人はエイズですら日常化できる

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 火野葦平の小説『花と龍』に、明治末年、主人公の玉井金五郎が、当時上海コレラが猖獗を極める門司の巷に住みながら最後まで発病しなかったことで英雄扱いされ、新聞にまで載ってしまうくだりがある。発病後半日で死に至るというとんでもない劇症コレラ。資本主義の自我拡大期は病気だって激しい。だから、こんな英雄もそれに見合って輝く。

 「病気」と言い「病い」と言う。しかしそのようなもの言いで示される現象は、民衆的想像力の水準においては、どうも今の僕たちが当たり前に考えるのとは違った認識をされていたらしい。近代医学がここまで知識として大衆化する以前の「病気」の内実、たとえば、とりつかれたら最後短期間で確実に死に至るものと、死に病ではない分じくじくとつきあってゆかねばならないもの、つまり病気には“過激な病気”と“緩慢な病気”の二種類しかなく、そしてそのような病気の遍在状態を綱渡りしながらかろうじてつむがれてゆくのが生だ、という認識がある時期までの常識だったとしたら、さてどうだろう。

 たとえば性病についてすら、僕たちはもうそれが日常的にどのようなものかわからなくなっている。「ヨコネ傷」と聞いて、それが軟性下疳に伴う腫瘍の痕跡のことで、というのは辞書や事典から知識として知ることはできても、どだいどんな症状がどう続くものなのか、どのようにうっとうしいものなのか、ということについて想像力が働きにくい。昔は梅毒や淋病など病気のうちに入らなかった、というのは今もある世代以上の人から聞かされるもの言いだけれども、なるほど“過激な病気”は性病どころではない、単なる盲腸炎だったほっからかして置けば穿孔し腹膜炎を起こして簡単に死んでしまったろうし、抗生物質のない頃の破傷風なんてのも死に病としては結構身近だったろう。そんな環境の中では「体力」や「健康」も今とは違う意味を伴っていたはずだし、さらに言えば、身体そのものを介した「自分」や「他人」についての距離感覚も充分に違っていたはずだ。

 だが、ここ20年あまり、職場での健康診断の普及や検査機器の進歩により、病気はそんな眼に見えない魔というよりも、つきあいのネタになり得るほど大衆化された“知識”となった。とりわけ男性葉そうだ。肝臓と糖尿と高血圧にまつわるもの言いは今や日常言語の範疇にある。この先、家庭の女性に対する定期健康診断がもっと一般化すればさらにその傾向は加速されるだろう。このような“知識”としての病気、“数値としての不健康”はある種の地口やことわざのような水準で定型化され、民衆的知識として蓄積される。同じ病気を持つ者同士の盛り上がりを支える語りの質を思えばいい。近代医学の浸透によって病気は新たに序列化され、何やら偏差値めいた世界観に組み換えられてどんどん身近に、フラットに語られてゆく。今や「病気」ノインフレは究極にまで達した。大人だけではない。子供に対してはさらに異様だ。何でもない、特に激しい身体的苦痛や具体的不都合のないものまでも一様に「病気」と名づけ、処理してゆく。虫さされまでなじられるというのだから世も末だ。もはやそれは、正しくフォークロアとして考察するべき対象でもある。

 だが、静かに考えてみれば、やはり未だに“過激な病気”と“緩慢な病気”としかないというのも最も日常のレヴェルの真実としてきっちりあるはずなのだ。そう考えれば、エイズなど基本的に“緩慢な病気”の類である、という立場は、この先、ひとつの知恵としてでもあっていい。梅毒でも潜伏期間は10年20年、ましてコンドーム程度では予防できなかったのに比べれば、空気感染もできないエイズは日常での対処が十分できる。りんご病手足口病や水いぼを「病気」として水増ししておく感覚をそのままにしておいて、一方でエイズを史上最悪の病気のごとく言いつのり、メディアの舞台に立ち上げられた過剰な危機感のみをテコに脅迫気味に予防知識を宣伝するというのは、それがいかに誠実な動機に支えられたものであれ、この情報化社会ではもうあまり利口なやり口でもない。

 チェルノブイリの“その後”を撮影したフィルムに僕が何より感動するのは、たとえ放射能ですら人間は日常化できる能力を持った動物である、ということだ。「放射能?そんなもの知らないよ、誰がそんなもの持ってきたんだい」と言いながら故郷の高汚染地域に戻ってくる婆さんたちの表情に宿る圧倒的な確かさ。あの毅然として生への構え方に直面して、ほろほろと先進国風味の薄味の涙を流して「ああ、かわいそう」などと瞳に星散らすしか能がないというのは、このもはや彼らとは違う種類の生の内実にしか思い知れなくなった国に棲む者の傲慢な鈍感さかも知れない、と僕は思うことがある。

 人はエイズもまた日常化できる。そのことの豊かさをこそ僕はこの先希望にしたい。

*1:産経新聞』の掲載原稿。コロナ禍をくぐった、そして梅毒が国内の若年層中心広まり始めた、そういういまの時点で改めて読み直すといろいろと感慨深いものがないではない。……240223