対談・いまどきの大学、その難儀な現状

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大月 この春に、恵泉女学園大学神戸海星女子学院大学上智大学短期大学部が学生募集の停止(恵泉と神戸海星は来年度から。上智短大は2025年度から)を発表したというニュース、いやあ、他人事ではないなあという気がしましたね。この3つはいずれもキリスト教系(恵泉がプロテスタント系、神戸海星と上智短大カトリック系)の学校ですが、もうひとつ、みんな女子大だという共通項がある。率直に言って、いま女子大というのは本当に人気がないですからね。

 この女子大人気の低落というのは、何も「男子がいないからつまらない」とか、そういう話だけの問題ではないんですよ。結局日本の女子大とは、「良妻賢母教育」を施すための教育機関として立ち上がってきた側面があって、ようするに人文系とか、かつてなら家政学とか、そういう感じの教育カリキュラムしか持っていないところが多いんです。ところが今の高校生たちは、大学に実学系の知識とか、資格取得コースとか、そういったものを求める傾向が強い。そういう感じで、女子大というのは選ばれなくなっているんですよ。

 私の勤めてきた札幌国際大学(札幌市)は、今でこそ男女共学ですが、かつては静修女子大学という名前の短大~女子大でした。学部構成は今なお人文系が中心。だから正直なところ、近年では学生募集で苦戦するようになってきた。それで大学が選択したのが、外国人留学生を大量に入れて、定員を何とか確保しようという方策でした。ところがこのやり方が、本当にずさんだった。本来、入学する資格を満たしていないような低い日本語能力しか持っていない外国人までをも野放図に受け入れて、授業が成り立たないような状況にまでなってしまった。そうした問題点を指摘していたら、私は2020年に懲戒解雇されてしまって……。さすがに不当だと思い裁判に訴えて、おかげさまで今年2月に一審では勝訴しましたけど、本当にいま、大学経営というのはとんでもない苦境に立たされているんだなとは思いますよ。

田中 おっしゃるように、いま女子大というのは本当に人気がないんですよ。具体的に言うと、高偏差値の高校に通っている女子生徒たちが、女子大を進学先に選ばなくなっている傾向がはっきりと出てきたわけなんです。人文系学部しかない女子大よりも総合大学を目指して、しかもそこの法学部とか経済学部とか、従来あまり女子学生が多くなかったような学部に進学している。

 これは大学受験関係の本などを出版している「大学通信」という会社が集計したデータですが、例えば今年の早稲田大学法学部に入学した学生の出身校で最も多かったのは、いわゆる「女子高御三家」の1つである、桜蔭高校(東京都文京区)でした。慶応大学法学部でも、トップは頌栄女子学院高校(東京都港区)。また明治大学法学部では、埼玉県立浦和第一女子高校(さいたま市浦和区)の出身者が一番多かった。あと東京大学の文一の女子比率が、今年初めて30%を超えたというニュースも重要です。こういう感じで、中高一貫の高偏差値女子高を出た女子たちがいま、こぞって名門総合大学の法学部に進学するような現象が起こっているんです。しかもこれらは、すべて一般入試での結果です。推薦などで入った学生の人数は、計算に入れていない。

大月 「ガチ」の勝負の結果に、そういう数字が出てきているわけなんですね。

田中 そういうことなんですよ。それで本当に現在、日本女子大学とか津田塾大学とか、そういう名門女子大でも、入試偏差値の下落傾向が止まらなくなってしまっているんです。

大月 今年大学1年生、すなわち18歳である世代というのは、親がもう男女雇用機会均等法(1986年施行)後 の時代を生きてきた人たちですよね。女性でもバリバリ働くのが当たり前。専業主婦として家庭に入るなんていうのは、そもそも想定すらしていない。そういう世代の娘さんたちがいま、大学受験に挑んでいるんだから。それはもう「良妻賢母教育が特徴の女子大」なんて、最初から選択肢に入ってこないですよね。

 恐らくですが、東大とか早慶とかの法学部に入学した女子たちは、最終的に公務員、ないしはそれに準じた就職を狙っているんじゃないでしょうか。そうれであれば、やっぱりいわゆる難関大学の、それも法学部を出るということには一定の意味がある。そして、こういう時代に旧来の女子大がどれほど存在感を発揮できるのかというと、やはり相当難しいだろうなという気はしますね。

田中 あと、今回学生募集停止を発表した恵泉女学園大学神戸海星女子学院大学上智大学短期大学部にもうひとつ共通する問題は、地方にある大学ということなんですよ。神戸海星は兵庫県。恵泉は東京都ですが多摩市。上智短大も神奈川県秦野市です。みんな「首都圏のにぎやかな場所」にある学校ではなかった。

 実はこれまで、大学にとって「地方にあること」というのは、決して経営上のマイナス要因ではなかったんです。しかし最近、その構図も崩れ始めている感じがあるんです。

大月 わかります。私の住んでいる北海道でも、従来は「わざわざ本土にまで行って大学へ進学する必要はあるのか?」みたいなことが、ごく普通に言われていた。それで地元にあるちょっとした私大が「北の早稲田」などといったニックネームで呼ばれて、本当なら東京六大学くらいには入れるかもしれない学生でも、そういう大学で学んでいたんですよね。

田中 そうなんですよ。全国各地にそういう「地域密着型の大学」があって、見かけ上の偏差値や規模とはまた別に、意外に盤石な経営基盤を持っていたりしたんです。でも、そういった大学も現在、だんだん選ばれなくなっている。
大月 「今の若い子はすぐ東京に行っちゃう」ということもありますけど、そもそもの問題として、「大学に行く」ということの価値が、もはやすごく下がっているんじゃないかな、と。

 例えば、いわゆる「Fランク大学」、すなわち「入試の答案用紙に名前を書いたら誰でも入れる」などと揶揄される大学が実際にそこら中にあるわけですが、そんな大学にわざわざ行く意味が本当にあるかということを、世間自体が思い始めていると思うんですよ。だったら高校卒業後、専門学校に行って資格を取るとか、またすぐ就職してビジネスの世界でがんばるとか、そっちのほうが実直で、安定した暮らしができる確実な生き方なんじゃないかということを、若い子たちも親も、共に思い始めているような気がするんです。

田中 確かに日本の18歳人口は少子化の影響で減り続けているわけですが、大学進学率はここ10年ほど、50%台後半を微増といった感じに推移しているだけで、そんなに伸びている感じはないんですよ。一応数字の上では来年、つまり2024年から、日本は大学全入時代――大学への入学を希望する人が大学全体の定員を下回る状況――に突入すると言われています。選ばなければ誰でも大学に行ける時代が到来するわけです。しかしそういう時代において、「大学に行く」ということが無条件で肯定される状況でなくなりつつあるのかなと。

大月 地方にある人文系の大学というのは、その沿革などを見てみると、政府や財界の後押しでできたとかではなく、地域の篤志家みたいな人たちによってつくられた例が非常に多いんですよ。札幌国際大学もまあ、そんなところがあるんですけど。宗教系の女子大なんて、まさにその典型例ですよね。ただ、明治以来の「良妻賢母教育」がいま、こういう形で終わりつつあるということなんでしょうかね。

田中 いま「学校経営冬の時代」といったことが盛んに言われていますけど、学校が全部だめになっていっているわけでは決してないんですよ。正確なところを言うと、二極化している。ダメなところはどんどん追い込まれていっている一方で、この時代状況下でも手堅くやれているところはあるんです。ありていに言ってしまいますけれど、それなりの規模がある総合大学は、まだまだ大丈夫ですよ。

 例えばですが、いかに少子高齢化の時代とはいっても、早稲田大学や慶応大学がつぶれる姿というのは、なかなか想像できない。宗教系にしても、キリスト教系の青山学院大学同志社大学、また仏教系の駒澤大学龍谷大学といったところは、それなりにしっかりしています。そしてこうした「勝ち組大学」は今、むしろ新しい学部をつくるなどして、よりその足腰を強化しようとさえしているんです。

大月 だからといって「負け組大学」も、特に私立は商売ですから、このまま唯々諾々とつぶれていくわけにはいかない。だからいろいろ生き残り策を考えていて、そのひとつが一時期流行った、大量の外国人留学生を入れて、定員を何とか埋めるという方策だったんですよ。

 札幌国際大学はまさにそれをやったし、この『宗教問題』誌で継続的に取り上げられている京都市西山短期大学(西山浄土宗系、京都府長岡京市)の経営問題も、大量の中国人留学生を受け入れていたところに端を発しているわけでしょう。

田中 確かに外国人留学生で定員枠を満たすというやり方は、一時いろいろな大学で流行ったんですが、いまはもう古くなっていますよね。例えば日本私立学校振興・共済事業団の調査によると、全国の私立大学のうち定員割れしていたところの割合は、2020年時点だと約31%でした。これが21年には約46%、22年には約47%と、一気に跳ね上がるんです。

 これはなぜなのかということに関しては、いろいろ細かい数字を見ていかないといけないんですけど、新型コロナウイルスの問題で外国人留学生が帰国してしまった、また新規に来日しなかったという事実は、非常に大きいと推測されます。

大月 そしてコロナ禍が収まったところで、そういう留学生たちが戻ってくるのかといえば、たぶん戻らないですよ。実際にもう戻ってない。なぜなら札幌国際大学を含め、かつて留学生を大量に呼び込んでいた大学がターゲットとしていたのは、主に中国の学生たちでした。地理的にも近いし、人数も多いし、まさに日本の大学のニーズに合致する存在だった。しかし、いま中国がすごい勢いで経済成長を遂げていて、「どうしても日本に行きたい」という中国の若者自体が減っている。

