田中康夫、震災に軽挙妄動

 田中康夫が震災被災地でボランティアに奔走しているという。笑止千万である。

 かつて湾岸戦争の時、「文学者」という大時代な主体性で戦争反対を“宣言”する記者会見をやり、おおかたの失笑を買った一人だったのを小子は忘れていない。あの時は今は亡き中上健次が、すでに体調も悪かったのだろう、ひと回り小さくなった印象で驚いた記憶があるが、それとは対照的に、得意満面に場をとりしきる柄谷公人の矮小な権力欲が浮き出た浅黒い顔と、その脇でようやく念願の「文学者」としてふるまえる喜びに打ち震えながら懸命に良い子ぶる田中康夫いとうせいこうら“八〇年代派”の身ぶりが共にげんなりするほど醜悪で、「文学」が完全に死滅した時代という想いを新たにした経験がある。 それが今回、ボランティアだそうである。すでにありもしない「文学」の特権性にあぐらをかいて“宣言”する空しさを少しは思い知ったか、と最初は見直しかけたのだが、その後耳にしたところでは、何でも大阪の某高級ホテルに優雅にご宿泊で、そこから原付で被災地にお出かけになっているというから愕然とした。しかも、さすがにこれは事実とは思いたくないが、それらの仕切りを取り巻きの編集者がやっているとかいないとか。いやはや、やはり並大抵の厚顔無恥ではない。

 しかし、こんな軽薄極まる底の浅いスタンドプレイでも、「ボランティア」というだけで判断停止をしてしまっているマスメディアは、さも美談の如く取り上げている。震災が非常事態ということはわかるし、また善意の市民の無償奉仕が大きな力になったことも認めるが、その中でくらげのように漂い出た、自分たちが被災地で現実にどのように役に立つのかについて思慮することすらできない軽挙妄動まで同じ土俵でいっしょくたに翼賛していいわけはない。その根のない“正義感”こそ、善意の顔したファシズムの温床なのだ。                                 (光)