マチとイナカ、の現在

 マチとイナカ、といったことを、いまさらながらに少し考えています。

 古くて新しい問い、ではありますし、またその分陳腐で月並みにしか響かないものでもありますが、でもだからこそ、今のこの21世紀のニッポンにとって大事な問いのはず、という確信もそれなりにあります。

 かつてなら「都市と農村」、消費主体の都市に対して生産を担う農山漁村、といった対比の図式があたりまえだった。いや、今でも大文字のガクモン、社会科学だの何だのの領分じゃそれは常識であり、かつ有効なんでしょうが、あたしなんぞがわざわざ改めて考えてるのはそういう水準とはまた別の、現在手もと足もとで進行しているらしい現象とその背後にあるらしい未だことばになっていない何ものかにざっくり網をかけちまえるようなとりあえずの道具としての、問いであります。

 「郊外」論、というのもあります。人文地理学だの文化史などでずっと言われてきた大きな脈絡とはひとまず別に、最も直近では90年代半ばくらい、かの「失われた20年」が始まった頃に例によって社会学などの若手から言われ始めたような。具体的には、たとえば新たに切り開かれた住宅地とそれらにつながる真新しい舗装のバイパスの周辺に林立し始めたガソリンスタンドや中古車センター、ファミリーレストランやパチンコ屋、大型スーパーなど、いずれ大きなビルポードやサインボードを立てて「地元」の風景ごと別のものにしてゆくような大きな流れを何とかしてことばにしてとらえようという動きの一環だった、と理解していいでしょう。

 一方でまた、「風景」論、というのもありました。これも正統派の美学や哲学、思想史といった脈絡とは少し別に、高度成長期にもたらされた日常風景の変貌について、「農村」「地方」という歴史的文化的背景を伴ったまとまりに対する「都市」=「資本」の側からの浸食、破壊の現われとして、といったニュアンスで語られていた。それぞれ時代も文脈も違いますが、しかしその背後に見え隠れしている何ものかをうまくとらえたいという切迫した気分が前提にあったことは共通しています。

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 「都市」=マチ、の側から「農村」=イナカ、が浸食されてゆく、生活文化的な水準ではマチの側から「画一化」「均質化」が浸透してゆく――それまではこういう理解の仕方が一般的でした。「地域」や「地元」の個性ある歴史や文化、風俗などが軒並み「都会」風に、象徴的な意味で「東京的」になってゆく。確かに、ある時期までそのような説明には一定以上のリアリティがありました。

 しかし、今やそれはほぼ全国的にひとめぐりして、そのような均質な消費を前提にした生活文化のありようは、東京であれどこであれ、概ね同じような様相を示しています。その程度に「日本」はすでに一枚岩、それぞれの地域風土に根ざした独自性など表面からは感じ取りにくくなっている。もしもそのような「日本」の中で、地域らしさが仮に見える形になっていたとしても、それはあらかじめそのような一枚岩の生活文化の中で飲み込みやすいようあらかじめ調整された、新たな「地元らしさ」でしかなかったりします。

 軽自動車や小型の国産車をたとえ中古であっても道具として使い回し、その範囲で想定されるロードサイドの施設を不可欠のものとして受け入れる消費生活が文化として確立されてしまっている中では、それまでそれなりの歴史を伴って存在してきた地元の商店街や駅と鉄道を媒介にした小さなマチのまとまりなどはすでに時代に置いてゆかれています。それら旧市街の賑わいを取り戻そうと「マチ起こし」「地元起こし」の試みもまた、自治体やNPONGOなどを介して概ね「善意」と共に行われるようになっていますが、しかしそれが本当の意味で実を結んだ例がどれだけあるのか。せいぜい「ゆるキャラ」だの「B級グルメ」だのを考案し、そのプロモーションに邁進して一時的に「名が売れる」ことで、「観光」ニーズが生まれるのが関の山。そもそもその地域が、イナカが何によって生きてゆくのか、そのための息の長い目算の立て方自体がもう、そのようなマチもイナカもひとしなみに一枚岩化して以降の、今のこの「日本」の懐からは生まれにくい仕組みになっているのかも知れません。

 われわれがイメージする「日本」は、今どのような前提で想像力として成り立っているのか。それは現実に〈いま・ここ〉を日々生きているわれわれの素朴な生活実感と本当に連続する/できるものになっているのか。そういう自省もまた、いまの「保守」思想にとっては不可欠な作業のひとつだと思っています。