 これはもう、ミもフタもないことを言ってしまいますけど、日本の大して偏差値も高くない大学にやってくる留学生というのは、別に「最先端の学問を学びに来ている」とかではないんですよ。ひとまず「留学生」という肩書で日本にやってきて、アルバイトなどをしながらお金を稼いで故郷に送金するなど、そういうことのために来ている「労働者」だったんですよ。でなければ、共産党その他彼の地「勝ち組」子弟のボンクラ息子や娘たちのお気楽な「遊学」なわけで、いずれにせよ中国のほうが経済的に発展すれば、日本にやってくる動機がなくなってしまう。

 あと、日本政府の留学生関係の政策自体が変わってきた。簡単に言うと、「留学生」よりも「労働者」を直接招こうという姿勢に変化している。毀誉褒貶ありますけれども、現在「技能実習生」とか「高度外国人材」とかいった政策スキームに注目が集まっていることは、その象徴です。昔は政府が「留学生30万人計画」などといったことを推進していて、留学生はある意味で集めやすかったんですが、経済安全保障の問題もからんできて、もうこれからはそうはいかない。

田中 本当に、留学生で何とか経営を成り立たせるというやり方は、もう通用しなくなるでしょうね。

大月 いま追い込まれている大学が起死回生策として手をつけているその他の方策に、いわゆる「実学系」の学部をつくるというのがありますよね。ビジネス系、医療系など、何にせよ就職に直結する資格を取ることができるコースを設置するというやつです。

田中 ただ、言うほど簡単ではないんですよね。特にこれまで人文系の教育カリキュラムしか持っていなかった大学にとっては、教員の確保や設備の新設にも、結構なハードルがある。

大月 ですね。これまでの教員や施設その他のリソースをいきなりそっちに振り向けられるわけではない。それを乗り越えて何とか新学部をつくることができても、結局考えることはみんな同じだから、飽和状態でとても競争が厳しいんですよね。

田中 あと当たり前の話ですが、大学というものは「ブーム」に乗って経営するものでは、本来ありませんからね。例えば国立の奈良女子大学が2022年度に、工学部を開設したんですよ。工学部を持つ女子大というのはとても珍しく、まさに鳴り物入りで設置された新学部でした。実際に非常に注目されて、22年度入試の倍率は6・9倍。ところが今年、一気に2・7倍にまで落ちてしまった。

 ほかにも今、データサイエンスという学問が注目を集めていて、いろいろな大学がそれを学べるコースをつくっているんですが、どうにもバブル的な感じがして、いつまでこの波が続くかはわかりません。

大月 やっぱり受験する側だって、ある程度は大学のそういう姿勢というか、腹の中を見抜きますよね。本気でやってないと。

田中 一方で最近、大学改革に成功した例としてよく挙げられるのが、東京都江東区にある武蔵野大学ですね。浄土真宗本願寺派系の宗門校ですが。

 ここはもともと武蔵野女子大学といって、名前の通り人文系を中心とした女子大だったんですが、21世紀に入ったころから大改革を行ったんです。2004年に共学化して、薬学部を設置。06年には看護学部を、15年には工学部を置いて、急速に文・理・医療系の12学部を擁する総合大学に脱皮しました。「たまたま成功したに過ぎない」とか、「あの人気はバブルみたいなもの」とか、悪く言う向きもあるにはあるのですが、それでも大したものだとは思いますよ。

大月 ああ、それは先見の明があり、かつ中期的な計画をきちんと立てて、いわゆるゼロ年代からすでにそういう改革に着手していたわけで、早いだけでなく、まず経営姿勢としてまっとうですよね。最近ようやく尻に火がついてあわてて考えなしに組織いじりを始めたような大学とは、やっぱり違う。またそもそも、日本の18歳人口が減っていくことは相当前からわかっていたわけで、やろうと思えばあらゆる大学が、そういう世の中の流れを見越した中期的な見通しに立った、早い段階からの内部改革に着手することはできたはずなんですよしかしどうも、その辺のことを真剣に考えるところは多くなかった。

 そして今、尻に火が付いた多くの大学が何に頼っているのかというと、外部の経営コンサルタントですよ。自分たちで知恵を絞って学校を改革するんじゃなくて、そういうコンサルの言うがままになって、ほんとにロクにものを考えないまま組織いじりをしている。それでは成功するはずがないし、実際に多くの大学の「改革」が失敗している死屍累々の背景は、それでしょう。

田中 まさに今、そういう感じで多くの大学の経営が悪化しているわけなんですが、それに付随して目立つようになってきたのが、大学発のスキャンダルです。パワハラ事件とか、人事紛争とか、とにかくあちこちの大学で、そういう問題が起こるようになった。

大月 田中さんが今年2月に出した『ルポ 大学崩壊』(ちくま新書)は、まさにそういう全国の大学で発生しているおかしな不祥事について、取材してまとめた一冊ですよね。まあ、この本に私の関わった札幌国際大学の問題も載っているわけなんですが。

 この本を一読して感じるのは、不祥事を起こしている大学の多くには暴君じみた理事長がいて、彼らが学内でいわば独裁政治を敷いた結果に、パワハラや人事紛争などが発生しているという、何ともわかりやすいベタな構図が全国的に蔓延していることです。『宗教問題』誌で取り上げられている平安女学院大学京都市)の問題も、同じような話ですよね。もちろん、札幌国際大学も見事なまでにそういう形なんですが。

田中 そうなんですよ。そして、多くの大学にそうした「暴君理事長」が現れるようになってしまった原因とは、これは文部科学省の誤った方針のせいだと、私はそうはっきりと思っています。

大月 確かに。最近の文科省は、学校法人内において理事長にいろんな権限を集中させるよう、明らかに誘導してきてしまったところがありますから。

田中 文科省はそれを、「日本の学校法人のガバナンスを強化するため」と説明してきました。特に理事会に経営責任というものを自覚させ、理事長に強いリーダーシップを与えて、学校法人の体質を強化するのだと。そのために教授会の権限なども、ずいぶんと縮小されたんですよ。

大月 ですね。まあ、文科省の中の人がた的には善意だったかもしれないですが、そういう善意の学校関係者を想定した政策が、実際には学校経営の世間には彼ら霞ヶ関の予想を越える悪人、商売人が跋扈していて、結果的に悲惨な事態になるところがあちこちにできてしまったわけで。まあ確かに従来、私立大学などはそもそも大学や高等教育とは、といった総論的なところをタテマエとしてもよく理解していない人がたが、平然と学校経営の中枢に座っていたりして、またそれで特に問題も表沙汰にならずにまわってきたところがあったじゃないですか。例えば宗教系の学校だと、偉いお坊さんが名義貸し的に理事長や理事になって、理事会は何もしていないようなところもあったんですよね。宗教系でなくとも、政治家や経済人などが、これまた名義貸し的に理事長をやっているという大学もあった。そしてそういう体制の学校法人では、プロパーの教職員たちが誰からも監視されずに横領めいたことをしているとか、そんな話も実際にあったわけでしょう。

田中 それは本当にその通りで、是正する必要はあったと思います。ただ文科省は、例えば三権分立ではないですけど、学校法人内にさまざまな権限のある機関を置いて互いにチェックさせ合うとかではなく、とにかく理事長に多くの権限を一極集中させるような状況をつくり上げていくんですよ。

 2021年11月に、当時日本大学の理事長だった田中英寿氏が脱税で逮捕された事件は、記憶に新しいと思います。田中氏はあの巨大な日本大学という組織に、まさに独裁者として君臨しており、さまざまな背任行為などを行っていたという事実がワイドショーでも紹介されて、世間を大きく騒がせました。そして私は思うんですが、あの田中理事長という人は、まさに文科省が主導した「学校法人のガバナンス強化」という流れを最大限に利用して、日大内にああいう権力基盤を構築していった人だったのではないかと思うんです。

 そして田中氏ほどではないにせよ、いま全国の大学には「ミニ田中理事長」みたいな人が本当にたくさんいて、おかしな不祥事を引き起こしているんですよ。

大月 お話を聞いていて思うのは、ようするに1991年に行われた「大学設置基準の大綱化」、つまり文部省(当時)の大学に対する規制緩和ですが、あの辺りに今のおかしな状況の源流があるんじゃないのかな、ということです。つまりあの大綱化によって、大学の設置基準は緩和され、また既存の大学でも新学部の設置などがやりやすくなり、まあ大学経営の自由度が高まったんですね。そしてこの流れの末に、2004年の国立大学の法人化も行われることになる。

 私は1993~97年にかけて国立歴史民俗博物館助教授をやっていた関係で、大綱化以降の国立大学の変わり方を奇しくも現場から横目で見ていました。感じたのは、「規制緩和といえば聞こえはいいけど、これはつまり国立大学の民営化政策だな」ということでした。また、当時は「官から民へ」「民営化こそが正義」といった空気が世の中全体に蔓延し始めていたのもありましたし、ようするに、「教育は国家百年の大計である」といった考え方が抜け落ち、ただ目先の数字を追いかける集団に、国立大学が変わっていったということでした。そしていま、その傾向は私大を含めて、日本の大学全体を覆いつくしてしまったのでしょう。

田中 おっしゃる通りだと思います。先ほど、近年の大学で「実学系」の学部をつくる動きが目立ったという話が出ましたが、冷静に見ると、その背景には国による政策的な誘導があるんですよ。

 例えば現在、政府は全国の大学の理工系学部再編をうながす財政支援政策を考えていて、デジタル関係や脱炭素といった分野の学部新設を補助する基金の創設、また理系学生への奨学金拡充などを行っていくとしています。長期的には、大学生に占める理工系専攻の割合を現在の35%から50%にするという数値目標も立てられています。今後、これに少なくない数の大学が乗って、理工系の学部は増えていくと思われます。そして実学系やデータサイエンスといった学問分野がこれまで大学でもてはやされてきたのも、同じような政府による推奨政策があったからなんですよ。

 つまり大学の「経営の自由度」が高まったことで、逆に多くの大学は、こうした国の政策に簡単に乗るようになってしまっている。先ほど話が出たような、「教育は国家百年の大計である」といった考えは、もうそこにはないわけなんです。

