――最後の最後まで、恋は私を苦しめた。
指をつき抜け涙がこぼれそうよ。
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今の今まで、『朝日ジャーナル』を半ば習慣のようにあたりまえに読んでいた人たち、というのがいる。
『別冊宝島』であれ『サンデー毎日』であれ『クレア』であれ『ミュージックマガジン』であれ、世間のその他大勢の雑誌に何を書こうが、勤め先の大学でそのことについて何か言われるということはまずない。ところが、こと『朝日ジャーナル』に何か書くと、ふだんはとても言葉などかけてもらえないような年配のエラいセンセイまでが、「読みましたよ」とニコニコ顔でわざわざこっちの方へ寄ってきたりする。あのニコニコって一体なんなんだろう、というのがどうにも気になっていた。
なんと言えばいいのか、古い加藤茶のギャグで申しわけないが、あんたも好きねぇ、というような、なんだかんだ言ってあなたもお若いに似ず似たようなご趣味じゃないですか、というような、そういうなんだか対応に困ってしまうような人なつっこさのニコニコなのだ。で、さらに困ったことにそれはその書いたものの中味についてニコニコしてくれている、ということではまずない。中味が何であれ、『朝日ジャーナル』から原稿を依頼されて何かを書くような人である、ということが彼らにとっては最も重要らしいのだ。
大学なんて浮世離れした妙ちきりんな場所だからそうなんだ、と言われるかも知れない。でも、これによく似た雰囲気は出版業界のある種の人々にもある。地方公務員のある種の人たちにもあるし、ある種の中学や高校の先生にもある。あるいは、何であれ「てづくりいべんと」欄に載るような“運動”に頑張っているある種の人たちだってそうだろう。
そう、『朝日ジャーナル』ってのは、なんか知らないけどそういう「ある種の人々」のための“趣味”の雑誌、という印象が僕にはずっとあった。もちろん、その「ある種の人々」はそれを“趣味”などとは絶対に思っていなかっただろうし、何より難儀なことに、今、この期に及んでもなお、ほとんどそうは思っていないらしいのだけれども。
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正直、茫然としている。言葉をめぐる今のこの国の状況ってやつが、メディアの生産点ではないそれぞれの読者の足もとの場所においてすら、これほどまでに単純明快、およそミもフタもない図式通りのドツボにハマりきっている、そのことに、だ。
『朝日ジャーナル』休刊についての報道が新聞や雑誌やテレビなど、マスメディアの水路に順次流されていったここひと月あまり、編集部にも郵便、ファックスによって実にさまざまな文字の束がさまざまに届けられたという。もちろんそれ以外、こと活字にまつわ
る仕事の現場まわりではやはり一応は「事件」としてささやかれ、取沙汰されていたし、紙の上に記録されない言葉もさらにさまざまに渦巻いていた。そのような、形にならず、こちらにも見えない言葉と想いの流れを膨大に裾野に従えながら、編集部の眼の前にはそ
のような手紙や投書やファックスが山のように積まれていったということだ。
それらを背景にした本誌の「自由席」欄や、新聞の投書欄に、僕はできる限り眼を通してみた。眼を通し、身体をくぐらせ、その向こう側にある言葉の立ち上がる場の“気分”を民俗学者として全力で察知しようとしてみた。
いやになるほどくっきりと、目のさめるような解像度で見えたことは、こうだ。
『朝日ジャーナル』の休刊という“できごと”にまつわるこれら「読者」からの「声」は、あるふたつのタイプにきれいにわかれた。そのふたつのタイプとは、端的に言って次のようなものだ。
【タイプA 】
