「団塊の世代」と「全共闘」⑯ ――個人という「正義」

● 個人と組織、個人と社会、個人と共同体

 組織がなくなって、「個=正義」という時代になってゆくと、組織にまつわっている政治も蒸発するみたいになくなってしまった。ただ、それでもあの六○年代後半は、個であることを主張しようとすれば、もちろん大した覚悟ではないけれど、それでも今よりはまだ何らかの覚悟が必要だったんだよ。たとえば、まず親や世間に対してまだそれなりの葛藤があったしね。ところが、今はその団塊世代が親になっているから、子供に対して「どうだ、その顔ならパーマかけたら」とか「茶髪にしたら似合うぜ」みたいな風になってるわけだろ。そんな子供の側には、親や世間ってものに対する葛藤はもう全くと言っていいほどなくなってる。

――親が理屈抜きでこわい、とか、世間の大人自体に何となく気後れがする、みたいな感覚、ほんとに薄くなってしまっているんでしょうね。幼稚園に入るか入らないくらいの頃から、自分の趣味や好みみたいなものをどんどん増長させるようになっているし、子供向けの学習雑誌の類なんかでもすごいことになってますよ。小学生に化粧の仕方とか、男の子とのつきあい方なんかをおおっぴらに指南してたりするし。親がそれをまたよしとしてるどころか、率先して煽ってたりしますね。

 私たちの頃、いや、大月君たちの頃くらいまでもまだそうだったと思うけど、まず何より、学校ってものが葛藤を生んでくれていたんだよ。丸坊主にしろ、と言ってくる学校に対抗して、髪の毛を伸ばすためには、まず校則を変えなければならなかったんだしさ。

――ありましたねえ、校則反対闘争(笑) いや、でも笑いごっちゃなくて、校則変えなきゃならない理由ってのはおおむね髪の毛伸ばさせろ、だったりしたのも確かなわけで。生徒手帳に書いてある校則ってのを、それで初めて真剣に読み返したりしましたよ。おかげで、ああいう法規的な文言というか、制度の言葉ってのに対する免疫がある程度できたかも知れない。


 そういう葛藤の中で個人と社会、自分と共同体との付き合い方、距離感などを学んでいったわけだ。この程度のことをやらかすのならこういう覚悟でいい、でも、ここまでやるには命がけで生涯棒に振る覚悟が必要だ、ならば、自分は根性ないから一歩退こう、または、生涯棒に振っても食っていけるだけの手立てを考えてからやろう、とかさ、それはいろいろ人によって、場合によって学んでゆくことができたんだよ。

 たとえば、私の場合だと、最後は弁護士になればいいと考えていたんだ。私の場合、常にそういう保障は弁護士だったな。いざとなったら資格を取ればいいや、と。

――ああ、呉智英さんの頃はまだ、法学部、ってのがそれくらい法曹関係と直結してたんですかね。あたしの頃だともう、それはかなりあやしくなってたような気がします。浅羽通明みたいなのは初手から司法試験狙いだったみたいですけど、でも、同じクラスでも入ってきた時からそっちに決め打ちしてかかってたのは四十人ちょっとのうち、そうだなあ、おそらく十人内外だったんじゃないかなあ。あたしみたいに、文学部入りたかったのに法学部しかひっかからなかった、って外道も含めて、ですけど。

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 資格にも当時は難易度があって、下のほうにはボイラーマンなどもあったけど、私たちの場合は大学に行っていたし、学生運動をやっていた連中は運動を止めたら二、三年勉強して司法試験に合格すればいい、と考えているのが多かったな。現に何人かが弁護士になったしね。教員免許もあったけど、これは現役じゃないと意味ないし、何より、学校への就職がある以上、学生運動の前歴があるとすこし支障がある。まして、前科が付いているとマズイだろ。でも、弁護士の場合は前科でさえも不問だったからね。

 

――親なり大人なりが、きちんと責任もって抑圧を与える、ということができなくなっているんでしょうね。「嫌われたくない」というのが先に立って、果ては何かというと「子供の心のケアが……」となったり。あれも、そこまで相手の内面、気持ちの問題が気になるという、こちら側の問題が大きいように思ってます。