大月 はっきり言いますけど、ようするにそういう感じの「大学改革」を国が主導する目的って、大学を官僚その他の天下り先にしようということなんじゃないですか。実際すでに国公立、私立問わず、大学に理事とかで入り込んでいる文科官僚OBが増えてますよね。ほかならぬ札幌国際大学がまさにそうなんですが。

田中 その視点は実に重要だと思いますね。今では文科省のみならず、「産学連携」の名のもとに、経産省まで大企業などと一緒になって、大学に入り込もうとしていますから。

大月 自分が年来つきあわせてもらっている分野のひとつに競馬をめぐる社会というか世間があるんですが、その中で馬主っていうのもあれ、実は損得だけじゃやれないものだったんですよね。あれはいわゆる「旦那」であり、パトロン、相撲ならばタニマチなんですよね。競馬自体は確かにギャンブルであり興行なんですが、馬主は目先のカネに一喜一憂していたら務まらない。何より、馬券に熱心な馬主は厩舎筋では嫌われるのが普通でした。そういう旦那衆とそれが共有する価値観や美意識その他が「そういうもの」として存在してきたから、競馬や相撲、政治などまでも含めての文化というものもある意味、支えられてきたわけなんですよね。

 大学だって、結局はそれに近いところがある。目先のことや損得に一喜一憂するんじゃなくて、それこそ「国家100年の大計」的な能書きを盾に敢えてどっしりと構える気骨というか、嘘でもそういうタテマエに殉ずる覚悟と志がベースになければ、やっぱり教育はもとより、そもそも学問というのも成り立たないんじゃないですかねえ。特に現在、人文系の学問は流行らないという話が出ましたけど、人文系の教養というものこそ古来、そういう旦那やパトロンといった存在に支えられてきたわけであって。別にカネの問題に限らず、何か大きなポリシー、現世利益や損得、合理性などとは別のところにある、その意味で浮世離れした大文字の能書きを持ってどっしりと構えていく精神、そういうものがいま、逆説的に実は大切になってきているじゃないでしょうか。

 そういうふうに考えると、やっぱり宗教系学校の建学の理念というのか、そういうものにもやはり、なにがしかの価値はあるように思いますね。学校法人とは宗教法人と同じく、法律上「公益法人等」として扱われる存在なんですから、やっぱり目先のことだけで右往左往するのはよくないですよ。そうなってしまっていることも含めて、大所高所から立ち止まって自省しなければならない。本当に教育は国家百年の大計ですから。

田中 私の娘は、実はカトリック系の大学に行ったんですよ。別に田中家としてキリスト教を信仰しているとか、そんなことではなくて、娘としてその大学で学びたいことがあったから行ったんですけど。

 でも、やっぱりそういう学校の宗教的なカラーというのはいいものだし、誇りに思うと娘は言っていました。大学経営のあり方がおかしくなっている今だからこそ、宗教系の学校にはそういう精神を大切にしてほしいというのはありますね。それで選ばれる局面というのも、必ずあると思います。

大月 あまり入試偏差値が高いわけでもない大学で教えているとですね、お父さん、お母さんはせいぜい高卒で、大学がどんなところかも自分たちはよくわからないけど、とにかく大学に入るというのはすごいことなんだから行ってこいと、そう言われて進学したという学生がいたりするんですよ。そしてその学生は、決して実学系でもない人文系の勉強をしている。そのご両親は確かに大学を出ていないかもしれないけれども、学問に対する敬意というものはまだ漠然と持っているわけなんです。そういう世間一般その他おおぜい、市井の人々の気持ちに支えられて、大学というのは存在しているんだと、これはいま、教員であれ職員であれ、どんな形にせよ仕事として大学に関わる人間が肝に銘じていないといけないことだと思いますよ。その気持ちがあれば、大学発のおかしな不祥事も、ずいぶん少なくなると思うんですが。

*1:大学問題に詳しいライターの田中圭太郎氏との対談。まあ、掲載時のタイトルは「大学人よ、国を誤ることなかれ!」と、また大上段の一喝調ではあったが……

「団塊の世代」と「全共闘」・余滴②――呉智英かく語りき・断片

創価学会

 創価学会は危険な組織か、とよく議論されるけど、創価学会に対して自由に批判があり得るうちは、さほど危険ではないと私は思ってる。この場合の批判というのは、何も高尚でお上品なものだけではなくて、野次や嘲笑、罵倒なんかも含めてのことだけどさ。

 学会への嘲笑はもちろんオーケーというか、むしろどんどんやれと思うんだよ。だって、どう見てもヘンじゃないか(笑)。と同時に、やはりこれまで学会が果たしてきた役割もある、という意見も当然あるよね。で、それも確かにある程度うなづけるんだよ。事実、彼らは左翼理論ではない方法で、やはり極貧の、底辺の民衆を救ってきているんだからさ。

――そのへんは呉智英さんらしい視点ですね。いや、あたしも高度成長期の創価学会については同じような視点を持ってます。

 本当の人の不幸とは、単純に左翼理論で説明できるものじゃなくて、資本主義の搾取云々とは少し違うんだよ。

――貧、病、争(人間関係)が、宗教に入信する最大の理由、と、ずっと言われてきましたからね。

 そうそう。「貧」とは貧乏だよね。昭和三十年頃だと、まだそういう貧乏、ってのは具体的にいくらでもあったんだよ。

 たとえば、お父さんが死んで小さな町工場が左前になる。そうこうしているうちに、兄貴はグレて刑務所に入り、二、三カ月臭い飯を食って出てきた、と。当然、近所でみんなに後ろ指さされるわけだ。そんな界隈で育った中学生の「僕」……というのがしたとして、その彼の不幸というのは、単に社会主義ならもっといい暮らしができるとか、資本主義の矛盾がどうとかいう問題じゃとりあえずないんだよ。だから要は、ああ、おれももうグレちゃおうかな、と途方に暮れていると、そこに学会の人がどこからともなくわらわらとやって来て、「お父さんの工場、駄目なら何とか信用金庫に口をきいてあげるから」とか何とか言って運転資金を十万円くらいふんだくってきてくれたから、オヤジもとにかく工場を再開する。次には、じゃあ、うちの学会系の企業の下請けするのがいいんじゃないか、とか仕事も紹介してもらう。刑務所から帰ってきたその兄貴だって、そんなもの当時だってどこも雇いにくいんだけど、でも、学会なら、というんで隣町の商店に勤めることになったりする。そんなこんなで日々の生活は何とか安定してゆくんだけど、次にはどうしても「でも僕、勉強できないや」という問題が出てくる。なんだ、そんなの、じゃあおれたちがちゃんと教えてやるよ、と、またまた学会の人たちが助けてくれて、ああ、ありがたいことに無事に高校へまで行けるようになりました、という……まあ、ざっとそういう子供が実際に、いくらでもいたんだよね。この場合、創価学会というのは明らかに彼ら貧困層、困窮層を「救っている」わけだよ。

――『キューポラのある街』とか『下町の太陽』とか、そういう世界ですね(笑)。まさに「名もなく貧しく美しく」。「社会派」なんてもの言いも、そういう境遇が具体的にあったからその分、燦然と輝くことだってできたわけですしね。「貧乏」が具体的に身の回りに見えていたから、共産党創価学会もある部分で共感を獲得できた。〈リアル〉に足つけてたんですよ、彼らもまた。


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 一方、「争(人間関係)」の例は、こんな感じかな。

 飲んだくれで仕事に行かない父ちゃんがいて、それを母ちゃんが殴ったりして、とにかく夫婦喧嘩が絶えない家がある。争いに疲れたところに学会に誘われて、集会に顔出してみたら「ちゃんと信心すれば、いいことがあるよ」と慰められて、「どうせ今のままでも青あざだらけなんだし」と、すでにこの時点で前向きになっていたりするわけだ(笑)。あとは案外簡単だったりして、酒飲みで仕事に行かないような自堕落な父ちゃんも、朝から仏壇の前で勤行すれば生活態度もぴしっとしてくるし、朝起きてごろごろしているわけにもいかなくなる。学会の仲間が工場へ仕事を紹介してくれれば取りあえず行かなきゃ格好がつかないし、仲間の眼もあるから昼間っから酒を飲んだりもしにくくなる。で、夕方帰ってきて「おい、母ちゃん、帰ったぜ」、「あれ、なんだ、きょうは魚があるのか。おまえ、煮たのか」、なんて夫婦仲も仲直りの兆しが表れる。「八時からみんなで集会に行きましょうよ」となって出かけて、集会で疲れて帰ってきて十時には寝る。すると、翌朝六時に目が覚めてしまうから、生活リズムもめでたく戻るわけだ。そうやって何となく毎日やってゆくうちに、ありがたいことに家庭内の争いがなんとなくなくなった……というようなケースが、これまたいくらでもあったんだよ、当時は。

――「貧」も「争」も具体的だった分、その当面の解決も素朴だったってことですかね。戦前の賀川豊彦なんかでも、あれはキリスト教が背景にあって貧民窟に入っていったわけですが、やっぱりそういう具体的な功徳が効果があることをさりげなく書いていたりします。でも、それはあくまでも方便だという理解なわけですが……

死線を越えて

死線を越えて

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 こんなのはもちろん、内側から見れば根本的な解決にはなっていないよ。単に生活習慣がついただけなんだけど、でも、その生活習慣という概念さえない最下層の人ってのも確かにいたし、今でも形を変えてやっぱりいるんだよ。創価学会がそういう人たちを救ってきた実績というのは、実はすごいもんだと思う。下町という舞台で学会と共産党仁義なき戦いを繰り広げてきたのも当たり前で、あれは高度成長期に顕在化してきた「戦後」の不幸というパイを食い合ってたわけだからさ。

