拝啓、井上緑様――東大「中沢新一騒動」と、ある女子高校生のこと

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拝啓、井上緑様。

 あなたは今、どこで、どのように、この一九九二年の春を迎えているのでしょうか。

 今からちょうど四年前、一九八八年四月一三日付『朝日新聞』の投書欄に、「栃木県在住」の「公立女子高校生」だったあなたの手紙が載りました。ごていねいにも丸く囲った小さな顔写真まで添えられたその記事の切り抜きは、ファイルされて今も僕の手もとにあります。新聞紙のことですから茶色く変色し、ふちの方などもう早々とそり返っている始末ですが、この国の八〇年代がどういう種類のもみくちゃをどのようにまき散らした時代だったのか、それを静かに考え、この先共通の問いにしてゆくための貴重な「民俗資料」としてこの切り抜きは役に立ってくれるはずです。今どきあなたにこんな手紙を書くのも、あなたのあの投書とそれを臆面もなく紙面に載せた大新聞の“正義”は、図らずもあの時期のある意識のかたちを映し出していたと、改めて思うからです。

 あの時、高校三年生だったあなたも、もう二十一、二歳。「大学の文学部への進学を希望している」ということでしたから、その後うまくどこかの大学にもぐり込んだとして三年生。就職目指した“自己啓発”に余念のないところでしょうか。それとも、勉強大好きとおぼしきあなたのこと、学者にでもなるべく、わき目もふらずに卒論や大学院受験の準備に邁進しているのでしょうか。あるいは、浪人でもしていればまだ二年生。一年休学して留学でも、と、ご多分にもれず“国際化バカ”の初期症状でも出始めた頃でしょうか。当時、中沢新一氏の東大助教授採用問題が、新聞や雑誌を賑わしていました。その問題がらみで憤然と東大を辞職した西部邁氏が、メディアの舞台にいずれ笑うしかないその内情を洗いざらいぶちまけていた関係もあって、確かにあの頃、多少なりとも本読む手癖を持った若い衆の間で、それはちょっとした共通の話題ではありました。

 他でもないあなたの投書も、その問題についての意見を述べたものでした。それによれば、あなたはすでに中学三年生の時に中沢氏の著作『雪片曲線論』を読み、「その新しい趣旨に魅せられた」ということでした。『雪片曲線論』に魅せられる中学生!そのイメージに僕はほとんど立ち眩みがしたものです。だが、「並み以上の読解力があったとはいえ」と謙遜に見せかけた留保のもの言いにささやかな自尊心が顔を出していたあたり、なるほど、本を読むことについてあなたにはそれなりの切実さがあったのでしょう。

 こういうよじれた自尊心でしか“文字読む人”の自分を表現できない不自由は、いつの頃からか、ある種の学生などに典型的に見られます。ほら、よくあるでしょう、テレビの討論番組などで、わざわざスタジオまでやってきてフロアに座っているくせに、いざマイクを向けられると、高偏差値であることで引き受けねばならなくなる制約や責任に耐え切れないひ弱さを世間の嫉妬心を過剰に当て込んだしゃらくさいもの言いにすり換え、誰も尋ねてないのに「一応東大(あるいはその種の「高偏差値有名大学」)なんですけどォ」と、唯一のものさしである偏差値的世界観に基づいた自分の帰属について言わずもがなの前フリをし、あとはもう言うことがないから不用意な自尊心がむき出しになるばかりで言いたいことがまるでわからず、「結局、あんたその“東大”ってことが言いたかったのね」ということしか聞いてる方には残らない、そんなヤツ。*4

 誤解しないで下さい。だからいけない、と短絡するのではありません。“文字読む人”の思春期など昔も今もそんなもので、そんなものという程度にうすらみっともないものです。ただ、たかだか中学生ですでにそういう不自由に足とられてしまうほどに、あなたは本を読み、稚拙であれものを考え、そうすることでしか自分を作ってこれないような種類の人だったということ、その異様な早熟を言いたいのです。

 あなたはこう続けていました。「そこでは既成概念の凝りを次々に打ち壊す“ゆらぎ”という思考がビデオゲームやサーカス、衣服や宗教、呪術などを通して色彩豊かに軽やかに展開していく。その理論は表現とともに全く「芸術的」な美しさをたたえ、それでいて「科学的」理性の領域を離れていないのである。芸術性は確かに「科学」を論破する上での思考の手段となり得るのだ。なぜなら中沢氏はそれを自在に操ることで、その論ずる所である「ゆらぎ」の難しい性質を実に明確に、しかも均質な固定化など行なうことなく科学的に述べているからである。」

 「理論」と「表現」の関係とは?「科学」を「論破」する「芸術性」とは?杓子定規な疑問は山ほど出てきます。だが、それをいちいち指摘するのは無意味でしょう。なぜなら、あなたが言いたかったことは、「中沢さんってカッコいい!」――これ以上でも以下でもないはずだからです。彼の書いたものをまず「カッコいい!」と感じ、「あ、こういうのってありなんだ」とあなたは思った。だから、そのカッコよさをわからない「東大の教授会」ってなんてダサいんだろう――そう、これは正しくファンレターです。

 なのに、あなたのあの“ファンレター”は、なんといびつで、やせっぽちで、胸ときめかせたはずのその想いの初速まるで抜きの、無惨なまでに不自由な言葉の剥製だったのでしょう。

「紙面で見る限り教授会は、「理論」それも今ではカビだらけになったようなものを神聖不可侵として祭り上げ、その範囲にないものは正しい検討もなしに除外しようとしている。」「学生が求めているものは、義務教育のような「定まった知識・理論」でなく、大学という真の学究の場において常に進歩する、興味に満ちた「躍動する思考」なのだ。」

 「これってカッコいい!」――ただそれだけのことを言葉にするのにこんな身につかぬもの言いに吹け上がらなければならなかったいびつに生意気な小娘が、決して例外でなくいてしまったことに、そして、それに“正義”の貸衣裳をまとわせて何百万部とばらまいて恥じることもないほど健康な批判力を喪失していたメディアの生産点の頽廃に、僕はやはり茫然とします。茫然として、その“ついこの間のこと”のとほうもなさをまたかみしめます。大学もメディアも、何ひとつ変わらず今もそこにあります。あのいびつに吹け上がった自尊心を抱えたまま、おそらくあなたは大学へ行ったことでしょう。あれから四年、そこであなたはどんな言葉を獲得したのでしょうか。もしよければ、教えて下さい。

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*1:朝日ジャーナル』「書生の本領」連載原稿。

*2:朝日新聞』の投書欄に、栃木県だか在住の女子中学高校生の投書が顔写真つきで掲載された件、である。この時点でもう4年前のできごと、ではあったのだが、該当記事の切り抜きがどこかにあったはず……発掘でき次第、また追加して貼りつけておきたいとは思う……220612

*3:中学生でない、高校生だった。訂正訂正……220720

*4:やはり、この頃のこういう案件、その後のあの「意識高い」の萌芽形態だったんだな、と改めて思う。

*5:実はこの何年か後、ご当人から連絡があったと記憶する。立教だったかな、大学へ進学して、その後大学院に行ったような話だったかと。でも、当時の自分のこの投書についてはきっちり対象化していて、穏当に自省の俎板に乗せていたので、頼もしく思ったことを覚えている。どこかにその時の記録やメモもあったはずなので、これも発掘したらご紹介しておきたい……220620