「団塊の世代」と「全共闘」①――よくある「団塊批判」の誤り

 もう15年、いや、それ以上になるか、2005年から6年頃にかけてだと思う、何にせよ今は昔、まだ平成の御代で、かのゼロ年代半ばあたりのことだったとおぼしめせ。


 呉智英夫子との対談本というか、こちらが聞き手となって、当時あれこれ言われ始めていた「団塊の世代」批判に対する夫子の違和感や批判を足場にしながら、いわゆる「世代論」の総括みたいなことまで視野に入れた本はできないか、というので、某版元の肝煎りで単行本の企画が立ち上がっていた。神楽坂の旅館などで、何度か夫子とまとまった時間、お話する機会を設けてもらい、録音とその起こしなどもあらかたやって、8割がた草稿になって、夫子に最後手を入れてもらえればかたちになる、というあたりまで作業を進めていた矢先、版元自体が潰れてしまい、企画ごとそれら草稿も宙に浮いてしまった、という経緯があった。そこまで作業をした以上、これはもったいないし、何よりその内容も世に出す意義は必ずあると信じてもいたので、別の版元を探して、草稿抱えてあれこれ持ち回ったりしてみたのだが、まあ、こちとらの人徳のなさが大きかったのだろう、いくつか食指を動かしてくれたところはあったものの、結局なんだかんだで立ち消えになり、草稿はデータとして手もとに死蔵されることになったという次第。


 いまとなってはもう、紙媒体の書籍として出すことは状況的にも無理だろうし、と言って、その時お題として定めていた「団塊の世代」をめぐる広義の「世代論」の射程についての整理と総括は、その後さらに切実な同時代的な課題になってきているし、また、語られた呉智英夫子自身のこれまでの知的形成過程についてのあれこれの話も興味深いものだったので、どこかで何らかのかたちで表に出してみたいとは、ずっと思っていた。なので、もとの草稿から、ある程度のまとまりごとに少しずつ整理して出してゆければ、と思っている。いま、こういう状況だからこそ、かえって理解が深まる部分も結構あるのではないか、と思う。……221007

第一章 団塊の世代、と、全共闘

1.団塊と「団塊批判」の時代

●よくある「団塊批判」の誤り

――最近、「団塊の世代」批判があちこちで出てきています。これまで綿々とあったようなコラムや随筆での漠然とした印象論や当てこすりのレベルでなく、言わば正規軍による正面戦というか、いわゆる論壇においてさえも、まともに論点として持ち出されてきている。


 たとえば先日、『諸君!』がいくつか狙い撃ちするかのような論文を並べてキャンペーンしてて、そことは違う脈絡であたしも原稿を書いていたんで、あたしなどもひっくるめて「団塊」批判の流れに位置づけられたりしてるようなんですが、それに対して呉智英さんも一言言わねば、という感じで参戦してきた。あそこで言われているような、そんな今の「団塊論」の多くは俗流に過ぎない、団塊の世代と同じパラダイムの上に乗っかったままの批判であってちっとも本質的じゃない、というのは、ああ、いかにも呉智英さんらしいな、と思うと共に、あの手の「団塊」批判にまつわる違和感はあたしもずっと感じていたところがあるんで、なるほど、とうなづくところがあったんですよ。


 なので、今回はひとつ呉智英さんにゆっくりそのへんのお話をうかがえればいいな、と思っています。まず、今言ったような俗流団塊論」がここにきて続々と出てきている、その理由というあたりから考えてみたいんですが。

 それはまず第一には、俗にいうところの「二○○七年問題」だろうね。企業にいる団塊社員が来年から一気に引退する。そういう社会的条件が前提にあるのは確かだろう。まあ、これは誰にもわかることだけどさ。

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 第二には、社会を見る上でのグランドセオリーが、八九年のベルリンの壁、九一年のソ連の終焉による社会主義の崩壊によって消えてしまったから、そのあとに「団塊の世代」、「全共闘」という代わりのキーワードを置くことができないか、ということじゃないかな。

