文字/活字の〈リアル〉視聴覚系の〈リアル〉


 そう言えば、 「盛り場」という言い方も、最近はあまりされなくなったようです。

 飲み食いから夜は酒やオンナなども、そしてそれに伴いさまざまな興行もの、その時その場所での「上演」を属性とするような「消費」が、場合によっては24時間体制ですら準備されている場所であり空間。それら「盛り場」と結びつけられるのが「娯楽」だったらしい。それはのちに「視聴覚文化」などとくくられていったようなものでもあり、さらに「大衆」という当時また新たな内実を伴って前景化してきていた表象とも重なりあいながら、意識されるようになっていった。前回、そのあたりまではお話しましたので、そこから先をもう少し。

 こういう意味での「盛り場」は、また「都市」とも置換されて理解されてゆくところもありました。というか、その「都市」という語彙の内実に、それこそイメージとしての「盛り場」的なものは初手からまつわっている。

 一時期、やたら流行った「都市論」的な言説にしても、ほぼお約束と言っていいほどそのような「盛り場」にまつわるお題が盛込まれていたものですし、またそれほどまでにそのようなお題は、文字や活字を介してうっかりとものを考えるようなタチの人がたにとって、魅力的でもあったのでしょう。思えば、それらかつては流行りの「都市論」も、本邦の言語空間における戦後の「視聴覚文化論」などから派生していった言説の流れ、眼前の事実や自分自身の日々の見聞や体験、感覚などを手放したくないという想いのままに、なお〈いま・ここ〉を言語化してゆこうとする欲望の形象化のとりとめない過程の、そのひとつの現われでもあったように思います。

 けれども、また別の視線も、世の中にはある。

「都会はもはや、ギリシャ人や文芸復興期の人の眼に映じたように、文明の華ではない。確かに美しいには違いない、――セーヌの岸に立つ都会には、心をかきむしるような美しさがあり、摩天楼を集めた都会には、声のない美しさがある。しかしわれわれにとっての都会は、何よりもまず、危機に瀕した文明の充血した頭である。」

 風景として、人工的な建築物やそれを配置する都市計画などの結果として、しかも「美」というものさしから都会を、つまり都市を見ようとするこのような視線からは、「盛り場」は視野の中心にはとらえられてきません。たとえ、広くは同じ現在、〈いま・ここ〉を生きている生身の主体を介して可視化され、言語化された表現だとしても。

「消費生活が極端になるとき、大都会からは、喧噪と臨終の魂のうめきが立ちあがる。毎晩都会の屋根の上は、身を売る人びとの恥辱の象徴のように赤く染まる。とどまるところなく、群衆に群衆がつづき、都会は、眼を開いて、怪物のように眠る。(…)朝が来る。蝕まれた日、最初の新聞、最初の女、その女の周囲に再び始まる声のない狩り立て、そして突然どこからともかく、地面の臓物のように人間の波が流れ出す。あとは暮らしをたて、結局死ぬということのほかには何もないだろう。」

 「都市」に対するこのような終末論的な印象、「文明」の頽廃のあらわれといった見方は、いわゆる文学であれ何であれ、本邦の思想史的な脈絡からはあまりおおっぴらに見られないものかも知れません。あるとすれば、それこそ『最暗黒の東京』などの明治半ばにあらわれてきた「下層社会」を「社会問題」的な観点から相手取った初期のジャーナリスティックな記述などが想起されますが、にしても、それらの前提にあった価値観や倫理観などに、一神教的なくっきりとした一点透視の価値の原点からの照射がされていたとまでは、ちょっと解釈しにくい。むしろ、近代以降の文明開化的ものさしにおいて開化の象徴として概ねポジティヴに受け取られることが多かったそれら「都市」の現実を足場にした、反-開化・反-西欧化的な感覚に後押しされた当時の没落士族系のルサンチマンといった部分が大きかったように思えますが、それはひとまずどうでもいい。