 創価学会は、一応、日蓮正宗の教えだと自称しているわけだけど、昭和三十年頃からの彼らの考えは、基本的には困っている人のところへ言って、悪く言えば、その人たちから瞞着していたんだよね。ただ、ここで学会がすごいのは、当時ほかの宗派は、浄土真宗禅宗も、とにかく下層の民衆を相手にしなかった。ところが学会は、それを積極的に取り込むことによって、彼らを救うという仏道の功徳を成し、一方で、そこに実利をも組み込んだわけだ。

 さっき言った話で言えば、刑務所出の兄貴を学会系の商店で雇う時、実利というのは、たとえ前科者でも刑務所でお勤めを果たしていれば一票は一票だ、ということで、学会というのはそれくらい先のことを考えていたんだ。彼らが今、朝鮮関係のことをとりたてて問題にしているのも、在日朝鮮人投票権をうまく取り込めば公明党議席が増えると考えているに違いないよ。

――それはあるんでしょうね。政治のレベルでは。一方で、普通の人、常民にとっては「役に立つ」というのは、どうしようもなく具体的なんですよ。カネか、オンナか、名誉か、どれか。学会の活動を頑張れば、市営住宅に入れる、病院にも入院できる、学校にも便宜をはかってくれる……これは共産党も似たようなものなわけですが。

 そうだよ。これは何も思想とか宗教といった深い話じゃなくて、本当に徹底的に、ミもフタもない実利なんだよ。しかし、それくらいミもフタもない実利であったからこそ、今日の飯が食えないような人間が救われもしたんだよ。しかもそれを大規模に、あの時代からやってきたわけだ。

 今、逆に学会で問題になっているのは、四畳半のアパートに住民登録五十人もやって、そんなもの居住実態がないじゃないか、といった、選挙ごとの民族大移動に対する非難だったりするんだけど、でも、これに近い例はこれまでほんとに無数にあったはずなんだよ。四畳半のアパートは駄目でも、一戸建てならそこに八人が住んでてもおかしくないし、二家族二所帯で上と下で住んでても、山田さんと加藤さんに住んでもらって住民登録をしてしまう。それで都合八票入るんだから学会としては問題ないんだよ。

 場合によっては、学会員がその人たちに一円もやらなくても、彼らが生活保護を受ける道をつくってやればいい。無学文盲で貧困の中にいる人は、その程度のリテラシーさえないわけだし、とにかく学会員の懐はこれっぽっちも痛まない。そういう交渉に立てば行政側は「うわあ、また学会の人か、じゃあ、払うしかないですねえ」となる。そうすると、結局は「選挙に勝ってよかったねえ。この人たちがいてくれたからだよ」と、みんなの顔がめでたく立つわけだ。

――その「学会の人」を「解放同盟の人」や「共産党の人」、「総連の人」に代入しても成り立つわけですよね。

 そうそう。

 いま、学会ってのは、組織の構造としては、中心部にいる幹部については池田本仏論だよ。「私たちの立法は世俗を超えている。だから、世俗を支配しなければいけない」と本気で思っているわけで、地上の、世俗の論理はどうだっていい。東村山市での女性市議の自殺にしても、あれはどう見たって謀殺なんだけど、でも、あれさえも組織防衛のためには正しいこと、なんだよ。まあ、あれは結局、裁判では学会が勝ったけど、限りなくあやしいとは普通、思うよね。

 宗教的に言えば、法華教自体に一神教という性格があるんだよ。一神教は謀殺もするから恐ろしいんだけど、資金もなく、社会の底辺からはい上がってくる者は、当然多い。それは、組織の下の方の頭脳のキャパシティが小さいくせに狂信的な連中が、もう言われたとおりロボットのように働くからで、はっきり言ってそんなもの、連合赤軍と同じ構造だよ。

――最大のセキュリティは「食える」ってことで、もっと大きく言えば「豊かさ」でしかない。

 一般に、日蓮宗の中では、日蓮本仏論さえ否定されているんだ。つまり、釈迦本仏論だ。しかし、日蓮宗の中でも突出して日蓮原理主義的な経文は、日蓮本仏論を言いそうなところまで行ってたんだよ。でも、それが池田先生になると、もういきなり池田本仏論だからね。だけど、さすがにやはりそれは言えない状態で、今は政治の世界でも与党だし、と、現実にはかなり穏健派になっている。池田本人も否定しているけど、でも、現実にはもう喉まで出かかっているわけだ。「国立戒壇池田本仏論」、だよね。



心理的な問題と格差社会

 創価学会の動き自体は、団塊論と直接は関係ないよ。ただ、学会が一気に急成長するのは池田大作が会長になる昭和三十年以降だという、同時代的な連関は、ないことはない。つまり、高度成長と軌を一にして、その矛盾、たとえば、家族共同体が崩壊していくとか、そういう問題に対する救済という点ではどこかで繋がっていると、私は思ってるよ。

 バブル期になって、最終的にいわゆる貧乏人がいなくなって、創価学会の使命は終わったんじゃないか、なんてことも言われたんだけど、ここへ来てまた勢力が強くなってきているのは、やはり「格差社会」の問題と、もうひとつ、物質的な「豊かさ」では埋められない「心理的な慰安」の問題がこれまで以上に大きくなってきたからじゃないかな。つまり、民衆がアトマイズされ、砂粒になっているわけだから、個々人は不安や虚無感を埋める対象を宗教やオカルトに求めてしまう、と。組織的には、それまでの共同体にかわるものが求められる。これはある意味自然な流れとも言える。だって、それこそ一家で勤行をし、座談会や勉強会に行く、何となくそれで一家のまとまり、地域のまとまりが改めて出てくるところはあるわけだからさ。

 格差社会というのは、例によっていろいろ言われているけれども、あれは経済的実態よりも、実はメンタルな部分がかなり大きいんだよ。三浦展(評論家/一九五八│)も、そう言っている。これはもう、お金で解決する問題ではない、意欲の問題なんだ、と。生きる意欲をつくるノウハウ、これがない、持てない人たちが、新しい「下流社会」を形成しているんだよ。

 かつての横山源之助(ジャーナリスト/一八七一│一九一五)が言った日本の「下層社会」(一八九九)とは、もう決定的に違うんだよ。あれは、本当に貧しくて食えない、東京の下谷あたりの貧民窟をドキュメントしたものだけど、今は格差社会とは言っても、下流(意欲)と下層(金銭)とではその意味が違ってきているんだと思うよ。

――そのへんはあたしもかねがね問題にしているところでもあります。たとえば、「ドキュン」ってもの言いがネット周辺から出てきて、今じゃかなり普通に使われる言葉にもなってますが、あの「ドキュン」がいまどきの貧乏のある部分を反映しているんだと思うんですよ。

 それ、定義としてはどういうことになるの?

――微妙なんですが、要はもう少し前だと「ヤンキー」と言われていたような低学歴、低収入層、ってことなんでしょうかね。ただ、そんなにわかりやすくもなくて、生活のありようや価値観などがあまりに俗物的で流されるままだったり、そういう生活に対する違和感が表明されている、という感じですかね。

 それからもうひとつ、差別に絡む格差、というのもある。たとえば、東京の貧乏とは金がないことで、「宵越しの金は持たない」という浪費家も含めてまだ明るい、という人がいる。それが、関西の貧乏は差別などが絡んでくるから、底の深さが少し違うよね。それはインドにおいて、ヒンズー文化のカーストに対して、イスラムや仏教が対抗策としての意味を持ち得たのと同じことなんだと思う。つまり、人間の値打ちはカーストの問題ではないと言い切ったわけで、創価学会の関西などへの切り込みにも、基本にそういうところがあると思うよ。日本の東と西で、中世以来の文化的背景の違いというのは、未だにあるんだよ。

――去年、『ユリイカ』で西原理恵子と対談した時もその話になりましたよ。西と東、って未だに違う、でもその違いってやつがもう東京の人、少なくとも東京的なるものの中にいるとわかってもらえないらしい、ってことでした。彼女は西南日本の、それも海洋民というか漁村系のカルチュアを背景に出てきてるわけで、まさに近世以来の差別だの何だのの蓄積の上に現れる何ものか、を身近に見聞きして育ってきているわけですよ。それが何なのか、言葉としてわかんなくても、皮膚感覚として「違い」がある、ってことだけはわかっている。
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 東京は人の動きに流動性があるんだよね。社会階層的には、年収格差に所属しているかもしれないが、でも、地域には所属していない。だから、「うちの父ちゃん、稼ぎがないんだよ。がまんしな」で取りあえずすむんだけど、関西はもっと、根が深い。単にカネがない、貧乏だ、ってことだけにとどまらず、「あいつのじいちゃん、○○村の出じゃないか」と詮索される。

 それに付随して、被差別部落にも、それなりのコミュニティが、以前はまだ生きていたと私は思う。

 たとえば、農村部落なら食いぶちは農業だった、農村部落は基本的に小さいから、三戸、五戸の集落が田植えのときは互いに手伝いに来て、小さな田でも手伝う慣習があったはずだ。困っているときの相互依存体制もある。都心部は規模が大きくなるから別だけど。ところが、昭和三十年代頃になると、それがだんだん崩壊するように思える。たとえば、隠れて都会に働きに行くとか。そうすると、小部落同士の助け合いもなくなってくる。孤立してどうしようもなくなってくる。学会などが求心力を持っているのはそういう事情だと私は見ている。宗教団体として膨張しつつ、共同体の崩壊を各地、各階層で補てんしてもいたんだよ。

 表には見えてこない社会問題を、食い止め、解消する人が必ずいたはずで、日本の戦後について言えば、その一つは共産党であり、また学会だったのだ。社会といっても、個々人がどこかで横につながっていないと成り立たない。たとえ実利で考えても、行政にどう交渉するかは、個々人の能力を越えることだった。昔は村長や長老がいて「おれが行ってやろう」、「お願いします」と、彼を押し立てていく。「ここの堤防、いつも決壊して困るから、直して下さい」と訴え、行政が「じゃ仕方ない。やるか」と、動いていたわけだ。

