宗教学者たちの醜態

 東京の地下鉄“サリン”殺傷事件から、オウム真理教強制捜査へ至るまでの展開は、さまざまな方面に衝撃を与えています。“サリン”そのものがこの原稿を書いている段階ではまだ発見されていず、また、上九一色村の教団施設にいたとされる信者のかなりの部分がすでにどこかへ脱出している可能性がある以上、本当に危険な事態はようやく始まったばかりという見方をするのが常識だと思うのですが、そのような視点からの報道はまだ少ないようです。と同時に、これまでオウム寄りの発言を繰り返してきた宗教学者たちのコメントについても、例によっての情報洪水の中で見過ごしてしまってはいけないでしょう。 島田裕巳さんは意識的かどうかはともかく、結果としてオウム真理教の外郭広報係のような役割を果たしてきた人ですが、ついこの間も『宝島30』の取材でオウムの施設内にただ一人入ることを許されたことなどどこ吹く風、「最近ずっと接触がないから教団の内部にどんな変化があったのか良くわからない」と予防線を堂々と張ったコメントをするあたり、凡庸な風貌に似合わずなかなか図太い神経をしているのだな、と感心しました。

 これに対して、いささか哀れだったのは中沢新一さんです。TBSの『ニュース23』にコメントを寄せたのはいいのですが、“ニューアカ”以来自他共に認めるスタイリストで、白髪混じりになった今も『アエラ』の表紙にさっそうと登場し「ボクって知的でしょ」と臆面もないカメラ目線をしてのける同じ人とは思えないほどしどろもどろの対応。あげくの果てに麻原彰晃に呼びかけるようなことまでするに至っては、お得意のポップ路線でオウム真理教を持ち上げていたいきさつも、その背後に何か信念があってのことではなかったというのが図らずも暴露されてしまいました。かつての愛読者としてはがっかりです。むしろ、そういう軽薄さに殉じることこそが、“リアルであること”じゃないんですか?(舞)