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 匿名のその他おおぜい、互いに見知らぬ間柄の個人が大量に、とりとめなく集まり、淀み、散じてゆく眼前の「都市」の具体的な光景。それらを前にした自分自身はさて、「個」として「人格」として、どのような輪郭をあらためて確認してゆくことができるのか。

「神々は昔、安んじて死んでいったが、今では人間に対し向き直っている。(…)都会生活が、未だ曾てこれほど強力な平均化の力とこれほど広大な非精神化の仕事に、向き合ったことはない。精神的価値は、街頭に曳き出され、商業的価値に変えられた。」

 その他おおぜいとは「市場」であり、同時にその限りで画一化や均質化、ここで言う「平均化」を必然的に伴う現在でもある。その上で、「大衆の中でも人格の成立の可能性は維持されるだろうか」といった問いの立て方もあり得たし、それに対して「大衆の性質は、完全に支配され、搾取される可能性と同時に、絶対多数者に人格を与える可能性を含んでいる」と、前向きな視界を提示する知性の留保も、また同時に。

「大衆的な人間とは、単にプロレタリアでも、アジア人でもなく、各自の心配や安楽や快楽に押しつぶされた都会の人間である。今では大衆的人間が街頭の人間と溶け合っている。」(以上、P.V.Dボッシュ『われら不条理の子』1956年(加藤周一・訳))

 「都市」「都会」に集まり散じる眼前のその他おおぜい、つまり「街頭」の人間たちは、なるほど、これもまた「大衆」と言い得るような存在ではあるかもしれない。しかしそれは、彼ら個々の出自や社会的民族的文化的背景などの諸事情、多様な属性を越えて一律に「平均化」された存在であり、そのような意味で「精神」を伴う「人格の成立」を期待し得るような「あるべき大衆」ではないかもしれない――少なくともこの筆者はそのように考えているようです。

 ここでの「街頭」というのが、「盛り場」に代表されるような「都市」的現実のとりあえずの具体相であったとして、ならば、それはそのまま「大衆」のあらわれとして認識していいのだろうか。「大衆」という表象で表現され始めた、でも、どうもそれまでのその他おおぜい、漠然と民衆なり公衆なり、あるいは衆愚などとあからさまな価値判断込みで呼びならわされてもきていたものとは、また違う内実をはらんでいるように見えるこの眼前のありようを、いきなり全部その「大衆」とだけくくってしまっていいものだろうか――おそらくこのような留保がこの筆者の胸中にはあったのだと推測します。それは、その「大衆」と呼ばれるようになっていたその他おおぜいという眼前の現実に伴う歴史性、それまでのその他おおぜいとはまた違うありようを示しているらしい気配に敢えて合焦し、立ち止まらざるを得ない何ものかを、この彼が感じていただろうことに根ざしていたはずです。

 先に示したように、これらはもともと日本のものではない、フランス人筆者によるフランス語からの訳文ですから、原語がどのような語彙だったのかなども含めて、留保しておかねばならないのでしょう。また、そもそも今からすでに67年前という時期に書かれたものであること、「プロレタリア」と「アジア人」という言い方で、当時のソ連と成立間もない新しい中国を念頭に置いていることや、それらを可能にした社会主義思想を前提にしたその他おおぜいをポジティヴに「大衆」と見ようとしていることなども、第二次大戦が終わった時点で15歳だったという当時の若い衆世代のこのフランス人筆者の世代性と共に、手もとでおさえておかねばならないことになるでしょう。ただ、この場で言っておきたかったことは、要は同じ「大衆」という表象にも、ネガとポジのようにその内実にさまざまな彩、微妙な階調を伴う濃淡もまた含まれ得るものだったということでした。そしてさらに付け加えるならば、同じ日本語を母語とする言語空間においては、それらが同じ日本語で平然と読み、かつ考え得るものになっていたことも含めて、このやくたいもない思索の千鳥足の傍らに、そっとピン止めしておかねばならないことだと思っています。

