若宮啓文のこと

若宮啓文の印象とはどのようなものでしょうか?(もちろん、朝日新聞というくくりでも結構です)

 絵に描いたような「朝日」文化人、というよりむしろ、マスコミやジャーナリズム、大学などいずれそういう「良識的」とされてきたような領域に棲息してきた「戦後」的価値観の最大公約数を煮詰めて標本にしたような、クローンみたいなもんかと。

李明博竹島に上陸した頃、若宮は竹島共同統治論というとんでもない原稿を朝日新聞に掲載しました。慰安婦問題における「国家犯罪」「国家賠償」の件でもそうですが、絶対にできないことを言うことが善であるかのような印象を受けます。こうしたことを、普通に口にすることが正義であるとかんがえる人間に対する感想を。

 キチガイですね(笑) ないしは単なるお花畑のドライフラワー。化石のような「書生」論のまんま、現実と自分の内面とのつきあわせを怠ってきた老害です。普通はどこかで折り合いをつけざるを得なくなる、それが現実に生きてトシ食ってくことのある種必然でもあるはずなんですが、こういう手合いの生活環境は空中楼閣みたいなもんで、そのまんま現実に痛い目あわずにすまされてきた、それが前提でしょう。

 問題はこれ、キチガイなら個人の資質の問題ですが、構造的ビョーキなわけで。小保方と同じで、量産型「若宮」はそこらにいくらでも転がってますよ。

慰安婦問題でマッチポンプを繰り返した主犯は「朝日」であるという認識でよろしいでしょうか?

 「朝日」的なるもの、ということですね。新聞社としての朝日だけでなくその周辺も含めて、という意味じゃその通りかと。

慰安婦問題において、自著で「勇み足」と認めた若宮が、日韓関係悪化を憂うという構造になっております。こうした「厚顔」どころか暴力的な一人 よがりの正義感は、ナチがユダヤ人に振りかざした「正義」と重なって見えます。戦後長く日本の言論の主流だった「リベラル層」の犯した罪についてご意見をお聞かせください。

 「リベラル」というもの言いも時代によってかなり中身が変わってきてますが、昨今使われるような罵倒語侮蔑語としてのそれは、先に言った「戦後」の言語空間で醸成されてきた、閉じられた場での「正義」がそのまま温存され腐敗しきった現状に対してのものだと思います。学校やメディア、ある種の役所などもそうでしょうが、そういう限られた場に潮だまりのように残った「戦後」価値観の煮詰まった果て、という感じですね。

 こういう「リベラル」自体は早晩、蒸発してなくなるのかも知れませんが、どうしてこういうことになっちまったのか、は「歴史」としてそれこそ国民的な自問としてこれから検証して自省してゆく必要はあるんだと思います。