中津競馬場・聞き書き ⑤

● Iさん(I調教師未亡人)

 お父さんの代から騎手、調教師です。でも、うちの主人(厩務員) は、三年五カ月前に四十七歳で亡くなったんです。子どもたちは男の子四人ですが、大井で厩務員やってます。次男が佐賀で厩務員、三男が佐賀で騎手と、みんな競馬の仕事です。あたしは調教師の妻だったから、主人が死んでから厩務員登録して働いてたんですよ。S先生(調教師)のところでお世話になることになった。まあ、それまでも寝藁あげとかはやってましたけど。

 自分はいま、ひとりです。競馬なくなってどうしようか、と悩んで悩んで身体も具合悪くなりました。苦しくて苦しくてどうしようか、と。ずうっとみんな誰かかれか、まわりにおったもんですからねえ。騎手もうちにはふたりおって、ひとりは服部といって、下乗りから育てて、北海道の中村先生のところに行きました。もうひとりは佐賀に行った石川ですね。

 でも、うちの三男がやっとギリギリ佐賀で二年前、騎手でデビューしたんでよかったです。それもお父さんの勝負服で、ですね。それが一番うれしかったですよ。紫胴で白い星が五つ、白い袖で流星ですね。でも、お父さんに騎手になったのを見せてやれなかったのが心残りですけどねえ。急に亡くなったんでねえ……今は子どもたちも独立してバラバラですからねえ。楽しかったことは馬の仕事してて、厩務員さんたちと一緒にやってこれたことがよかったですねえ。村長(あだ名)も主人のお父さんの代からずっと厩務員やってくれてましたからねえ。


●「村長」(厩務員)

 その当時ここのオヤジが競馬しよったんで、この人のダンナさんも厩務員さんをしてたんだ。わしの歳かい? 75かな。もう三十何年やっとるんやないかなあ。40代になってからだよ、競馬場来たんは。それまで? それまでは警察。大阪で警察官を78年やって、辞めて帰ってきて百姓やっとったんです。なんで?って、いやんなったけね。それに田舎がこっちだったもんで戻ってきたんですわ。

 そうやなあ、その当時はまだこの厩舎団地ができてない頃やからねえ。I厩舎の横がS厩舎、ひとつの厩舎をふたりの調教師で使っとって。その下がH調教師がおって、O調教師がおったなあ。だいたいもとから馬が好きやったから、ちょいちょい遊びにきよってS調教師と知り合ってね。まだ今のT(厩舎)におった頃やな。自分とこに馬置いていた頃よ。

 (Iさんとのつきあいは?)そらあ、ここのダンナが小さい頃からかわいがったもんよ。ノリヤクになってすぐくらいの頃からやから。厩務員さんの半分はI厩舎、半分はS厩舎だったから、毎日顔あわすからねえ。こっちのダンナのおやっさんとも知り合うようになった。ナオキ、ナオキ、言うたら、おお、じいやん、言うて返してね。そしたら先に亡くなってしもうて。一杯飲んでアタマが痛い、って言うてたんよ。医者行かんかい、って言いよったんやもん。

 Sが調教師になる時に、馬(担当馬)をもってうちに来てくれんか、言うから、わしはその当時T厩舎で働いていたんや、ほんで、相談したら、ええよ行ったんない、と言われて、それで馬持って移ったわけだ。厩舎いうても、まあ、裏と表やからね。隣に移ったわけだ。

 Kさんのお父さんが競馬しよったんですよ。小倉に別府の堀さん言うて、今は中央競馬の西日本のエラい人になっとるが、その時はS厩舎に馬置いてたんだ。で、これこれこういう馬を買ってあるから馬をとりに行ってくれ、と言われて、わしがもらいに行ったんやけど、その時に、取りに行った先に20なんぼか連勝しとった馬がおって、これ、(調教を)15-15でいくんやったらどうもないけど、でも、国営は調教がキツいから脚がもたん、地方なら何とかなるんやないか、と言われたんで、別府の社長に連絡して、こっちをもらうようにしましょう、とすすめた。それは値段が50万と言われたけど、でも社長、それはちょっと払えん、と。もともととりにいった馬は30万ちゅう約束やったんよ。その馬は下もとは無事じゃ。こっちの馬はエビッ気がある。だから30万でくれんね、と言うて、結局その30万でもらう話をしたんですわ。それなら払うけ、社長も持って帰れという。そしたら、その頃、ここのお父さん(K調教師)が栗毛についとった(ゲンをかついでした)んで、栗毛以外は買わなんだんだ。だから、S調教師に言うて、ここのお父さんがその馬を買うた。そしたらオープンでも引っ張ったままで勝ったわ。

 これから先のことかい? もうあんた、この歳やし、仕事はないからなあ。年金生活せなしょうがないわね。あああ、もうやっぱり長い間馬さわってないからなあ。できたら馬の仕事がいいんやけどなあ。


●Kさん

 あたしもも父は競馬場育ちです。あたしは事務の経理とかそういう仕事しかしてなかったんですよ。競馬場のこと、そういう風な仕事って知らないから、初めて競馬場来てびっくりしました。牛とか山羊は見たことありますけど、あたしも実家は島根の山奥だから。馬は初めてなんでびっくりしました。昭和五十年です。

 競馬場のいいところは、 何があってもみんながいてくれることです。お茶飲んだりごはん食べたり。子どもなんかもお互いに見てるし。中津はやっぱり楽しい競馬場でしたね。 自分の子がかわいいように人の子もかわいいんですよ。だから、住んでた厩舎がつぶされるのはつらいです。