 長谷川伸が自伝で書いてたことなんですが、彼はご存じのように明治時代に大きくなった人ですけど、家が没落して社会の底辺を小さい頃からウロウロしていた中で、とにかくそんな彼が何を思い、何を感じているか、なんてことをまわりの大人のほとんどは全然意に介そうとしていなかった、と。しかもそれを、淡々と書いてるんですよ。もちろん彼は感受性の強い子供だったわけですからそれはものすごく辛いことだったわけですけど、でも、彼の筆致はそのことを嘆いているだけ、というのとはちょっと違う。それが当たり前で、ちゃんと意に介してもらいたかったら、早くそれだけの、ひとかどの人間になってみせればいい、という感じなんですよね。

 子供の内面なんかひとまずなかったことにしていい、という約束ごとをしれっと演じられるくらいの強さを、大人の側が持とうとしないことは、かなりまずいんじゃないか、と思ってます。これは単に個人レベルじゃなくて、社会や国家といったレベルでもそうなんじゃないかなあ。

 経済、文化という面で日本と同じレベルの国は多くあるし、先進国の中にも種々あるけれど、彼らはもう少しそれなりに覚悟を持って生きていると思うよ。日本人はあまりにも恵まれたぬるま湯の中で、ほんとにボケてしまっているみたいだね。

 

 ひとつは進学率の問題がある。大学進学率が日本は五○パーセントを超えているけど、こんな異様な国は世界中探してもまずない。しかもこうなったのはせいぜいここ二十年足らずのことだからね。それまでは、たとえばうちの子はそれ程頭がよくない、という場合なら、親父と一緒に修理工場で働くか、小さいけれど雑貨店でも出すか、という風になっていたのに、今やそういう発想すらなくなってきているだろ、誰もが大学へ行って卒業すれば、ネクタイ締めて仕事に就けるだろう、と、まだこの期に及んでも思ってるところがある。

 何よりその手前の、学生になること自体にもう引っ掛かりがないしね。大学受験だってはっきり言って今は決して厳しくない。だから、学生になったことに責任も伴わない。私たちの頃は、学生証を持っているってことは大変なことだったんだよ。

――「学割」ってのがどうして存在したのか、ってことですよね。上は国鉄から下はストリップに至るまで、学割がきいてたわけで。


 それが今や、大学へ行かない方が珍しくなった。たまに行ってないのがいると、あれ、おまえ高卒? と意外に思われ、何で大学行かなかったの、と単純に不思議がられるだろ。

――ちょっと前までは確かにそうでしたね。ただ、今世紀に入るくらいからはさすがに状況が変わってきたところもあって、とにかく学歴自体がもうアテにならない、ってことが世間の側にもわかってきたフシはありますね。それと、大学どころか高校まで含めて、実態はもう専門学校か就職予備校状態ってのが現実ですし。名前は「高校」でも中身は美容師や調理師になるための課程がメイン、とか。大学ももう福祉系や医療系の資格がとれるコースがある、ってのをウリにしてないと学生自体が集まらないし。

 昔は高校の商業系学科が、なまじの大学よりランクが高かったんだよ。今、そういう商業高校があったとしても、教師の側が恐怖心を抱いて「一流の商業高校に行くくらいなら、三流ランクでも大学に行っておいた方がいいんじゃないの?」と普通高校に行くよう指導してしまうし、親も親で、経済的に余裕があるからその程度の大学なら行かせておこう、と考えるからね。

――まず文学部、なんてのは十年内外でおそらく消滅するんじゃないかなあ。実際、早稲田でも露文や仏文がなくなるっていうし。思想だの教養だの、って言って呑気なこと言ってたいわゆる文科系ってやつが、もう音を立てて崩壊している段階なんだと思いますよ。大学でまだ教えている友人なんか、ほんとに辛そうですもん。逆に、新聞社とかを途中で辞めた団塊の世代が、どんどん大学の教員になってたりしてますけどね。余生を若い学生相手に大学教授で、なんていうのが夢なんだなあ、と思って眺めてますけど、でも、それはまだ大学に幻想がある世代だからなんでしょうね。