「団塊の世代」と「全共闘」・余滴①――呉智英かく語りき・断片


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 一連のエントリー、上記であらかじめ経緯来歴について説明した通り、2005年から6年にかけての頃、呉智英夫子との対談本というか、インタヴュー本的な企画がお流れになった、その概ね9割方かたちになっていた作業中の草稿データを発掘してきたものをアップしたのだが、その後また例によって、作業途中での素材がいくつか出てきたので、補遺としてあげておく。テープを起こしたものから、モティーフやお題に従っていくつかの塊にいったんバラバラにしてゆき、それらの素材をもう一度、ある流れに沿って配列しなおし、全体を整えてゆくという作業の工程の中で、うまく本体に織り込めなかった、しかしモティーフ的に面白い内容が含まれているものを、ノートないしは備忘録的な断片として手もとに残していたものだと思っていただければありがたい。言うまでもなく、主な発言主体は呉夫子である。……221224


● 教養としての小説、理科系の教養書

 教養小説が消えてしまい、「青春と読書」というフレーズも聞かなくなった。理科系でもしかりだ。

 今、一部子供に理科離れがあるから実験をさせようという動きがある。悪いことじゃないからやってくださいとしか言いようがないんだけど、ただ私たちの頃は、中学三年頃になれば、たとえばポアンカレーの理論書を読んだ。教師に煽られて読んだわけだが、教師自体が今の教師とは違う。化学の教師とか物理の教師というのは、ボアンカレーとか、アインシュタインを読んでいた、そういう人たちだったんだよ。

 彼らは、アインシュタインは面白い、ボガーは面白い、と大きく影響を受けて自分もなれるかなと大志を抱いたが、就職できる研究施設が限られていたので、高校、中学の先生になった。その頃、私たちは普通に、文科系のフランス文学とか、アメリカの文学を読んでいた。ところが、物理の教師に授業で、「君たちの中で読書が好きな者は、漱石とかヘミングウェイとか読むだろうが、僕らは理科系だから、そういうのは読まなかった。でも、ボアンカレーの『科学と仮説』は読んだな」とか言われると、あ、これは読んでみなきゃと思って、帰りに本屋へ寄って買う。化学の教師には「ファラデーの『ろうそくの科学』は普通、高校生は読むよね」と言われる。「読むよね」と言われたら、読んでいないことがそれこそ恥になるんだよ、当時は(笑)。同輩同士の論争じゃないが、教師に「普通、気の利いた子はこのいうの読むんだよ、読んだ?」なんて言われると、読まなければプライドが傷つく。見栄なんだけどね、でもそれが原動力になって勉強したわけだ。

 翌日、学校へ行くと、本の話になる。うちは中学・高校が受験校だったこともあるが五十人中三、四人は読んでいた。机の上に置いて、おまえも買ったか、おれも買った、という話になる。

 中高生が教養のために読む本として、理科系教養書というのが確かにあったんだよ。寺田寅彦、宇宙物理の学者だが夏目漱石に弟子入りもしていた、野尻抱影、この人は今では大学生も読まないが、星の名前で有名な大佛次郎の兄、そして草下英明などなど。

 私が決定的に影響を受けたのは、ジョージ・ガモフ博士だ。『ガモフ全集』は白揚社から出ていて、相対性理論からビッグバン宇宙論の提唱にまで関わる物理学者の亡命ロシア人だ。つまり思想的には反共産党系なのだ、が、たとえば「共産ゲリラが機関銃を三百丁、輸入しようとしています」という例題など、表現も面白い。まだ高校一年頃で、闘争はあまり関係なかったが、この本は専門書ではなく、素人のための科学啓蒙エッセー集で本質的な部分に影響を与える内容だったから、将来物理学者になるかな、と考えたりさせられた。

 物理はもともと好きで普段からやっていたから、試験の前になるとノートとか本は読まず、ガモフ全集を読んだ。自分の中でエンジンの空ブカシ、アイドリングをバンバンやって、翌日、試験に臨むと、これが不思議とできてしまうのだ。読書によってエネルギーがどんどん膨らみ実力に変わる。それが私の試験対策だったんだよ。



● 活字の「教養」

 団塊関連の知識人像を何人か挙げてみたが、現在は魅力ある像がない。*1 また時に、若者がそれにオーソライズされなきゃいけないと思わないほど自我が肥大していた。だから、以前の若者には見栄があって、それで戦わなきゃいけないという風潮だった。それがインターネットで一気に検索をかけて、情報がこれだけありましたよ、で勝ち負けが決まってしまう。そこには生き方としての魅力もなくなってくるし、ユニークな生き方自体を許容する柔らかさもなくなってしまうような気がするな。

 たとえば、「読書と青春」といった本が以前はたくさんあった。知識人論の本もあった。簡単に読める『寂聴般若心経 生きるとは』(瀬戸内寂聴中央公論社)からレベルの高い、たとえばサイードの講演をまとめた『知識人とは何か』(平凡社)などまで。

 でも、知識人自体に信頼性がもうない。すると若者は、自分がその予備軍であるかもというようなことを考えないですむ。そのほうが楽だからだね。かつては、吉本隆明といえば、一応、読まないまでも、買わなきゃ、というのがあった。買わなきゃいけないで出版社は支えられていた。

 出版人にも問題がある。出版業界が、実は見栄と強迫観念で支えられていたという認識がないんだよね。岩波書店なんかあれ、絶対にない。自分たちが正しいことをやっているから受け入れられた、と本気で思ってるよ。でも、それは違う。みんな見栄なのだ。情けないことだが現実だ、九割の人は見栄で本を買う。ブランド産業なのだ。しかし、その自覚はない。

 ただ、同じ商品でも、やはりブランド品はブランド品なりに手が込んでいるものでね。

 たとえば、ライカのカメラ。ライカを買っている人は、コレクターで見栄やブランド志向、金持ちだから買うのが八割か九割で、本当にライカを使っているのは一割しかいない。でも、プロが使えば、確かにライカは素晴らしい。頑丈で、戦場に行っても壊れないとか、映りがいいとか、やはりブランドを支える老舗、暖簾の力がある。だから、それは岩波もそうだが、九割はブランド信仰の見栄で売れていることを自覚し、その中で上手に客を満足させながら、本来のライカのボディをつくる技術を伝承させていくことが必要だ。その技術、ネジの精密さ、レンズの設計のよさを残す。

 ところが出版界は、全然それをやっていない。中途半端な岩波文化人でも、たとえば丸山眞男だったら今から三十年、四十年前のピーク時には(いろいろ批判もあったかもしれないが)、それなりに意味があった。今の岩波文化人たちは、何も考えていない、世代的に言えば、文学系の小森陽一高橋哲哉、政治の姜尚中とか。彼らはもう五十歳前後になっているわけで、今から四十年前だったら丸山眞男がやはり四、五十歳代だったわけだが、やはり思想的に意味を持っていた。当時、批判の基軸になり得た。

 最近、彼ら出版界の考えているところでは、小熊英二大塚英志たちが、一種の朝日、岩波文化人・サブカル系の今後の安全パイなんだよね。アカデミニズム系だったら、たとえば、政治学だったら姜尚中、文学なら小森陽一になり、サブカル系だと大塚英志香山リカになる。つまりはその手のものを、今なおサブカルチャー、マスカルチャーが重要であるといって、それを押さえている。要は誰であっても、椅子が埋まればいいんだからさ。この辺りが、ポップカルチャーの椅子、こっち五つはアカデミズムの椅子となっているわけだ。あとは社会派ルポルタージュ鎌田慧斎藤貴男。しかし、この手の人材が知的ヒーローでは、旧来の知識人像という感じにはならなくなるよね。しかも、彼らには蓄積、教養がまったくない。

 岩波新書は、私は現在に至るまで追いかけてモニタリングしているが、岩波新書が当初売れなかった頃でも、戦前の旧赤版が、終戦直後まで中谷宇吉郎の『雪』や、沼田多稼蔵の『日露陸戦史』などがまだ残っていたわけだ。

もちろん戦前のものの中で、それもふるいにかけて残った名著だが、そのほかに青版が出る、戦後の昭和二五、六年頃に。青版もずっと続くものは名著だった。それに対抗して、六○年頃から講談社現代新書中公新書が出てきて、やはりそれらも自分なりの良いものを出していた。青版がずっと続いて、次に黄版になった。それから、次、新赤になった。なるたびにレベルが落ちてくる。

 しかし、軟弱にするなかからベストセラーが出る。たとえば、永六輔の『大往生』。永六輔は、私は必ずしも嫌いではないが、そういうものが岩波で出版されて、当時、岩波は実はどんどん売り上げが落ちていたから、カンフル剤になる。あれが百万、二百万出るわけだ。

 売れる本を出さないと、もう駄目ですとなるわけだ。やがてそれが常態になってくる。レベルはどんどん落ちる。やはり名著だから、いまだに青版の五○、七○年代の半ばまでの本は、いまだに古本屋でも二千円ぐらいになっている。だから、青版の五百~七百番台は当時の名著の宝庫だ。

 最近、岩波新書で学生時代から三十代までに読んだものを、古本屋で買っては読み直したのだが、あの頃の岩波新書を十冊読むと、本が一冊書けるなと思った。それぐらい密度があったのだ。十冊読んで、オイシイところを取って、柔らかくパラレルにすれば、その辺のへなちょこ本なら一冊楽に書ける。それぐらいの値打ちがあった。今のシリーズはもう見る影もない。全然スカスカだ。

 それこそ知識人像が崩れているから、若い人が買わなくなってしまった。みんな長いのを読めなくなったが、その中で健闘しているのが、中公新書と現代新書。そういうのを目指した編集者がいるのか、時々いいのを出して、むしろ岩波よりも歩留まりがいい。

 結局、主力の本格的な単行本は読まないから、各社本が売れなくて簡単に読めるような新書の方にどんどん参入する。するとそこに負のスパイラルができて、もう新書以外、みんな読まなくなる。つぶし合いになって、クオリティはさらに下がる。

