「科学」と忠誠心、あるいは信心

 「論文」という形式がある。いや、あるのはそんなもの知ってるしそれがどうした、なんだが、近年どうにも納得いかないのはその形式に対する忠誠心みたいなものをなんでそこまで要求されにゃならんのだろう、ということだったりする。まあ、一般的に言えば、「科学」の二文字に対する忠誠心と置き換えられるようなもの、では本来あるんだろうが、ただ同時にそれは、自然科学とそれに準じる約束ごとに対する信心深さに裏打ちされた忠誠心の身振り、でもあるわけで、日本語を母語とする環境でのいわゆる「人文系」にとってそれはさて、どれほどの重さを持ち得るのか、そのあたりのことが正直、まるでわからんまんまの30年あまり、ではあるのだからして。

 「書く」という営み、書いて文章して何ごとかを表現するということと、その「論文」という形式の関係、もっと言えばその形式が必然的に要求してくる言葉やもの言い、文体などに至るまでの約束ごとのあれこれまでもが、どうしてそんなに否応なしに必然として押しつけられる世間があるのだろう、という疑問。好き勝手に書けばいいじゃないの、という初発の時点に抱いた感慨が未だにずっと尾を曳いている。

 柳田国男がそういう「論文」という形式に忠誠を表明したものを果してどれだけ書いていたのか、てなことは大昔から言っていた。もちろんほとんど何の反応もないままスルーされてたのだが、玉石混淆汗牛充棟てんこもりのいわゆる柳田研究界隈でも、このへんのことを納得いくように解きほどいてくれたものは、寡聞にして知らない。彼が「科学」なり「学問」というもの言いを使う時におそらく込めていただろう何ものかの、時代を超えてゆけるだけの射程距離というのは、戦後の過程で自明になった(と思われてきていた)自然科学前提の科学そのままというわけでもなかったのではないか、という疑問は同じくずいぶんと前からわだかまったままになっている。