「ご先祖さま」の現在

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 人が亡くなってからある一定の期間、三十三年なら三十三年たつと年忌明け、ひとまず先祖にひとくくりにされる、という考え方がわれわれ日本人にはある――民俗学ではそう言われています。 どうしてそういう考え方になるのか、についてもまた、文化や歴史、習俗といった枠組みから、いろいろな説明があります。このへんはまさに釈迦に説法でしょうが、実際これまでもいろいろな学問の領域でさまざまに研究され、論じられてきました。

 そんな説明の中でこれまで一番腑に落ちているのは、おおむね三十年くらいたつとその亡くなった人が実際に生きていた頃のことを知る人もほぼ亡くなってしまう、つまりその人の人となりを具体的に知る人がこの世からいなくなってしまう、だからそこから先は漠然と「ご先祖さま」一般になってしまうのだ、というものです。

 学生時代、その説明を聞いた時は、ああ、なんだかんだ理屈はあっても、前提はまずそういうものかも知れないな、と、眼からウロコでした。と同時に、そうか、自分という存在がまわりから忘れられてしまえば、それはもうこの世から完全にいなくなったということなんだな、ということもしみじみと、また。

 悪い意味じゃない。忘れられてしまう、というのは何かものすごく辛いこと、という風に今のあたしたちは考えがちで、それは確かに気分としてはわからないでもないのですが、しかし、少し突き放して考えてみれば、人は亡くなった人たちのことをいつかうまく忘れてしまうからこそ今をよく生きて行ける、そんな人間の真実もあるように思います。

 もちろん、そんなことは当時、まだ若かったのでよくわからなかったのですが、それでも、自分が忘れられてしまえば存在しないのも同じなんだ、と思うことで、何かどこかでふっ、とラクになった感覚が自分の内のどこかに宿ったのも、また確かでした。そしてその後、それなりに歳を重ねてゆくことで、そんなあたしでさえも、いつか漠然と「ご先祖さま」にひとくくりにされてしまう、固有名詞として忘れられてしまう、そういう幸せというのももしかしたらあるのかも知れない、そんなことを思うようにもなりました。

 民俗学者のくせに、「伝統」なんてもの言いはどこかこっぱずかしくて使えなかったあたしですが、最近ではちょっと口にしてみてもいいのかな、なんて思ったりします。歳をとる、ということも、案外こういうところからいつかおのずと自覚されてゆくのかも知れなません。



 記憶したい、何か心にとどめておきたい、というのは、あたしたち人間の本質のようです。

 言葉をあやつり、さらに文字さえ持ち、それらを媒介に生成される意味の世界に生きている、その意味では自然から二重に疎外された妙な生きもの、それがこのあたしたち人間ですから、その意味の世界につなぎとめられなくなる=忘れられてしまう、というのは、何よりもこわいもの、ということになる。それも確かにわかる。

 人は二度生まれる、一度目は生きものとして、二度目は言葉を覚え、意味の世界に組み込まれることで人間として生まれてゆく――そんなことをかつて学校で習ったものですが、そのひそみに倣えば、人は二度死ぬ、一度目は生きものとして、そして二度目はそうやって忘れられてゆくことで意味の世界から消去され、人間として死んでゆく――そんなこともまた、言えるように思えます。

 昨今、何かと問題になる靖国神社の件もそうです。

 やれ教義だ、解釈だ、ということになれば、なるほどあれはまず神道の問題になるのでしょうが、それでも一方でまた、民俗学者の眼からすればそもそも「死」や「ご先祖さま」をどう考えるのか、霊魂だの何だのと理屈を言わずとも、そういう「かつて生きていて亡くなってしまった人たち」をこの世に生きているあたしたちがどう考え、意味づけているか、という「心の習慣」と密接に絡んだ問題でもあるはずで、その限りでそれは、やはり仏教だのキリスト教だのに限らず、この日本の〈いま・ここ〉における広い意味での宗教の問題、信仰や信心の問題でもあると思います。