 同工異曲のどうでもいいものがまた出る。著者が、原稿用紙五百枚の本を出そうと思うと、編集から「もっと圧縮して、同じテーマで二五十枚の新書にしてください」と言われる。先生がこれをどこかでお出しになるならそれは結構です。でもそれでは、うちじゃ売れませんから、これをもう少し易しく、この辺を省いて、ここにイラストを入れて、みたいなことになる。

 書店に至っては、もうハードカバー書籍を置かない。NHKブックスも講談社メチエも講談社ブルーバックスさえ、ほとんど置かない。以前は選書があったが、選書も売れない。中公選書などもう二十年前から全然出ていない。角川選書だって、今五年に一冊ぐらい、思い出したように出る。時々間違って三年に一度ぐらい。ということは、選書として死んでいるということだ、五年に一冊出したって。ほかに棚がないから、角川選書の箱で、話が来たら出さなきゃいけないかなという程度。

 結論からいうと、もう出版社は駄目なのではないか、また物書きも厳しい。知識人像が崩れてくるわけだから、その知識人像を前提にして成り立っていた産業というのは全部駄目になった。今まで自分の産業がどう成り立っているか、考えないですんだというのは、まさに戦後の問題。

 それは甘えといえは、甘えなんだよ。偉い知識人が、東大教授だろうと在野だろうと、知識人でございますと言っていると、岩波なり何なりが、それをもてはやして「おまんまのことはご心配要りません。われわれがやります。文化を担う先生方はお金の心配などしないで、象牙の塔の中で研究に没頭してください」。それがよかったかどうかは別として、そういった構造があった。やはり普通の業界に比べると鎖国状態だったわけでね。

 今、データを集めようと思ったら、いくらでも集められるけれど、それと森銑三なんかが資料を収集するのとは違うんだよ。迫力、深みがぜんぜん違う。今はネットで調べれば、パーッと大量に、古文書でもなんでも出てくるかもしれないけどさ。食い付きの態度が違うんだよ。森銑三は、どこかのうちの土蔵から古文書などが出たと聞くと、出かけていって、ノートにすべて書き写したという。それによって自分の血肉となる回路が出来る。覚悟としては全体的な作業で、目も、耳、あるいは感触も含めて駆使し、資料を見ながら、手で、書いた人と同じ速度で書き写していくわけだ。そのときに文体のリズム感が伝わってくる。



● 辞書、塾、予備校

 私は辞書に関しては、パソコンは非常に便利だと思う。検索機能、項目の並べ替え機能にしても。しかし、そういう時代でありながら、いまだに大槻文彦の『大言海』が広く使われている。実は、大言海に書かれていることは、全部小学館の『日本国語大辞典』に全部入っている。『大言海』ではこの説であると。つまり辞書としては、『日国』を読めば『大言海』は必要ないのだ。なのになぜみんなが『大言海』を使うのかというと、大槻文彦の一つひとつの言葉の手触りを味わうのだ。というのは、そのエッセンス、大槻説によればこうであるという引用情報は、今言った『日国』にも出ているのだが、それは要約、凝縮されている。その説ではこうだと。そうではなく、なぜそうであるかということを、そこを大槻文彦は書いているわけだ。そこが読んでいて面白い。大槻文彦の言葉、発している発露がわかる。

 それは、大槻文彦に限らない。吉田東伍の『大日本地名辞書』もそうだ。今こんな分厚い県別の『角川日本地名大辞典』や『平凡社日本歴史地名大系』が出ている。それにもかかわらず、吉田東伍の『大日本日本地名辞書』は、いまだに名著として残っている。

 吉田東伍が山形県に行ったら思いがけない地名があった、その言葉と葛藤していく過程が滋味になって、行間にこぼれ出ているのが読み取れる。書き手の固有名詞との緊張関係に情報価値があるのにもかかわらず、辞書とか情報を写した作品になると、それらは全部捨象される。誰が書いても同じになれば正しいとなるわけで。それとは違う世界で活字文化が華開いたわけだから、そこから固有名詞が消え去ってくると成り立たない。

 極端に言えば、『大日本地名辞書』も角川の『地名大辞典』も要らない。たとえば○○という地名、これを引こうと思ったらネットの検索サイトで拾い、これは青森と高知にありました。長野ではここに三カ所、とわかる。論文は無理でも、学生のレポートくらいなら充分すむだろう。しかし機械も辞典もない時代に、吉田東伍先生があらゆる資料を集め、あちこち足を運んで必死になって情報を集めた、その格闘が紙面に見える。それが魅力なんだよ。

 今は逆に、そんなものは関係ないという理屈になっている。それは要らない。それは純粋論理で正しいことなのだという誤った考え方がむしろ今は普通になっている。だから、言葉は人格と関係ないんだ、と。そんなわけがあるはずはないじゃないか。それは、本として売られれば、個人から離れて、印税にしか過ぎないかもしれない。だけど、どこかにそれがあるだろうという、それが結局知識人像だ。知識人の姿が、固有名詞で自分の個人性がそこに刻まれてくる。

 そうすると、逆に今後、知識人像をつくり上げていく、あるいは、知識人たらんとするのは、ものすごく難しいことになってくるんだよ。

 昔なら、近所で竹棒を振り、スズメを捕って遊んでいたガキが、このままではおれは田舎のはな垂れで終わってしまう。これではいけないと思って、尋常小学校六年のとき親に、「父ちゃん、おれ、中学というところへ行ってみたいよ」と言う。親は、しかたないから勉強しろと言って、中学に入り勉強しました、と。図書館で、藤村読んだら感動したとか。そういう感じで行く。

 今なら、何の素養もない小学校四年生ぐらいで親に「四谷大塚(進学塾)へ行け」と言われ、最初からAは三とか、Bは一とか線で結ぶ。それをやっていると、自分の中で、知識人像って生まれにくい。

 困ったことに、四谷大塚の方が学校よりなじめる。そういう子供を見ていると、学校に帰属意識を持てない。数が多いし、気持ちはわからなくもないんだけど。塾が母校みたいになる。以前、予備校がそうだという話があったが、学校へ行くという言葉は、聞いていると彼らの中で決していい言葉ではなく、どうも塾へ行く方が楽しいらしい。

 予備校に関しては、また少し別の考えがあって、以前、河合塾がいろんな試みをやっていた。今から十五、六年前、河合塾牧野剛と付き合いがあった。言っていることはおかしいが、私は決して嫌いじゃなかった。教育の場合、基本は見識よりも情熱だから、往年の日教組の熱血教師と同じことなんだよ。たとえばグレそうになった生徒を励ますのも、日教組の教師だ。体制的な教師は、あんな生徒は早く退学させた方が学校のためだと考えるが、そこで「一人でも救わなきゃいけない」と、生徒にいろいろ聞いてみる。別に資本主義の矛盾でも何でもない、ただの家庭内不和だけど、「お母さんの気持ちもわかってやれよ」「この本読んでみろよ」と立ち直らせたりする。駄目になりそうなやつを、職務を離れても支えてやる、その多くは日教組の教師だった。

 それが、私ら団塊全共闘で、正規の道からドロップアウトしてしまった牧野みたいな人間が、知識人では食っていけないから、予備校へ流れ込んでいった。そこでやつらは予備校生をあおる。あおった内容はいろいろで、どうかというものも多いが、河合塾の連中だと、吉本や柄谷行人(文芸評論家・思想家 一九四一│)の本を紹介して推薦したり、とにかく青年たちに○か×かとか、Aと一を結ぶ技術とは違う世界があることを教えていたんだよ。

 もう一つには、受験という枷があった。受講者は全員、大学に受かるため必死で学ぶわけだ。当時、日本で一番知的な年代層は予備校生だと、よく言われたし、今もそうかもしれない。これは当然で、高校までの勉強を七十パーセントしかしていない生徒が、予備校では八十パーセントなり九十パーセントに上げる。高校の勉強を百パーセントやれば、日本で最高の知識人になれる。なぜなら日本史、世界史、現代国語、漢文、数学、物理と全部やるからだ。もし点数競争で十科目なら、千点取ればそれは日本で最高の知識人だというわけだ。しかも教師たちが、成績のいいやつには「勉強は基本でやっておけよ」と、授業を漫談に充てる。「おまえら、学校の勉強をやるのも大切だが、大学に行ったらどうする。こういう芝居は今観ておけ」とあおったんだよね。

 今では大学そのものの間口は広くなりすぎて予備校が駄目になっているから、予備校もそれをやる余裕がない。団塊には、そういう熱血予備校講師たちがいる一方で、金ピカ先生というのがいた。これは予備校で「東大へ行って、偉くなれば金がもうかる。おれみたいにプラダの時計をしてみろ!」と煽る講師で、どちらを選ぶのかも、子供たちの人生観の選択だったのだ。それがだいたい八五、六年頃、今から二十年ぐらい前、バブル経済前後だ。それさえ今はいないようだけどさ。



● 詰め込み式受験勉強

 詰め込み式受験勉強に対する批判は、私たちの頃からあったよ。たとえばプリントを配布して、左に「石川啄木夏目漱石森鴎外」と作家名、右には作品名が列挙されていて、それらを線で結ばせるようなものだよね。『蟹工船』の作者を記せとか、選択肢の中から選ぶ問題とか。そういう問題に対する答え方というのは訓練次第でできるんだよ。実際、今だと四谷大塚の小学生コースの段階からそういうことをやってるわけで、小学校の六年生にでもなれば名前を見ただけで『蟹工船』=小林多喜二、と線を結べるようになるだろうけど、でも、それは単なる反射神経の育成にしかならないよね。

 また小さいときからパソコンを使うから、インターネットの検索でファイルにアクセスすることは非常に得意で、ファイルの中身は見なくても、線を引くのと同じ感覚で情報を得たという感覚になってしまう。

