TRACY CHAPMAN『TRACY CHAPMAN』(ワーナーパイオニア 25P2-2121)

Fast Car

Fast Car

 ニューヨーク郊外、ヤスガー農場の朝もやをついて、グレース・スリックの「おはよう、みんなッ」という元気印の声が響いてから二〇年目の夏、静かに、しかし確かな声が「革命」を語る。アジり、叫ぶことはしない。だが、“It sounds like a whisper" とその声はそっと語りかける――海の向こうで、トレーシー・チャップマンのデヴューは、この初夏の 「事件」だったらしい。


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 八〇年代に入ると同時に拡散していったこの国の音楽シーンの歪んだコスモポリタニズムにへきえきし、それほど丁寧にチャートをフォローしたりしなくなってからずいぶんになる。もっとも、高校時代、傷だらけの安物ベースを抱えて見よう見真似のブルースを演っていた頃の音楽との関わり方がそのまま延長していたら、東京へ出てきたあと、アッという間にブルースやロックのおタクになりかねなかったのだから、我ながらこれは転向というより社会復帰と言うべきできごとだったと思うのだが、しかし、この夏、ふとつけたMTVでオンエアされていた“Fast Car”のヴィデオクリップに、忘れていた「ゾクッとする感じ」がよみがえった。*1

「あなたは速い車を持ってる/私は、ここから出てゆきたいの/ずっと、街の雑貨屋で働いてたから/お金なら、いくらかあるわ/そんなに遠くなくてもいい/国境を越えて、別の土地へ行きたいの/二人で仕事を見つけて/そこで生きる意味を見つけたいの」

 生ギターの雄弁というのがある。生ギターによって語られる歌詞の雄弁、ではない。等身大のくらしを語ることはあの「フォークソング」からは必ずしも出てこず、そことは別に、おそらくヤマハ音楽教室の背景で育った連中によって初めて可能だったことのアイロ
ニーを、もういちど考え直してみる必要はないだろうか。例えば、吉田拓郎が放射していったのはその歌詞に込められたメッセージなどではなく、生ギター一本の紡いでゆく場の豊かさだけだったかも知れないこと。歌詞そのものの切実さとしては、おそらくは荒井由
実や、太田裕美や、イルカの方がよほど切羽詰まったイメージを立ち上がらせていたこと。それは、今のカラオケディスクに彼女らのナンバーは収められていても、拓郎や、岡林の「歌」はまず見かけないということとも同調する。あるいはまた、歌そのものとしては窒
息するくらいにナマな大津明の生ギター一本の音楽によって役者の身体以外に何もない裸舞台を緊張させるという荒技をやってのけたのは、西武劇場という八〇年代資本の作りだした空間の暴力に違和感を持たされていた頃のつかこうへいだったこと。生ギターの喚起
する「身近さ」のイメージが、「歌」そのものを呑み尽くすような状況のもとで「フォークソング」が流通していたかも知れないことを可能性として考えることは、七〇年代以降のサブカルチュアの雪崩現象を解くひとつの大きなカギだろう。*2

 ジョニ・ミッチェルが生ギター一本で語ったように、トレイシー・チャップマンも生ギター一本で語る。そして、北海道にいた頃の中島みゆきが「どこかへ行ってしまう女」を生ギター一本で歌い続けていたように、彼女もまた、道端にたたずんだまま、ふと歩き始
める少女を歌う。ブルース・スプリングスティーンが『ネブラスカ』で提示した原風景としての「サイレントマジョリティアメリカ」は、彼女の声にもはらまれている。だらしなく広い道路沿いに並ぶ間のびした家並み。職のないぐうたら男とコンビニエンス・スト
アのサッカーの女。先の見えない貧乏暮らし。それでも、デトロイトメイドのスポーツタイプ・クーペだけはなぜか持っていて、少し前までは、週末毎に隣り町のはずれあたりの公園くらいまで、必ずささやかなランチを持ってドライヴしていたりしたのだ。*3

あなたは速い車を持ってる/二人で、どこへでも行ける/私が借金を返し終えたら/もう、遅くまで飲むのはやめてね/それより、友達に会ったりなさいよ/二人なら、見つけられるかも知れないじゃない/まだ何も考えつかないけど/この車で、とりあえず走ってみましょうよ」


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 だが、あらゆる「洋楽」が「歌」そのもののメッセージとは全く別の次元のメッセージを放射させられるようなこの国のメディアの磁場の中で、彼女の語り、歌う風景がどれだけこの国の空気に響いてくるのか。先日、政治犯釈放のメッセージを込めて開かれた「善
意」のコンサートに、彼女はやってきた。東京ドームで開かれたギグはなかなか盛況だったというが、生ギターに乗せて語られるメッセージ自体が異なった文化と異なった情報環境のもとで全く違った意味を放射させられるために奉仕することになる無惨に、彼女がど
のように耐えていたのか、いつか確かめてみたいと思う。

「あなたは速い車を持ってる/だけど、空を飛べるくらいかなぁ/今夜発つか、このままここで暮らして死ぬか/早く決めましょう」

 本当のことだけを、つぶやくように歌うという表現のスタイルが、どこから漂白されてしまったのか、僕たちは考えてみる必要が、きっとある。でないと、この国の世紀末は渡辺美里尾崎豊レベッカといったクソッたれどもにやられっ放しだ。

*4

*1:アメリカで居候している時のこと。日本にはまだロクに紹介されていなかったので物珍しかったこともあり、カウチに寝っ転がってMTVばかり観ていた。

*2:king-biscuit.hatenablog.com

*3:
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*4: king-biscuit.hatenablog.com