家畜商免許、のこと

世は不景気のデフォルト状態、最近では資格とか免許とかに走るシトがさらに多くなっているようであります。

 テレビのCMなどを見ても、資格取得関係の専門学校その他のものが、サラ金などノンバンク系金融に次いでやたらに増えてますし、予備校から大学に至るまで、それまで「高等教育」の範疇に入っていたはずの組織や施設も、軒並み「資格」という実利をぶらさげて客寄せし始めている。九〇年代に全面化した「一般教養」課程の解体以降、ますますひどいことになっている文科系の大学などは、看板はともかく、実質は職業訓練校か資格取得の専門学校に化けてゆかないことには生き延びるのもおぼつかないわけで、浮世離れした場所と時間で浮世離れした歴史だの文化だのをゆっくり考える、なあんて呑気なことは、とてもじゃないけど許されない状況になってきているようであります。

 書店の棚を眺めていても、こういう資格取得関係のものがどんどん拡張されているような印象がありますねえ。とは言え、一時期流行った英会話系のものはすでに廃れてるし、IT革命のかけ声に乗せられたコンピューター系のものも、若い衆ならば本格的に専門学校で学ぼうとするご時世、それにITバブル崩壊がここでも追い打ちで、仕方なく未だにパソコンにアレルギーのある年寄り市場を狙い始めるていたらく。「資格」=「学校」または「通信教育」てな方程式も、この状況ではいまひとつ頼りにならなくなってきているところがあるようです。

 え〜、実は他でもない、このあたしも最近、ひとつ資格というか、免許を取ろうと頑張ってたのであります。何の資格か、っつ〜と、これが家畜商。そう、牛や豚、馬などの流通に携わるお仕事、ってわけですな。
 
 そうか、あの大月のバカももの書き/学者稼業がいよいよ行き詰まったのか、と勘繰られるでしょうが、ひとまずご心配なく、馬まわりの仕事をしてゆくつもりなら持っておいた方がいい免許だよ、とずっとまわりから言われてきてて、そうか、それならいつか機会があれば、とずっと思っていたのをようやく実行に移した、といった次第。学校の畜産科を出たわけでもなければ獣医でもないあたしが、そんないきなりその道に入れるわけもなし。なんつ〜か、まあ、何かの保険、気休めみたいなものと言えば言えます。

 まず二日間の講習というか研修を受講して、その修了証がないと免許の申請ができないという仕組みになっているらしくて、その講習会にこの間、頑張って出席してきたんですが、ここで使われたテキスト、これが結構おもしろかったんですねえ。

 農林水産省畜産局監修、日本家畜商協会編集の『最新 家畜取引の知識』。版元は、こういう行政関係のテキストその他が専門のぎょうせい。価格が三千円と高いのは、もちろん一般に流通することはまずない本だからでしょう。

 これでもあたしゃ法学部の出身で、お約束で六法全書その他も持たされていましたが、当時からとにかく法律とか行政がらみの文書ってやつが大嫌い。だって、おもしろくないんだもん、と、ガキみたいにふてくされてハナッから敬遠し続けてきたような始末でしたが、今回このテキストでまともにそういう文書の文体ってやつに接してみたら、あ〜ら不思議、これが案外におもしろいじゃないですか。

 基本的には、家畜取引がらみの法規の解説と、家畜についての基本的に知識の整理、それに関係法令や通達が最後にまとめてくっつけられている。無味乾燥でムダのない分、文字を読むことのおもしろさみたいなものはひとまずない本なんですが、でも、牛や豚には疎くても、馬、少なくとも競走馬についてはなんだかんだでもう二十年近く、それなりに現場も見たり話を聞いたりしてきた経験がある分、そのおもしろくない文書の背後にある「手ざわり」みたいなものが、当たり前だけどわかるんですよね。だから、そうか、あの時のあの取り引きのあの局面ではこういう法規があって、こういう事情があるからああいう対応になっていたんだな、とか、現実とそれを支える「法律」の現実との関わりが具体的によく見える。それが、このトシになって「おもしろい」になっていたんだなあ、と思いましたね。

 春先に、とある仕事で、そのまんま東さんにインタヴューした時、「大学は大人になってから入り直すのがおもしろい」ということを言ってました。ほら、彼って今、早稲田の二文の学生をまともにやってるんですが、その時も、ああ、なるほどそうかもな、とうなづいてことがあります。右も左もわからない二十歳くらいのガキが、いくら実利だ資格だと言われても、それに伴う社会的経験ってやつがない限り、やっぱりその「手ざわり」については限界がある。特に、ニッポンの知的言語の伝統の中で、こういう法律や行政系の文書の文体ってやつはまた特殊に排除されてきていますから、もう耳タコに言われている「大学っておもしろくない」のそのかなりの部分をそのへんの事情が、少なくとも文科系に関しては担っちまってるところもある。そういう意味じゃ、社会人入学とか夜間大学院とかってのは、経済や経営関係だけでなく、いわゆる人文科学系だって大切なんじゃないかなあ、と。

 いまさらこんな感想こいてるのもなんかみっともないんですけど、でも、その講習会に来ていたうち三分の一くらいを占めていた高校生たち(酪農関係の高校だと、カリキュラムとしてとらせるらしいです)のほとんどはずっと居眠りしていたわけで、それは自分が高校生でも間違いなくそうだろうな、と思ったような次第。紙の文字、乾きものの知識ってやつは、生身の体験や見聞というパッチを当てて初めていきいきと起動する、というか、なんかそういうことを改めて思い知らされて、なんか新鮮な気持ちになれました。