カネの問題ではない??

 

 「カネの問題ではない」 そう言い放ってたそうです。例の薬害肝炎訴訟、原告団代表が。

 本気で言ってるのだとしたらキチガイです。そんなもの、カネの問題、に決まっているだろうに。

 カネじゃないならなんなんでしょ。キモチ、や、誠意、ですか? でもそんなもの計量できないから、ひとまず金銭で、ってのが法律の基本線のはず。弁護士がついてて安易に使わせていい切り札じゃないでしょうに。何より、それってほとんど朝鮮人と同じメンタリティ、いくらカネ出そうが未来永劫謝罪し続け、ゆすられ続けないとおさまらなく無限連鎖の悪夢と同じに見えるんですけどねえ。

 「薬害」とくるとあの「エイズ」騒動が思い起こされます。あのけったくそ悪い川田龍平のツラと共に。今ややっこさんもなんと国会議員、カクテル療法だか何だか知らないが、だいたいエイズはどうなったんだよ、あれだけジタバタ騒ぎ回って世間のお涙頂戴やらかしてくれたんだ、ちゃんとその後はのたうちまわって苦しんでもらわないことにはカッコつかないだろうが、それをなんだ議員バッチだ? ふざけんなよ、おい、だいたいおまえ、もし命があったら教師になる、って言ってんじゃなかったのかよ……と胸ぐらつかんで問いつめる「ジャーナリスト」は、もはやこの国にはいないようです。

 その川田龍平以下の「エイズ」訴訟原告団の末期と同じいやらしさ、愚にもつかないタテマエだけで世間に支持してもらおうという横着さが、今回の薬害肝炎訴訟にも漂っています。そりゃ「薬害」だから気の毒なのは確かだけれども、だからってそこまで偉そうになっていいものかよ、っていう気分も間違いなくあるわけで。で、だからこそ、こんな落首もあるわけで。

「肝炎で 大金ゲット 酒が美味い」    福田衣理子 

 秀逸です。こちとらの気分のすっきりしないもやもやしたところを、一発で表現してくれてます。*1

 どだい、背後についてる弁護団ってのがどういう素性なのか、聞かなくてもわかりすぎるくらいわかるようなもんでしょうが、「総理に政治決断を」と迫る手法もダダこねるガキ以下、いきなり「超法規」的な措置を持ち出すあたり、やっぱりムリ筋の要求してる、ってことを自覚してるんでしょうな。

 かつての公害訴訟、たとえばイタイイタイ病水俣病のそれには、まだ世間の共感はあった。それはなぜかというと、「被害者」の側がまだ純朴に見えたからでしょう。カネの問題ではない、と言うことばは当時から出されていたはずですが、それでも、その響きが違っていた。妙な欲得や政治的な思惑などでゆるぎようのない、良くも悪くも「常民」のどうしようもなさ、があったし、だからこそ当時の世間も共感しやすかった。水俣病原告団の若い衆のその後のハチャメチャぶりまで含めて「運動」の現場を描いたあの吉田司の『下下戦記』(これって、実は薬害エイズ訴訟における『脱正義論』にあたるようなシロモノなんですが)にしても、かの薬害エイズ訴訟以降の「プロ市民」汚染の「被害者」ヅラの横行に比べたらはるかにまし、微笑ましいくらいのもんです。

 「正義」のプロモーションの仕方がどんどんヘタになってきてます。プロ市民、は言うまでもないですが、ウヨ/保守方面も同様。脳内お花畑なのを表に立てて、「正義」ヅラさせてまわる手癖の悪さ。カタワや知恵遅れを免罪符にゼニカネかっぱらおうという手法です。

 国側が提示した和解条件の中の、原告団に訴訟費用として数億円、ってのに吹き出しました。そうか、それが目当てなのか弁護団。心底本当に「カネの問題ではない」のなら、まず弁護団から報酬放棄、訴訟費用として出されるそのカネをまるごと原告団に進呈してはいかがかと。そこまでやってくれるのならば、けったくそ悪いあの原告団でも、ココロから支持してあげてもいいですよ。

 札幌の冬はつらいです。雷太は「Fラン大がそんなに楽しいか」「エタ枠使ってもぐりこんだんだろう」「オレにも女子大生まわせ」と、暇さえあればあの誤字脱字だらけのメイルでネチネチいやみを言いまくってくるし、生徒指導担当って分担はないけど、構内全面禁煙なのでくわえタバコの学生をいちいち注意しなきゃいけないし、講義に出てこないのにはいちいちメイルで連絡、単位落としそうならば事前に警告、手とり足とり手当するのがあたりまえ、さらにはなんと保護者懇談会まで普通にあるのがいまどきの文科系。国立大助教授辞めてこのかたまるまる十年、野良の蛆虫やってきた身には、なかなか (以下略)……です。


 でも、しょせん蛆虫ですから(笑)。虎のシマは洗っても落ちない、ってほど大層なもんじゃなくても、かつてあの上野千鶴子に「珍獣」呼ばわりされた外道で非人なエタぶりはそうそう変われるもんでもなし。サイバッチともども、こうやってトシ食ってくんだなあ、としみじみ思う年の瀬、ではあります。

*1:こういうもやもやをちゃんと言語化して問いの土俵にあげず放置したままにしておいたので、その後、こういうイラストなども出てきたわけで。