上ヶ原小学校に通ったのは二年から六年まで。確か、昭和42年から昭和46年の春まで。まだまわりは畑やこえだめがあって、門戸厄神の方へとなだらかにくだってゆく道など、その見晴らしは子どもごころにも素晴らしいものだったのを覚えています。
中学、高校まで「上ヶ原台地」で完結していた割に、同窓会などのつきあいは全くないまま、また親戚も関西にいなくなりましたから、すでに「よその土地」のはずなのですが、それでも何かの機会で大阪や神戸に出向いた時、時間があれば上ヶ原から仁川あたりを訪れたりはしています。記憶の中よりずっと道幅が狭かったりするのは当然としても、それでも、甲山のたたずまいや、案外まだ畑などの残る上ヶ原の風景は、どこかで子どもの頃の記憶をよみがえらせてくれます。
そんな子どもの頃の記憶をたどるよすがなど失われてしまっているのが、われわれ高度成経済成長期に、それも都市近郊の「郊外」に生まれ育った者の、どうやら宿命らしい。でも、あたしにとって上ヶ原のまわりにだけは、そんな「なつかしさ」を呼び起こしてくれる何か、が少しだけ残っているようで、それはそれでまあ、うれしく思っています。