 「戦争」で死ぬ、しかも戦いの当事者=兵士として命を落とす、というのが、普通の日本人にとってはかなり異常なことでした。その異常な死に方が普通の人にも当たり前に起こるようになったのは、実は明治以降だったりする。だから、「戦死」者をどのように祀るのか、というのは、日本人が近代になって直面せざるを得なかった大きな課題でした。

 とりあえずは天災による死に準じた扱いをしてみるものの、でも、そこにはムラだのマチだのから「郷土」、さらにその果てには「国」なんてものもからんでくる。共同体を守る、という意義からすれば義民、英雄になり得るわけですが、しかしその「義」もそれまでのように、そこに共に生きる誰もがいきなり深く納得できてしまえるようなものでもなくなっている。何より、ムラやマチにとっての「義」と、「国」にとっての「義」はそのまま同じものでもないらしい。手もと足もとのムラと、新たに像を結び始めた「国」というまとまりとの間は、それほどまでに遠いものだったようなのです。だからこそ、その間をうまく媒介してゆくためのさまざまな仕掛けやからくり、そしてそれらを駆動させてゆく“おはなし”さえもが切実に必要だった。

 近代化というのは、単に工業生産ができるようになったり、学校や病院、鉄道を整えたり、誰もが洋服を着て洋食を食べるようになったり、といった側面以上に、人々の意識をそれまでと違うまとまりに再編成してゆく、そんな大きな道具だてを自前で改めて整えてゆく過程でもありました。「ナショナリズム」と言い、「国民国家」と呼ぶ、何にせよそのようなネーション・ビルディング=「くに」とそれに見合った「われわれ」意識を構築してゆく過程、というのは、民俗学者の立場からひらたく言ってしまえば、実にそういうことです。



 そんな過程で、「戦争」による「死」というそれまであまりなかった例外的な「死」を、それまであった身の丈の「ご先祖さま」と重ね合わせて意味づけてゆく役回りを結果として担わされつつ、靖国神社は作られてきた。地縁血縁の延長線上にどのように「国」を結像させてゆくか、という大きな課題を支えるための重要なメディアのひとつとして。

 だから、靖国問題を語る時も、A級戦犯がどうの、戦争責任がどうの、といった話など、ほんとはどうでもいい。ましてや、隣近所のよその国がうるさく言うからどうこうしよう、という話でもさらにない。これまで自分たちが「死」をどのように考え、そして「ご先祖様」をどのようにとらえてきたか、そしてその上で、ある時期から新たに意識せざるを得なくなった「戦争」を介した「死」をどのように意味づけ、〈いま・ここ〉の心のうちに落ち着かせようとしてきたのか、それらをまず誰もが最大公約数で納得できる水準で言葉にし、共有してゆこうとすること、それがいま最も必要なことだと、民俗学者は思っています。

 「ご先祖様」はどのような形で〈いま・ここ〉の日本人に意識されているのか、そこをもう一度、つぶさに、そして具体的にそれぞれの心象風景の中で省みようとすることからしか、かの靖国問題ですら本当に解決することはない。

 たとえば、あの「遺影」というやつ、あれが葬式において当たり前になっていったのはいつ頃から、どういうきっかけからだったのか、教えてくれる教科書というのはまずありません。あるいはまた、あの黒い「喪服」というやつ。かつてムラの野辺送りは白装束が当たり前だった、と教えられていますが、それがいつ頃から、どうして黒い「喪服」になっていったのか。

 そういう細部に合焦してゆく認識こそが、語られぬままになっている日本人の心の来歴、本当に回復されるべき歴史を支えてゆきます。年表でも概念でも、断片的な知識の集積でもない、誰もがひとりひとりの経験の中で素朴に思い至ることのできる、そして〈いま・ここ〉から一点透視で見透すことのできる歴史の地平。民俗学の構想する歴史とは、そういうものです。そして、そんな歴史への認識があって初めて、「死」も「ご先祖さま」も、あの靖国問題さえも、信仰や信心、宗教といった枠組みを超えて、おだやかに共に考えてゆくための準備ができるのだと思っています。

*1:なんか寺の住職が読む雑誌、のようでしたが……よくわからん。こういうある特定の業界に特化した雑誌、ってのがまだ成り立っているってこと自体、ちょっと驚きというか新鮮ではありました。