からあげクン、と、天皇

 元号が変わりました。Webを介した世間では、「退位」か「譲位」かで物議を醸したり、はたまた「上皇」をどう呼べばいいのか、「陛下」になるのかそれとも「上皇さま」でいいのか、などなどあれこれ些末な悶着が例によってメディアの舞台を反響板としながら流れてゆきましたが、現実の世間は概ね「ちょっと変わった大晦日ないしは年越し」といった感じでそれはそれ、「時代が変わる」という気分をそれほど難しく考えることもなく味わっていたような感じでした。

 前回の改元は言うまでもなく30年以上前、昭和天皇の「ご不例」から「自粛」ムードがしばらく続いた後の「崩御」でそれがさらに加速、大喪の礼という国ぐるみの大きな葬式に続いて経済活動にまで影響があるくらいの沈滞した雰囲気の中での「平成」改元だったわけで、今回のようにまずはご存命のままの言わば「引退」という事態は、賢しらぶって新聞その他で202年ぶりなどと教えられずとも、あの時みたいな改元よりははるかに気が楽、何となくめでたいくらいの空気で迎えられたということだったのでしょう。

 そんな中、ちょっと印象に残った挿話というか、世相世情の断片のようなものが例によってweb上をよぎってゆきました。

コンビニ前で男子高校生たちが

天皇さまさ、5月からマジでゆっくりしてほしい」
「俺のじいちゃんは毎日クレープ買いに行ってるから、そんな感じで好きなモン食ってほしい」
天皇さま、何食べんのかな」
からあげクンとか食うのかな」
からあげクンおいしいから食べてほしいよな」

と雑談している。


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 真偽不問、いずれこういうweb介した世相世情の断片描写の挿話では、「マクドナルド」の「女子高校生」というのがすでにある意味定番、その話にリアリティを付与する大事なディテールになっているのですが、ここは意表をついた 「コンビニ前」の「男子高校生たち」がいい味を出しています。そこに「からあげクン」というコンビニのレジまわりのあのケースに入れられたスーパーの惣菜の唐揚げなどよりさらに安っぽい廃鶏のなれの果て、実質夜店の屋台露店の食べ物と選ぶところのないような、それでも「肉+揚げ物」という食い気旺盛絶好調な十代若い衆なら問答無用で「おいしい」と感じる商品があしらわれて、そのどうしようもない日常感、日本全国どの地域どの街角ででもいまどきの普遍として見られるようなありふれた光景の〈リアル〉に、ああ、「天皇さま」が自然に違和感なく降臨している。しかも、「俺のじいちゃん」と地続きにして、その体感実感をテコにできるだけ身近な存在として、手もとに健気に引き寄せようとしながら。

 申し訳ない、うるっときました。

 かつて、日々の「農」の営み、稲作りを中心として成りたってきている作業の繰り返しと同じ雛型を宮中でもお祀りとして執り行っている、その日常感との連続の先に「天皇」や「皇室」があるのだ、といった柳田國男以来の民俗学的な「日本」の説明の文法話法が、誰が教えたわけでもないはずなのに、21世紀の〈いま・ここ〉にも何となく転生している、できているらしい。

 「伝統」とか「民俗」とか、そういう漢字二文字の術語概念で説明してしまうことなどどうでもよくなってしまうほどに、こういう不意にうっかり出会い頭に出喰わしてしまう世相世情の断片描写の挿話というのは、概ねどこかこのような「民話」的な文法話法に下支えされているもののようです。そして、その程度には敗戦後の現行憲法下の「天皇」「皇室」もまた、やはり〈いま・ここ〉の日本の世間にそれなりに息づく存在になっているらしいことを確認できた、令和元年劈頭のできことではありました。