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 「「映像の世紀」初期は確かに膨大な記録フィルムから丹念に素材を探して編集している労苦が感じられ貴重な記録に驚くとともに制作スタッフの手間暇に敬意を感じたものだった。しかし私は「BS世界のドキュメンタリー」を毎回録画しているのだが、近年の「バタフライエフェクト」はほとんどがこの枠で数年前に見た先行する外国のドキュメンタリーをそのままなぞっており、使われている素材もそこで見たものが多い。正式に許可を得て使ってはいるのだろうが7割方出来あがっている物にこちらで少しつけ加えて出したという印象だ。元ネタも先に自局で流してるのでバレバレになってしまうのだが。」

 とある日、Twitterで遭遇したつぶやきの一端。

 〈リアル〉の作られ方、その時代その社会における技術その他の条件によって定められてくる情報環境との関係において、どのように「現実」(と概ね感じてしまうような何ものか)が編制されてゆくのか、という問いは、近年、いわゆる人文系の〈知〉にとっての基本的なお題のひとつになっているところがあります。でも、それは別に杓子定規な〈知〉のもの言いの範囲だけでなく、このような何でもない世間の匿名のたてつけにおいても素朴に発される問いとして、同時代的な拡がりを持つようにもなっている。昨今の情報環境の変貌というのはこのように、これまで自明の編制の裡にまどろんでいたメディアの生産点における「そういうもの」な手癖や習い性を、時に残酷なまでにあからさまに、同じ匿名のたてつけの世間においてうっかりと可視化してくれるまでになっているようです。


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 ならば、及ばずながら、〈知〉のもの言いの側でも、それを引き受けねばならない。かつての自然主義記録文学などからルポルタージュやノンフィクション、はたまたいわゆる報道の脈絡にあるさまざまな文体、などなど、少なくとも文字/活字表現に限ったところでも、それら〈リアル〉が作られてきた過程に合焦してゆくことで、あらためて考えておくべき問いは本当にいくつも出てくるものです。

 ここでたまたま洗い出されたような、「素材」を「編集」し「構成」してゆくことで、あるまとまりとしての「作品」ができあがる、という発想。小説の書き方、昨今だとラノベその他の新たな言い方も含まれるのでしょうが、いずれそのような文字/活字メディアによる何らかの「創作」を語り、説明しようとする際にも、このような「素材」と「編集」「構成」といったたてつけでの説明が繰り出されるのも昨今、そう珍しいことでもないでしょう。

 けれども、立ち止まって考えてみると、このような「編集」するための「素材」としての映像、という考え方自体、あのモンタージュ理論などにも通じる映像メディア由来の発想のようにも思われます。あるいは、さらに音声メディアなども含めて、広く「視聴覚」メディアと風呂敷を広げてみてもいいかもしれない。

 これは、それら視聴覚系のメディア自体が、スチールの静的な写真にせよ、上映されて初めて現前化する動的な映像である映画にせよ、はたまた再生機器を介してようやく音声として聴くことができるようになるレコードにせよ、そこに印画紙であれフィルムであれレコードであれ、いずれ具体的なブツとしての媒体そのものの存在を生産する過程を必然としている、その意味で近代的な複製技術を媒介に初めて現前化するものだったことと関連しているらしい。それ自体が作品であるかどうかとは別に、制作の過程、生産の手順において具体的なブツとしてまず現前化して眼前に存在させる段階がある、だからこそ「素材」としてそれらを、まさに客体、対象物として認識することも、どこか自然にできるところがあるのではないか。