まるで約束ごとのように、「創刊以来の読者です」「読み始めて××年になります」といったもの言いで始められる文面。創刊号以来揃えている、という人も(それが本当かどうかはともかく)ひとりやふたりではない。そのまま記事にしてもいいような大論文の体裁をとったものもある。そして、休刊を惜しみながらも、創刊時の報道・解説・評論という理念を大きく逸脱して若年層に迎合していたという文脈で、いわゆる“リニューアル”以降、時には筑紫編集長時代以降の誌面に否定的な態度をとっている点で、見事に共通している。世代的には概ね四十代半ば以上、六十代までの全て男性。ひとくくりに言えば、「“本来の存在意義を忘れ、いたずらに若いモンに媚びやがってけしからん”気分のオトナ」であり、その疎外感の分だけ「わが青春の『ジャーナル』よ!」ノリになるか、時には「ここ数年の様子からは休刊も当然」とまで屈折したりもする。
【タイプ B 】
タイプAとは全く対照的に、まさにそのタイプAが否定的になった時期以降、ここ十年足らずの間の読者であり、そのことをはっきり自覚している。それだけ年齢層も若く、三十代半ばから下は高校生まで。主流は二十代の、それも大半は女性。なぜ読むようになったのかについての説明はあまり具体的ではないが、「下村満子の大好奇心」「東京チャンチャカチャン」「オカザキジャーナル」「タコのキン肉本舗」といった“リニューアル”以降の企画に、いずれも名前をあげて積極的に反応している点が特徴。ただし、休刊の顛末について、一足飛びに「やっぱり男社会なのよね」といったフェミニズム経由の“気分”での説明で安易に落ち着かせるずさんさも濃厚にある。ひとくくりに言えば、「“こんなにワタシたちの気分にぴったりくる雑誌だったのに、ど~してやめちゃうの”気分のワカモノ」であり、しかし、だからといって世間一般としては決して多数派ではない分、過剰に疎外感を抱えてうずくまり、そこから先への展望は見られない。
一見、単なる世代差に見えるかも知れない。もちろん世代に還元して説明することもできなくはないが、しかし、このズレは本質的に世代の問題ではない。それは、「現実」を語る言葉の水準の違いに根ざしたもっと深刻な落差だと、僕は思う。別に『朝日ジャーナル』に限ったことではない。このふたつのタイプの間には、この国の言葉をめぐるどのようなメディアであれ、未だ正面から自覚し乗り越えられていないある深刻な亀裂が、まるで今のこの国の「 言論」の不幸そのもののように、くっきりと走っている。
これまであたりまえだと誰もが思い、そして事実、メディアの舞台はもちろん、普段のもの言いとしても、眼の前の現実を語る時にそれ以外存在しないことになっていた、そんな言葉の作法。しかし、今やそれだけでは眼の前の現実を語り尽くし、意味の側にきれい
に収納してしまうことはどうやらできなくなったし、何よりも、そんなもの言いをあたりまえのように押しつけてくる“あらかじめそうである世界”の側への骨がらみの違和感は、すでに飽和点近くにまで達している。その違和感に限って言えば、ことは確かに世代の問題ではない。だが、その違和感をいくらかはうまく乗せてゆけるらしい新たな言葉の作法をそれまでの言葉とのつながりの中で語ってゆこうとする意志も責任感もないまま、それまでの言葉の作法から孤立したどこにもつながっていきようのないままの言葉たちを、比較的若い世代を中心とした意識は勝手に、しかも膨大に抱え込み始めた。同じ日本語、同じ言葉でありながらまるで違うものであるかのようなその通じなさ、届かなさに、いくらかは双方を見通せる場所にいる者たちですら茫然とし、まして自身の言葉の向こう側についての想像力を宿せないオトナたちはただ苛立ち、もだえ、ついにはふてくされるばかり。今や、そのズレの根源にまで降りてゆこうという言葉本来の自省の姿勢すら見失っている。
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それは今、この国の世間のあらゆる場所で普遍的に見られるズレに他ならない。
