと無いの?

この差はなんだよwww

「打倒内閣デモ」参加者→市民。

「麻生の本を買って読もうぜ」祭り→工作員に煽動された暇なネット右翼

本の注文なんて、クリックひとつで出来るっての。 どっちが暇人だよw

日本ガンガレ! 総理を叩くより力を寄せた方がよし!

たろさ応援(ノ゚?゚)ノage

マスゴミざまあああああっ!」 キーワードはこれやね^^; !

 さよう、雪崩をうって祭りに参加した今様、電網町人たちの気分は「マスコミってのはいけすかねえ」、まずはそれに尽きる。政治や思想や、そんな面倒なことはテンから知ったこっちゃないが、いつもいつも十年一日の如く与党批判、町人蔑視、日本自虐の三本柱に、おのれは法外な給料ふんだくりながら格差や派遣切りをもっともらしく憂いてみせる二枚舌の権化共に、いっちょひと泡吹かせてやりたい、ただそれだけの心意気。ただそれだけのことが、しかしまだ、この期に及んでなお、既存のマスコミ、メディアの現場にいる「勝ち組」の紳士淑女たちには、身にしみて感じることができないらしい。

祭りでこういう現象が起きたんじゃない。 今まで、マスコミに対するフラストレーションが日本全体に貯まってて、 それが2chの書き込みによって決壊したに過ぎない。

そんなにこの祭りを乗せられただけの馬鹿の話にしたいのなら、 お得意の捏造で小沢の本をランキングに載せてみたら? 自腹で本のお金払って本を買う人間が日本中にいたということはどうやっても否定できない。これは、日本人による700円の抗議だよ。

2ちゃんねるの常時書き込み人数 800万人(主体は30~50歳で半数を超える)

ROM専がその数倍いる (主婦が週刊誌代わりに見てる)

全国紙の部数(実部数)と比較して2ちゃんより多いのは読売だけだろう 。朝日は少ない。その他の全国紙、地方紙は確実に少ない。思いのほか影響力は大きい。

今回は単にそれが事例として出てきただけ。これからどんどん出てくる。

片やオールドメディアは凋落の一途。不況がそれに追い討ちを掛けてる。

今年は面白そうだね。

 「世直し」という言い方が、かつてあった。一揆や打ち毀しに走らずとも、今やクリックひとつ、勤め帰りにターミナルの書店に立ち寄るだけで、それが確実にある意思表明につながり得る。まして、そうやって買った「とて日」(すでにこのように略称されている)のレシートを、誇らしげにまたネットに貼りつけてゆけば、眼に見えぬ同志と心のつながりだって少しは確かめられる。

 眼には見えない「広大」と少しはつながっているかも知れない、というささやかな昂揚。こんな自分もやっぱり「日本」に生きているし、生きている以上「日本」は好きだし、何とかしたいと思っている。それを表現する“かたち”がひとつ、例えとして示された。だから、「願い」がそこにある。込められている。この「願い」を真正直に引き受けようとする、ある種の馬鹿正直さ、それが確か「政治」の必須要件だった時代がこの国にもかつてはあったはず、なのだが。

仕事帰りに今買ってきた。小さいが「麻生総理本」とポップで書かれ、そこに麻生総理の著書が並んでた。 横には中国の駄目な本?が並んでてそこに小沢さんの本があって思わず吹いたww  総理の本を買いレジで払い終え出ようと向きを変えたらおっさんがガンバレよと俺に言った。 なんだか判らんけど嬉しかったよ。風呂入って酒の肴に読むとするよ。

ROM歴ン年、見てるだけのアホウだったが今回は踊らせてもらう! 

麻生総理、日本を頼む。

マスゴミが笛吹けど踊らず、反マスコミを掲げた匿名が笛吹くと踊る。

いい世の中じゃないか。「とて日」既に持ってた俺涙目w

時にはバカになるのも気持ち良いものだwww

みんな踊れwww