30代「論客」的保身の蔓延

 村山内閣が成立して半月あまり。マスコミ各方面はどこもこの内閣についてどう距離をとっていいものやら、ほとほと当惑しているというのが正直なところらしい。

 新聞の論調をひとわたり眺めてみても、その種の戸惑いはありあり。「こんな内閣ができるようではもう日本も終わりだ」とばかりに悲憤慷慨、ちょっと異様なほど興奮して憤ってみせているのが読売と産経。要約すれば“社会党のような無責任政党が混じってるからいけない”という以上ではないのだが、未だに「五五年体制」の枠組みで現実を見るとこう見えるのか、という意味では参考になる。毎日は例によって可もなく不可もなくといった調子。そして朝日はというと、これが意外や意外、全体として好意的なのはわかるけれども、しかし去年細川内閣が成立した時のようなはしゃぎぶりはすっかり影をひそめ、むしろなるべくならばここは立場をはっきりさせたくない、という気分がよく見える。

 先日、二日付の朝日の紙面では、三十代の「論客」たちが村山内閣についての感想を寄せていた。はて、今の三十代に「論客」と言われるような硬骨漢がいらっしゃるのかどうか、第一、他でもない論争そのものから口先だけで逃げ回っているような手合いばかりのはず、一体どんなことをおっしゃるのかと興味津々読んでみれば、いやはや、どなたも通りいっぺんの評論家的感想ばかり。文化面だから別に政治評論家のような意見を期待したわけでもないだろうに、実に見事なまでに「聞いた風な」意見しか並んでいなかった。マスコミが無定見にはしゃいで世間の気分をあおるのはもちろん問題だが、しかし、現実に対して明確な立場を打ち出せないのもまた困ったもの。村山内閣をめぐる昨今のマスコミの論調の中に、このような三十代的な高見の見物、狡猾な日和見主義による保身がはびこり始めているのだとしたら、それはそれで問題だと思うのだが、如何。(翼)