それがどのような理由によるものであれ、ある雑誌が休刊、あるいは廃刊になるということは別に珍しいことでもなんでもない。たかが雑誌、未来永劫続くと脳天気に思い込んでいる方が、いかに「青春」の思い出とからんでいるとは言えよほどあつかましい。じゃ
ああんたら、そんなに大事な場所ならどうしてこうなるまで平然とほったらかしてたんだよ、ということだってあるし、むしろそちらをもっときちんと問うべきだと僕は思う。
実際、この間のいわゆるマスメディアの水準での休刊についての報道は、概してお粗末なものだった。何の因果か僕が敗戦処理のような連載を引き受ける役回りになったから言うのではない。少なくとも、主な新聞や雑誌の解説記事に限っても「硬派ジャーナリズム
の終焉」「左翼メディアの限界」といった硬派メディア vs.軟派メディア、右翼 vs.左翼といった図式以上の語りはついに登場することはなかった。『諸君!』に載った保坂正康の「「心情左翼」を弔う」が、この間ほぼ唯一の正面からの解説論文といっていいだろう
し、付されたタイトルやコピーとは裏腹に、その中味は現在の時点から『朝日ジャーナル』というメディアについてのかなり穏当な評価を行なったものと言えるのだが、それでも、「朝日ジャーナルのもっていたキーワード(反権力とか反体制といった語に象徴されるのだが)は有効性を失い、国民の関心から遠のいたのである。たとえそのキーワードを消そうとしても、リニューアルすることはできなかったのだ」という地点にまでしか言葉を届かせることができない。それは、どのメディアからも未だ正面切ってすくい上げられたことのない「この先新しい読者になってゆくはずだった意識たち」の直面せねばならない「これから先」について思えば、やはりいささか同情に欠ける態度だと言うしかない。
正式に休刊報道が出回ったあと、休刊について無反省な取材依頼の留守電をガンガン吹き込まれてアタマに来たらしい岡崎京子が、5月1/8日付本誌「週刊オカザキジャーナル」欄で、「悪いけど、あたしゃ今までなん誌の休刊に立ちあってきたか」と小気味よい
タンカを切っていた。休刊休刊ってあんた、どうして『朝日ジャーナル』だけが特別扱いされんのよ、はばかりながら漫画の世界じゃそんな休刊や廃刊なんてもっとあったりまえにおこってきてるけど、でも、この“世の中”はいちいちそんなもんにかかずらわってな
んかきてくれなかったじゃない、というこの“気分”はひとまず圧倒的に正当であり、その限りで僕もその“気分”を支持する。
だが、なのだ。その“気分”の側にきっちり立つことからしかこの先、どんな足場であれ固めようのないことを自覚しているその僕でさえ、その“気分”がまさに先の【タイプ 】の意識の側からそのまま放っておかれることで生じる不自由や、うわずりや、心得違いについて思うと、でもタンカだけじゃこの先しゃあないべさ、と、その“気分”と全く同じ確かさで正面から言う。たかだかそんな“気分”だけで世界が変わるのなら、それほどまでに楽勝の、ひと山いくらの熱血アニメめいたちゃちなものだったのなら、この国だって今、こんなにまで情けない昼寝姿をさらしておろおろしているはずがないじゃないか。
必要なのは、その深刻なズレ、言葉をめぐる難儀な亀裂の間を身体を張ってつないでゆく志を持った言葉であり、そのための歴史を回復する場である。僕と全く同い年(生まれた月まで同じだ)で最期を迎えた『朝日ジャーナル』が、一九九二年のこの国の言葉をめ
ぐる状況に差し出した大きな問いとは、実はこれなのだと僕は思っている。そう、本当の勝負ってのはこの問いを身にしみてから先のこと、何ひとつ終わってなんかいないぜよ。
*1:『朝日ジャーナル』依頼原稿。最初のリードというか、数パラグラフは以下の連載原稿からの部分的な変奏になっているが、このへんの事情、ちょっと記憶にないので改めて何らかの形で確認しておきたい。king-biscuit.hatenablog.com