 特に、このところ「団塊論」を持ち出す若い人たち――具体的にはちょうど大月君ぐらいから少し下、三十代後半から四十代そこそこあたりの年まわりの人たちだけど、彼らの書いたものや発言を眺めていると、どうやらそういう風に思っているみたいなんだよね。なんだか知らないけど社会がよく見えなくなってしまった、どんどんわけのわからないことが起こっているけれども、これまでみたいに左右対立の図式を当てはめてそれらを理解しようとしても無理がある、そうだ、だったら新たに「団塊」をたたき台にして理論化すれば、何か説明できそうだ、といった誤解、もしくは幻想を持っているようなんだな。でも、私は何年も前から、それはまずいと思っていたんだけどね。

――あたしがずっと言ってる「戦後」「文科系」の終焉ともシンクロしてますね。〈いま・ここ〉のできごとを解釈するツールとしての文科系パラダイムが溶解してきたんで、若きインテリたちは目の前のできごとに対してうまい能書きが言えなくなった。だからそのストレスから半ば無意識のうちに、「団塊」という新たな解釈ツールを持ち出した、と。


 ならば、その解釈ツールとしての「団塊」を彼らが振り回すのがまずい理由というのは、どのへんになりますか。

 まず、戦後のある時代、少なくともこの約六十年間がわからなくなってしまうということ、これが一番大きい。その中でも細かくいえば、特に左翼思想がこれまで果たした役割が、わからなくなっちゃってる。もちろん、これは現状として混在している功罪ともに含めての話だけどさ。

 過去のある時代を、それは駄目だと決めつけてしまうと、そこから議論が先に進まなくなるんだよ。上の世代に対する反発なんてものは、いつの時代にもある。いわば父と子の問題だよね。彼ら若い人たちは、自分の父親への反発を、期せずして普遍的課題というか歴史問題だと思い込んでいるみたいだけど、それは話が別だよ。そんなのいつの時代だってあるわけで、だから団塊の世代の問題を、単なる親子対立の問題に換言してしまうのは、非常にまずい。「世代論」と「団塊論」とは一緒にすべきでない。これが私の基本的立場だね。

――「世代論」の通俗性というのはそれこそ近代以降、普遍的なものでもありますからね。「世代論」を本当に有効なものにするには、それなりの下ごしらえや土俵づくりが大切だと思いますが、でも、「世代」で全部片づけようとする言説はそんな手間ひまかけないのが常なわけで。早上がりのアイテムとして「世代」を持ち出す。

 まさにその「世代」で言うとさ、彼らはさっきも言ったように年齢層で言うと三十代の後半から四十代前半くらい。そんな彼らが、団塊の世代をうっとうしいと感じるのは事実だろうし、実感としてわからないでもないよ。でも、それは団塊だからじゃなくて、単に自分たちにとって年上の、自分の父親世代だから常にうっとうしいってだけかも知れないじゃないか。

――ああ、そのへんの切り分けはあまりしてないですね。っていうか、できないのかも。「うっとうしい」という自分の感覚だけをいきなり特権的なものにする。その方がラクだし、何より自分が癒されるし(笑) そう考えたら、団塊がやってた「戦争を知らないコドモたち」と変わらないかも。

 そう。もっと言うと、彼ら最近の団塊批判をしている連中に、戦後史における左翼思想の位置付けとか、前提や知識が、もう共有されていない、という違和感を強く感じるんだよねえ。共有されていないところから反射的に批判を投げつけているだけ、に見える。だからうまく響いてこない。

 歴史的事実、あるいは世代については、まず共有しなければならない知識があるべきなんだよ。それがないとどんな議論だってどんどんズレていってしまうし、また、本当に残すべき歴史事象もうまく共有されないまま消えてしまう。

 単に昔のこと、ってだけなら学校でも教わるよ。江戸幕府の成立について、どの勢力とどの勢力が戦ったかというのは年代も含め、そんなのは調べればわかるし、江戸期においては元禄時代が文化のピークを迎えるとか、これもわかる。でも、それに対して、今の自分に近いからこそわからないこと、ってのがあるんだよね。いちばん身近なことには歴史、正史が残されていない。もちろん、残されないのは、これはある意味現代史の宿命で、当事者がいるものだから事実は書きにくいという部分も、これは確かにあるよ。でも、だからこそ一番自分と地続きの部分、本当の意味での歴史がわからないというパラドクスもまた常にある。そのあたりの認識というか、自覚が、団塊批判をやってる連中にはどうも乏しいような気がするんだよね。