 これはまずいのではないか。かつては、たとえば小学校六年で『蟹工船』を読んでも何もわからない、何か難しいことが書いてあるなと投げてしまうが、二十歳になって読んでみたら、あ、面白いではないかと思ったとか、やはりつまらなかったとか、自分がそういう対決をして、自分の中にそれを構築していかなければいけない。それが知識人の像だったんだよ。

 子供は無知でも仕方がない。成長に伴って、自分にとってどうかという判断をその場その場でしていって、その積み重ねで、人間像ができていくんだしさ。各人、情報の質も量も違うから百人百様の像が出来る。その意味では、情報が民主主義になって、全部等価になっている。それはネットと同じ、全部等価の社会、平準化社会になっている。それがクリエイティビティの水源に深刻な打撃を与えることに、いずれなるだろう。しかし私は、この五年、十年では影響がないと思う。日本の場合はアメリカと違って、資本主義がまだアメリカに比べれば甘いから、このビジネスが儲かればいいというカネ儲けの原理で何とかなると思う。

 金の力というのは、意外とばかにできない、金をつぎ込むと言えば、金をばらまけばみんな来ると思う、取りあえず。しかしそれは三十年たつと駄目だろう。つまり収奪農業と同じで、荒らしちゃうから根絶やしになって、次へ移れない。だけど、三十年は、取りあえず焼き続ければ、次にパイナップルができる。でも、未だそのツケはまわってはいない。だから未だに焼き畑農業をやっている連中がいて、出版界なんかにはほんとにそれが顕著だと思うよ。



●大人になれない子供たち――児童文学

 独り暮らしが可能になったシステムも、一般化したのは団塊の世代からで、その後ずっとベルトコンベアーのように進み続けている。今の若い人だってその上に乗って暮らしているわけだ。それはこの団塊論の大テーマ「そこからターミノロジーは変わっていない」と同じこと。

 「大人=気持ち悪い」を最初に言いだしたのも団塊だよ。それも完全に同じパラダイムで、「Don't trust any one over 30. 大人(三十歳以上)を無条件に信ずるな」。「無条件に」は「信ずる」じゃなくて、「な」の方にかかる。絶対に信じちゃいけない、ということを言いだしたのは団塊で、六七、八年頃か。アメリカから入ってきたスローガンで、ヒッピーなどの系統だ。

 その英語のキーワードが、今に至るまで残っていて、しかも大人というとき、当時は三十以上だった。今はもう変わってきているだろう。今は三十ってまだ子供みたいなものだ。

 その感覚自体もやはり女につながってくると思う。少し違うか。今のところ、違うな。いずれにしても大人を信じちゃいけないと言われて、私はもう全共闘の頃から、そういう考えに違和感を持っていた。私は、子供の頃、大人の方が好きだった。子供であることが嫌で、早く年寄りに見られたかった。

 別に子供に対して、深い思い入れもないが、六○年代後半、今ちょうど版権切れで問題になっている『星の王子さま』辺りとの絡みで、よく聞く「少年のような瞳、無垢な美しい心」とかが出てきた気がする。サン・テグジュペリをどう評価するかは、フランス文学の中で考えるべき、一つの課題だ。

 サン・テグジュペリを、私は中学時代に読んだ。最初に読んだのは『夜間飛行』(一九三一)、そして『戦う操縦士』(一九四二)で、『星の王子さま』ではない。新潮文庫だった。リリシズムのある格好よさみたいな、詩のような感じで読んでいた。六○、六一年頃の話だ。そのうち同じ人が『星の王子さま』(一九四三)を書いているのを知り、読んだのが大学時代、二十歳か二二の頃。『星の王子さま』は最晩年にアメリカで書かれたが、日本で翻訳されたのは、今版権がどうのこうのって言っているから、そのころだろう。


 当時だと、多少早熟な子供はアルベール・カミュサルトル、そういうのを読む。実存主義が入っているから、ドイツだったらヤスパース哲学書とか。それにあの頃は、ハンガリー実存主義から生まれたルカーチとか、今の学生は読まないが、でも、今もまだ専門家のために本が出ていると思う。そして、とにかくその流れの中で読むわけだ。新潮文庫の目録などでフランス文学のくくりに目を通し、現代作家として読むべくして読んだんだよ。

 しかし日本で『星の王子さま』は、作者のある一部門が異様に肥大した、別の読まれ方で定着してしまった。サン・テグジュペリの異色作とは言えないし、実際『星の王子さま』の中にも「子供のような心が」とか「人はみんな最初少年だった」というような文句はあるが、その部分だけが、拡大されて読まれている。児童文学の作家とさえ思われている。

 児童文学には、戦前戦後を通して、また別の流れがある。日本の場合、生活綴り方運動があって、自分の足元を見つめ直しましょうという、自然主義的な発想がある。その後、『にあんちゃん』(安本末子)などの系統に流れていくが、あれは、児童文学ともまた違う。明治末から大正以来の、たとえば小川未明とか「赤い鳥」の、そっちが伏流水になって上がってきた。子供の童心主義が曲折を経て、そこにつながる。


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 赤い鳥でも先頭を切ってやった人たちは、それなりの覚悟があった。つまり当時は、それこそ徒弟制度で、子供は十五、六になれば職人になるような日常に、突然夢みたいな話が出てきて、「子供はいつも夢を見ながら生きている」、「無垢な犬の中に生命がある」という本が出る。しかし実社会は、犬殺しもいて、犬の生命は飯のタネでもある。それを「すべてのものに小さな慈しみを持って」と、金子みすゞ(詩人/一九○三│一九三三)のような作家が声を上げる。金子みすゞを、みんな今になって素晴らしいと言うが、実際若くして自殺しているわけで、原因はほかにあるのだが、つまり辛いのだ。彼女も先頭切ってやって来たのだし。それを「金子みすゞの本を読んで癒やされました」ではない。癒やしている方は、それは百倍辛い。

 児童文学は、戦後また変な伸び方をして松谷みよ子(一九二六年)の民話運動などに絡んだりもするが、とにかくここで、いわば子供・少年純粋主義が生まれてくる。生まれてきて、しかも強調され、増大する。それが、あの頃のヒッピー文化、また団塊文学になって、たとえば「戦争を知らない子どもたち」という歌ができる。みんな大合唱していたが、私は、あんな屈辱的な歌はないと苦々しく思っていた。

 だいたい戦争を知らないことが、なぜ偉いのか? 自慢になるのか? 自分で戦争を知り、敵を憎んで殺すか、または軍人に対して平和を唱えるか、この二つしか選択肢はないはずだ、それでこそ大人だと思っていたから「戦争と戦いました」、あるいは「戦争に行きました」は、これはどちらも自慢になる。しかし「知らない」ということが自慢になるか。しかも「僕らは子どもたちだ」って、当時二十七、八歳で、恥ずかしくないのかと思っていた。

 彼らは「きれいな子供」と「汚れた大人」という線を引き、自分たちを子供の側に置いたわけだ。しかし私は、大人が正しいと思った。

 当時、野坂昭如も、フォークの歌詞はひどいと怒っていたが、野坂は、焼夷弾が落ちてくる中を逃げまどい、妹の持っていたお菓子を取り上げて、それで餓死させたという状況まで知っているから「何が子どもたちだよ、知らないって何だ、それですむのか」はあるだろう。

「団塊の世代」と「全共闘」㉗ ――吉本隆明ブランドのご威光

第四章 同時代の知の巨人たち、もしくは知のはぐれものたち

● 吉本隆明

 吉本の影響力は、やっぱり絶大だったね。でも、その理由というのは、ものすごく単純なことで、要するに若者はヒーローを求めていた、そういうことだよ。

――それはまたわかりやすすぎるというか、身も蓋もない話ですね(笑)

 身も蓋もない話だけど、でも、やっぱりそうとしか思えない。要するに何でもいい、長嶋でも力道山でもいいから、国民的ヒーローが欲しかったんだよ。まあ、これは私も三、四十歳になってわかったことなんだけどね。そういう意味で、吉本もその当時、若者のヒーローだったんだよ。

 ちょうど今、私は産経で吉本の批判を書いているけど、信じられないことに、いまだに吉本の本は売れている。そりゃあ、昔に比べれば部数は落ちたけど、今は体が悪くてあまり書けないからかえって飢餓状態みたいなところがあるのか、ちょっとしたメモを引き延ばしたり、あるいは口頭でしゃべったものを出すだけで、やっぱり一万部くらいは売れるという。

――うわあ、いまどき一万部出る書き手って、それだけでもう希少価値ですよ。

 そうだよ。今のこの出版不況下で、めちゃくちゃな話だ。いまどき、なかなか一万部なんて本は売れない。でも、それが売れているんだよ。しかもそれを、これは私も友人も多いから具体名は出さないけど、団塊の世代の連中が喜んで褒める、ヨイショする。

――なんでしょうねえ、未だにそれですか。まあ、言葉つきからほめ方まで手にとるようにわかるような気もするんですが。でもそれって敢えて商売としてほめてるんですかね、それとも本気?