 これが、文字/活字メディアの場合だとどうでしょう。たとえば、紙に筆記され記録された文章なり作品なりは、確かにその紙という具体的なブツとして存在しますが、その原稿なり印刷物なりを「素材」として、映像メディアのように「編集」して作品化してゆく、といった発想には直接的にはつながりにくいのではないか。手書きで書かれた生原稿であれ、活字化され印刷され、その意味で複製された媒体である書籍であれ、それは確かにブツとしての作品として見られることはあるにせよ、でもそこにもまた「読む」という過程、フィルムを現像し印画紙に定着させてゆく過程や映写機にフィルムをかけて映写する過程、蓄音器にレコードを乗せて再生する過程と同じような意味で、しかし必ず生身の行為としてしかあり得ないこの「読む」が介在してくる。「読む」とは、現像と定着の化学的反応過程や、映写機や蓄音器の機械的作動過程とは、その一点において決定的に違う、そう思わざるを得ません。

 文字/活字メディアの創作物における、生産現場での「編集」があるとしたら、作家なり筆者なり書き手の作業において、メモや書きつけなどを手もとに置きながら、自分の脳内も含めた作業スペースの上であれこれ手を加えたり、前後を入れ替えたり、さまざまに弄って手直しして整形してゆく、そのような過程においてでしょう。しかし、そこでもまた、「読む」は生身の行為として必ず介在してきます。「素材」を「編集」して「作品」にしてゆく、という過程としては確かに共通していても、視聴覚系のメディアにおける「見る」「聴く」などと同じ横並びの行為として、文字/活字メディアの「読む」を位置づけることは、その「見る」「聴く」にもまた、そこで接する情報を生身の裡で処理してゆく過程としての「読む」も広義に介在してくることを見落とすか、少なくとも後景化して軽視してしまいかねないという意味で、いささか粗雑な理解のように思えます。

 文字/活字によって表現される〈リアル〉は、それ自体確たるものとして外在的にあらかじめ存在するものでもなく、それをそのように「読む」ことが可能になるような読み手の側のなりたちも含めてのものだった。そして、その読み手と書き手とが、共にその同時代に生きている生身を伴う主体である場合には、その双方の関係と場において「読む」を介して立ち上がるはずの〈リアル〉というのは、共に生きているその同時代の〈いま・ここ〉の内実、共に日々生きて呼吸しているまるごとの体験や見聞の領域を見えない背景、書き割りとして作用させ、客体としての紙媒体の向こう側の書き手と「読む」を行なう読み手としての自分とが半ば自明に地続きのものとして意味づけられる。それは、細かく言えば、すでにその時代に存在しなくなっていた過去の書き手の書き残したものを「読む」ことによって立ち上がる〈リアル〉とも、微妙に違う内実をはらんだものにならざるを得ないはずです。つまり、読み手にとって「読む」を介して獲得される〈リアル〉が、それ自体抽象的な仮構の水準においてではなく、他でもないその読み手自身の現在にそのままじかに突き刺さってゆく回路が開かれることになる。前回少しほどいてみたような意味での「報道」「ジャーナリズム」的な意味あいの作物の前景化の過程にも、このような「読む」を介した、いわば自分ごととしての〈リアル〉がぐっと身近にせり出してくることは含まれていたでしょうし、それはまた以前、少し言及した「書かれたもの」に対する「私小説的読み方」の浸透と拡散にも関係してくる。

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 このように、文字/活字メディアと〈リアル〉の編制の関係を考えてゆこうとする場合、それ以外の視聴覚系のメディアが同時代の〈リアル〉と、果してどのような関係を持ってきていたのか、特にいわゆる複製技術が公然と情報環境の編制に介入してくるようになって以降、それらの経緯来歴も同時に視野に収めながら、近距離から遠距離まで焦点深度をできるだけ広げた思考の視野において考えることが必要になってくる。生身の行為としての「読む」は、文字/活字メディアを介してわれわれの身の裡にすでに歴史性を伴ってインストールされてきているけれども、それらはまた、視聴覚メディアにおける「観る」「聴く」などにも、どうやらのっぴきならない解釈の基盤を提供しているらしい。「読む」をほどこうとせずに「観る」「聴く」はあり得ない。同様に、おそらくは「うた」へと至る内実も、それらの複合した生身の内実を踏まえた上で、新たな拡がりと共に異なる姿を見せてくれるかもしれないことを、期待しています。