お稽古ごと、の豊かさ

 お稽古ごと、というのがあります。

 昨今のこと、子どもたちに限ってみても、昔ながらの習字やそろばん、学校の勉強を助ける意味でのいわゆる学習塾や英会話教室の類いのみならず、ピアノにバレー、サッカーに野球に水泳や柔道や空手といったスポーツ系の身体を動かすものが一気に増殖、もちろんご当地のことですからスキーやスケート以下のウインタースポーツ系もそれぞれあるわけで、そのように考えてみたら昨今の子どもたち、学校が終わってからはこういうお稽古ごとに時間を割かれるのがあたりまえになっています。

 例によって大学にいる眼前の若い衆に、子どもの頃どんなお稽古ごとをやっていたのか、それぞれ尋ねてみたのですが、結構これには違いがあります。家庭ごとに違うのは当然として、同じ北海道でも地域差というか、生まれ育った土地によって案外違いがあります。札幌圏、特に市街地に育った子たちは地域のまとまりがコンパクトな分、歩いてゆけるかせいぜい自転車程度の生活範囲に遊ぶ範囲やお稽古ごとなども収めていて、学校を中心として人間関係がそう分散されないようなのですが、それ以外の土地になるとあっちに公園、こっちに塾といった具合に広い範囲に生活のポイントがばらまかれていて、そうなると移動もバスなどを使わざるを得ないし、いきおい学校でのつきあいよりそれらお稽古ごとを介したつきあいの方が濃密になってゆく傾向があるようです。こと子どもの生活圏に関しては、郡部より都市部の方が「地域」の輪郭が明確、といった皮肉な現象が起こっているのかもれません。

 一方、子どもたちに限らず大人の方も、こういうお稽古ごとに対して案外熱心なのが北海道じゃないでしょうか。たとえば、お習字。この「お習字」と「お」をつけたくなるのもある世代まででしょうが、要は書道です。この書道の塾や教室というのが、気をつけて見てみると結構そこここにあることを、さて、みなさんはどれだけ意識していらっしゃるでしょうか。さらには、正月の書き初め大会や何か節目節目に習字がらみのイベントが学校や地域と連携してしつらえられてて、しかも、それが以前からの習わしみたいになって未だに続いているようなんですね。札幌だけじゃない、小樽でも旭川でも帯広でも函館でも、言い方は良くないですがそんな都市部やマチ以外の郡部、イナカに行っても書道教室のひとつやふたつは必ずと言っていいほど見かけます。これもまた、あたし的には北海道の風景のひとつです。

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 お稽古ごと、というのは暮らしに余裕がないと成り立ちません。

それこそ開拓このかた、最初は見知らぬ土地、慣れぬ風土に苦しみながら食うや食わずで頑張って何とか生活基盤を確保し、ようやく少しは余裕ができて初めて、そういう暮らしに直接関わる以外のことがら、「食う・寝る・稼ぐ」でない部分に目も心も向けられるようになるというもの。後には「趣味」などと別の言い方もされるようになりますが、まずはそこまで行かないあくまでも「お稽古ごと」の範囲です。「趣味」まで行くと暮らしの実利からの距離が遠くなりますが、お稽古ごとならばまだ何らかの制御が暮らしの側から、現実に生きてゆく上での効用が求められてきます。そしてその分、社会的な修練や訓練といった色合いも強くなる。

 余裕ができたとは言え、それなりの費用も時間も割いてわざわざ子どもにやらせるのだから、そこにはやはり何か実利がないと、ということで、かつての親たちは子どもたちのお稽古ごとに、まず「読み書き・そろばん」を想定しました。文字を書ける、それもできるならきれいに。そろばんが上手になれば、商売するにも役立つはず。まして、地域と学校の距離がその始まりから近かった北海道のこと、それらお稽古ごとも単にそれぞれの家庭だけでなく、学校ぐるみ地域ぐるみでのイベントにもなっていったんじゃないでしょうか。

 書道やそろばんに象徴される実利前提のお稽古ごとは、一般的に高度経済成長期を境に後退してゆき、学習塾やその後スポーツ系のクラブなどに取って代わられてゆきました。実際、東京などではもうそんなに身近にたくさん見かけなくなってると思うのですが、しかし、北海道ではまだ根強く支持されているらしい。このへんの背景や来歴を考えてみることも、ホッカイドウ学のひとつの宿題になってきます。

 手芸、というのもありました。子どもというより、もう少し年上の女性たちの習いごと。札幌市内ならば「カナリヤ」という手芸用品店の老舗があります。聞けば、以前は外回りの営業さんがたくさんいて、注文に応じてそれぞれの地域の手芸教室などお得意さまに必要な材料や道具を届けてくれていた由。今も店内はベテランの女性店員中心に係員がてきぱきと立ち働き、そんじょそこらのできあいでない立派な「老舗」のたたずまい。札幌以外に現在でも釧路や岩見沢などに店があり、手芸もまたこの北海道においてお稽古ごとの脈絡で盛んだった時期のあったことを彷彿させてくれます。

 戦後、オンナたちのお稽古ごと、習いごとの定番は洋裁でした。当時はまだ、洋服は買うものでなく作るもの。雑誌に型紙などがついていて、それを使って自分で布地を買い、裁ってゆくしかない。そうしないと自分の着るべき洋服、気に入ったものなど手に入らなかった時代です。「ドレメ」なんてもの言いを覚えてらっしゃる年輩の方も少なくないでしょう。ドレスメーキング、の名前で雑誌や専修学校経由で全国に広まりました。札幌あたりでも街の片隅に「●●ドレメ教室」といったブリキ張りの立て看板が今も残っていたりする。少し前も、ある女優さんの一族の生活史を取材構成で訪ねてゆく番組がテレビであり、その中で、実はおばあさんが道内ニセコあたりで洋裁店を切り盛りしていた時期がある、という紹介があったのですが、そこでも炭鉱や鉄道で働く人がたの労働着の洋服を一手に引き受けて地域に根付いていったその女優さんのおばあさんの、手に洋裁の技術をつけたたくましい姿が、かつての北海道の風景と共に、発掘された古い写真のひとコマとして印象的に映し出されていました。


 「お稽古ごと」がそれなりに日常化してゆく、その程度に暮らしがラクになってゆき、そのうちその一部がもっとゆるやかな「趣味」へとなだらかに連なっていったであろう過程。この書道や手芸、洋裁など、実利を前提にしたお稽古ごとや習いごとの教室や塾がまだそこここにあるということ自体、一見そうは思えずとも、実はある意味での北海道の「豊かさ」の象徴なんじゃないか。それはよく言われる農業や漁業など自然の恵みの豊かさとは別に、かつての国鉄や炭鉱、港湾まわりやさまざまな工場など二次産業の周辺からこの北の大地に「豊かさ」が、東京やその他内地とはまた違った位相、異なる経緯で浸透していった過程の、ある痕跡です。確かに二次産業を中心に栄えていた道内それぞれの地域やコミュニティに宿っていた「豊かさ」が、こういうお稽古ごとへの熱っぽさとしても現われていた、そのように考えてゆくこともひとつできるんじゃないでしょうか。