場外の英雄

 以前より場外を使うことが多くなった。競馬場に足を運んだ上で馬券を買うのが競馬本来の姿であり、場外馬券は馬に失礼である、ゆえに場外で買った馬券が外れても文句は言えない、という僕の考え方からすればこれは堕落である。だが、だんだんとヒマのなくなる悲しさ、こればっかりはどうしようもない。

 昨今は場外も様変わりで、白いタイルと、ぴかぴかした鏡貼りのフロアと、空気清浄機とエアコンの完備した「快適な」空間になっている。草原を駆ける馬の巨大なパネル。穴場にはオバさんではなく、とりあえず若いオンナのコたちの制服姿が並び、どこもかしこもきれいに掃除がゆきとどいている。申し訳なくて外れ馬券など捨てられるものか。

 場外だけではない。競馬の開催日ならば、テレビのスイッチさえひねればそこに緑の芝生が映しだされる。電話投票に加入できれば電話一本で馬券を買うことだってできる。最近増えたNTTの無料テープサーヴィスの収益のほとんどが、実は競馬と株式からだという事実、知ってました?
                  
 アメリカの学者には妙なのがいて、場外馬券売場民族誌を書いた男がいる。ジョン・ローゼクランス。“The Degenerates of Lake Tahoe”(1985)という本がそれだ。そのまま訳せば「レイク・タホーのロクでなしたち」という感じか。いかにもソーシャルワーカーの経歴のある人らしく、彼はそこに集まる人々の社会的背景、心理などについて、調査をし、分析を加えてゆく。クリスマスの日でさえも終日たむろし、「ベイ=メドウズ競馬場からのレース結果をお知らせする前に、みなさまにクリスマスのお祝いを……」という場内アナウンスに向かって「くたばりゃがれ、クリスマスッ!」と合唱する彼らは、その七割近くが中年と年寄りだという。

The Degenerates of Lake Tahoe: A Study of Persistence in the  Social World of Horse Race Gambling

The Degenerates of Lake Tahoe: A Study of Persistence in the Social World of Horse Race Gambling

  • 作者:John D. Rosecrance
  • 出版社/メーカー: Peter Lang Pub Inc
  • 発売日: 1985/06/01
  • メディア: ハードカバー

 思えば、少し前まで、場外は年寄りたちのたむろできる場所になっていた。地方競馬には今もそんなところがある。競輪場はもっとそうだ。開門から最終レースまで、肩寄せあって場内にいる老夫婦をよく見かける。

 後楽園場外にも名物ジイさんがいた。長いヒゲと陽に焼けた顔。長身ではないが、ヒョコヒョコと人ごみの中を歩いてゆく。競馬のある日は必ず場外にいる。それも単複馬券の穴場だ。ニコニコ笑いながら、一〇〇円や二〇〇円の単勝複勝馬券を買い、また壁際にしゃがみ込む。時代もののトランジスタラジオにイヤホンをつけ、じっと耳を傾ける。払戻しをしては、また買う。どのレースも必ず買う。

 彼のまわりには、どんなに混雑している時でも半径ほぼ二メートルばかり、誰もいない空間ができた。臭いのだ。階段をあがり、ひしめきあう人の頭がぽっかりと空いたところに彼はいた。だから、いつもどこにいるのかすぐわかった。すりきれた紙入れにしわくちゃの千円札が数枚。あとは小銭ばかり。資金が底をつくと、ガードマンにタバコをせびり、掃除のオバちゃんのあとをついて歩く。時に予想屋のブースの前に座り込んでは、よく追っ払われていた。

 どういうわけか、彼が場内のディスプレィに放映されるレースを見ている姿はあまり記憶にない。場内に流れる割れた実況放送と、イヤホンから流れるラジオ中継とにじっと耳を傾けていた。そして、彼が「とったヨ、とったョ」とかん高い声をあげて新聞を振りかざすと、まわりの空気がほどけた。あんまりうれしそうな様子についそちらを振り向くと、もういけない。ちょっと眼が合っただけで、「ありがとネ、ありがと」と歯の抜けた口をあけて遠くにも手を振る。そんな時の彼は、間違いなく場外の英雄だった。

 後楽園が改装され、ユニット馬券に変わり始めたあたりから、その彼の姿を見ていない。今思えば、僕もまたその頃から、競馬とのつきあい方が変わっていったような気がする。

 舞台は今、夏競馬。最後のチャンスに賭け、うらぶれた未勝利戦や下級条件戦に、どこかしら故障を抱えた仲間としのぎを削り、そのあとそのまま地方競馬に売られてゆく平凡な馬たち。ヨレたり、バテたり、レースとしてはさんざんな競馬ばかりだ。しかし、それでも彼らは、場外のディスプレィの向こう、確かに生きてある。