――民俗学的歴史、の問題でもありますね、それは。〈いま・ここ〉から逆に見通す歴史のパースペクティヴですけど。実は、呉智英さんの思想家としての核は、実はそのへんにあるとかねがね思っているんですが、それはまたお話の中でも触れることになると思います。


 このところもう左翼やマルクス主義ってだけでバカにしてよし、みたいな風潮がずっとデフォルトになってて、それはまあ、総論それでいいと思うんですが、でも、左翼思想が近代のニッポン人の意識形成にどう影響を与えてきたのか、についてのそれなりの視点も見識も持たないままの、いまどきの勢いだけのサヨク批判や罵倒ってのには、このあたしでも、かなりヤバいな、と思ってきたクチなんです。そのへんの感覚は、呉智英さんの言うその違和感、ってのともおそらく通底してるんじゃないかな、と。

 だろうね。もう一つ、それらが残されなかった原因として、私も含めて団塊世代の人たちが真剣に自分たちの生き方の総括をしてこなかった、というまさに由々しき問題があるんだと思う。

 私たちの世代自身が真剣に考えなければいけなかったのに、自分たちでそれをしていないんだよね。やっているのはほんとに通俗的な自己内省だけで、たとえば、若いころ闘争で頑張ったんだからまた社会で頑張らなきゃ、みたいな精神論に過ぎなかったり。そしてそれから幾星霜、「若い頃は活動をやっていて、もうじきビジネスの現場も引退するから、この後ボランティアで公園でゴミ拾いしましょう」になる。拾わないだろう、って(笑)。いや、拾う人もいるかもしれないよ、家でゴロゴロしているよりましだし、それはそれでいいんだけど、でも、本当の問題はそういうところじゃないだろ、と。

――「引退したら、趣味のそば打ちを生き甲斐にしたい」、とかってのもあるじゃないですか(笑)。なんか、残間里江子(プロデューサー/一九五○│)が本のタイトルにしたりで一気にイメージが広まっちゃいましたけど、おいおいそんなベタな、と思ってても、でも、行くところに行けばほんとにいますからね、そういう団塊は。

 いるよ。現実にいるから困る。ましてや、そういう生き方に、ああ、そうだ、とみんなで共感して終わってしまう話でも、なおのことないんだよ。

 実は、一九六○年代後半から七○年頃にかけて、かなり大きな文化的、あるいは知的な断層がある、と私は見てるんだ。その断層があまりに深いために、団塊の世代には自分を照らし合わせて考える基軸が欠けている気がする。

 これが、たとえば終戦直後の、文学でいうと無頼派とか、闇市焼け跡派の連中には、基軸になるものが確かにあるんだよ。旧来の知識に加えて「戦争体験」なるものが厳然とある。それは自分の立ち位置を、常に目測できるゼロポイントになってるわけで、それに照らし合わせて、自分は何をやったか、そして、前の世代に比べて何ができなかったのか、それを常に考えてゆくことができる。

 ところが、団塊の世代にはそれがない。拠って立つものがないから、そこでは結局、全部自己肯定になっちゃうんだな。あるがままに、自己肯定という自己肯定をしているし、具合の悪いことにそれが自然で、何も疑っていないとくる。自分を映し出すほかの「何か」がないんだよ。

 戦後派の場合には、やはり「終戦」っていうのは大きいし、またその終戦というのも時代の流れを含むものだけど、たとえば被爆、自分が被爆者でなくても同世代として原爆やシベリア抑留といった問題を共有している。そこに、いろいろなものが絡んでくる。団塊の世代はそれがないまま、自己の存在を肯定したまま来てしまったから、やはり自分の体験を本当に後の世代に役に立つように語ることができないままだった、ってところがあると思うね。

(……おそらく不定期&細切れに、つづく)