 本気だろう。もし商売として提灯つけているというのなら、むしろ褒めてやるよ。でも、彼らは本気で書評で提灯をつけている。今でも吉本の書くもの、しゃべることがいいと信じているんだ。つまり、そういうまさに信者のような吉本ファンの団塊の世代が、いまも吉本ブランドを支えているってことだよ。

――まあ、そういうブランドって意味では、立花隆もある種そういうところがありますけど、やっぱり吉本隆明の方がそういう時代性や世代性とからんだ根深さが、ちょっとケタ違いかも知れませんね。当人がそれをどう自覚してるのかどうか、そのへんわからないんで興味ありますが。


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 あれは一九八七年だったかな、「吉本隆明25時」というイベントがあったんだよ。弓立社という出版社がそのイベントを本にしているけど、その時、たまたま私も呼ばれて「吉本隆明はなぜ強いのか」というテーマで喋った。そのとき私は、本当は吉本批判をしようと思っていたんだ。でも、吉本は朝からイベントに出て、次の朝まで出っぱなしでやるのに対して、私は自分の番が、確か夜の十一時だったんだよね。相手が半日以上やって疲れているところへ、私は当時まだ四十歳くらいだったけど、自分より二十歳も年上の疲れたじいさんを正面から批判するというのはいかがなものか、と思ってさ。正直、私は吉本に心酔したことは一度もないから、まあ、客観評価を言って、批判の中身についてはにおわせる感じで終わったんだ。しかも、私のパートの持ち時間自体も、あとが押してます、と主催者側に言われて、そうしたんだけどさ。

――なんだか、極真空手の百人組み手みたいですね(苦笑)。マス・オーヤマ伝説と似てるなあ。

 いや、そんな感じだったよ。ただ、空手の百人組み手はかかっていく方も必死だけど、この場合はそうでもない。私の出番が十一時だから、自分の出番の二つほど前、八時か九時くらいに会場に行って様子を見ていたんだけど、やっぱり異様な感じがしたな。なぜかというと、まず、組み手で打ちかかっていく担当がしゃべり、次に三十分ぐらいそれに対して吉本が話すというスタイルなんだけど、脇から見ていると結局、相手が何かしゃべっているときは吉本はみんなと一緒にいるんだけど、たとえばストリップのコーナーになると、ささささっ、と前に行ってかぶりつきで観ていたりとか、そんな感じだったんだよね(笑)まあ、二十四時間ずっと真剣勝負ってわけでもないんだ、これが。

 

――そういうところを聞くと、一気にいいハナシになりますねえ(笑)吉本のジイさまにとっちゃ、単につきあってただけで、やりとりの中身なんざ実はどうでもよかったんじゃないかな。

 かも知れない。で、イベント自体は二十四時間ぶっ続けだから、基本的に無礼講で、途中で腹が減ったら飲み食いしてもいい、という了解があってさ。みんな、朝からやっているから疲れたな、とか言って勝手に寝転がったりしていて、主催者側の代表の三上治が出てくると、吉本もパンをかじったりしながら見ているわけだ。じゃ、次に今の問題について吉本さんは、と指名されると、ささささっ、と前に出ていって話す。そんな感じだったよ。

――吉本隆明に二十四時間つきあわせる、って発想そのものが時代を感じますね。おそらく、後の『朝まで生テレビ』なんかにも通じるものがある。田原総一朗にしても、そういう「徹底的に話し合う」的な幻想がある程度まで共有した体験があるんでしょうし。もっとも彼はテレビの場で明らかにそれをダシにして「ショウ」に仕立てたとは思いますが。

 もともと吉本は、何を話しているのかよくわからない人なんだけど、あの時も突然オーバーヘッドプロジェクタで何か映像を写し出して、HF何とかという、五年後に発病するか、六十年後に発病するかわからない白血病の因子がある、白血球の因子を何とかかんとか、とか言い始めた。「何だ、この人の話は」と、みんなよくわからないながら吉本がしゃべってるんだから食い入るように見て聞いている。その因子が西日本にはこれぐらい、何パーセントぐらいいて、東日本が逆に少なくて、これがパーセンテージをこう考えると、こちらの方にもともとあった集団がだんだん東の方に移っていったのがわかる、というようなことを延々としゃべってた。で、ずっと聞いていると、要するに日本人は大陸から来たのが九州に入って東の方に行った、という話なんだよね。それが、話し始めて十五分たたないとわからなかった。

――ああ、つまり、日本人はどこから来たか、という、日本民族の起源の話だったんですか。当時、流行ってましたからねえ。

 そうなんだよ。でも、それなら最初に「日本人の起源はいろいろありますが」と言ったらいいだろ? 私は、大学の日本語文章教室で教えているとき、「まず、これから何を話すか要点を言いましょう」とよく言ってたんだけど、吉本の話はまさにその逆で、ほんとによくわからない。いつもだいたいそうらしいんだけどね。でも、それがまた一部の若者にはものすごくありがたく聞こえたものらしいんだ。まあ、そもそもお経と同じで、わからないからありがたいということなんだろうけどさ。

――その「わからないからありがたい」あるいは「カッコいい」ってパターンは、後の80年代のニューアカデミズムまで確実に尾を曳いてましたね。例の『構造と力』とか最たるもので。あたしの知り合いで、今もまだ大学の教員やってると思うんですけど、そいつが当時、ニューアカ全盛の頃に読んだその手の本――おそらく翻訳ものでクリステヴァとかラカンとかそういうんでしょうけど、それをあとになって読み返してみて、どうしてこれをオレは当時、わかったつもりでスラスラ読めてたんだろう、としみじみ言ってたのがいましたからね。訳文が悪文だったかも知れないことを割り引いても、その感覚はなんかわかるところがあります。つまり、ニューアカはつまり戦前の「福本イズム」みたいなもので、その意味で日本浪漫派なんかにも通じてゆく、明治の初期に意味なく漢語をありがたがった頃からのニッポン近代のインテリに骨がらみなコトバのビョーキ、というのがあたしの持論ですが、そういう近代百年になんなんとしてきた「わからないからありがたい」を発症するコトバのビョーキが、少なくとも90年代以降、オウムの一件くらいを境にみるみる棚落ちしていったのは、とりあえず健康なことだったかも、と思ってます。


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 当時吉本をそういう具合に信仰していた若者は、自分たちは前の世代と断絶があって、大人が嫌いだ、って言っているくせに、やはりそういう大人をヒーローとして求めていた、ってことだよ。そういう類のインテリにとってのヒーローの人材というのは、戦後に限っても何人かいたけど、中でもやっぱり吉本は特別だったな。

――その呉智英さんが吉本隆明を評価するポイント、ってのは、端的に言ってどのへんですか?

 それまでの、旧来の共産党の一元支配に対して闘いを挑んだ、このことだね。当時、共産党に盾突き、批判するということは出来なかったんだよ。特に党の自慢は「おれたちは十八年、不転向でやってきた」ということで、実際、そういう人はほかにいなかったから言われても反論できない。監獄に入っても、十八年どころか三カ月だけいて、拷問され、利権をちらつかされて、みんなへたって出てきてたわけだで、その意味じゃどこかでスネに傷を持っている。それを「十八年いたじゃないか、宮本先生は、同志ナガタは!」とやられると、これは誰も言い返せなくなる。それに対して「おれは五年いた」、「八年いた」と言っても、「でも、十八年はいないだろう」と言われりゃ、そりゃもう黙って引き下がるしかない。「獄中十八年」という葵の印籠はそれは強烈な効き目があったんだよ。 でも、それを吉本は「十八年もいたから悪い」と言った。それがどうした、文句があるか、だよね(笑)

――まさに桂春団治(笑)「代々木、サヨしぐれ」ですか。

 そんなもんだ。で、そこまで言われると、今度はなかなか言い返せないんだよな、これが。

 しかし吉本は、ここで言語のアクロバットを使っている。私はその点を批判したんだ。つまり、前述したように、転向という問題を客観的に分析することは、当時、共産党のイメージがあまりにも強くて誰もできないので、言論界はごく一部の非転向と、その他の膨大な軟弱腰砕け知識人、という構図におさめようとしていた。で、それ以外は、保守系の実務家、つまり東大を出て官僚になる人、地方で頑張って自民党の議員になる人。そういう人しかいなかったんだよ。

 だから、知識人の役割が、社会に対する監視と意義申し立てだと考えるならば、その人たちは基本的に共産党の一元支配下に置かれることになる。これはもう逃れようのない時代の構造だったわけだ。

――でしょうね。思想とか論壇とか言っても、要はその「実務家」系の認識や世界観、言説みたいなものをあらかじめ排除したところで成り立っていた、ってことですよね。少なくとも「戦後」の言語空間でそれらが成立してきた経緯や来歴を考えると、まずそういう構造自体をカッコにくくる視線がないと、いまどきもう全く役に立たないわけで。それは個人の思想信条がどんなものか以前に、いまのこの状況でいくらかでもものを考えようとする時に基本的に共有されるべき認識、だとずっと思ってるんですが、でもどういうわけがそうでもないままズルズルきてる、って感じです。サヨク/ウヨク図式にだけ落とし込まれるのが関の山だったりしますし。

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1
*2

●教養願望とオタク的情報量の集積

――でも今、浅田彰宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。

 それは、教養になり得ていないんだよ。

――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほんっっとにクソ、ですよ。


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 多分そうだと思う(笑)

――でもね、それでも浅田彰あたりはモードとしては、まだそういう古い知識人を引きずってる方なんですよ。それをもっと劣化させて朽ちさせると東浩紀になるんだけど。

 だからそのへんがきっと微妙なところなんだが、それは単におたく的な知識の総体であって、教養ではないんだよ。

――教養になりえない。いかに情報量があって処理できていても、教養というには自意識との絡み方が違う、おそらくそこなんですよ、問題は。あくまでも情報だけで、自分の生とか経験と結びつけたものになるかっていうと、ならないんだ。情報は、誰からもアクセスできるサーバとして別に置いてあるけど、それは決して自分のものじゃない。そこに特技としてアクセスすればいいだけ、と。

 そう。そこの世代的な違いがね、多分八○年代くらいからあるんだと思う。でも、それは必ずしも六○年代後半の問題ではないと思うけれどね。

――団塊の世代とそれ以降のターミノロジーが一緒じゃないか、って呉さんが言うのは、全くそう思うんですが、ただ、そのことに同時に違和感があるとしたら、その違和感をうまく自前で表出できないから今みたいな俗流団塊批判にいくんだよなあ、と思うところもあるんですよ、端から見てて。

 それは半分くらい、あっているような気がする。ただやっぱり半分であって、団塊よりももっと後まで続いているからそうじゃない、みたいなところもあるよ。多分七○年代に青春期を送ったやつにもまだあると思う。おそらく、もう少し後の世代までそういうのは続いている。

――確かに、幅はありますよね。まあ、あたしゃたまたま両方の世代が見渡せるところにいちゃってたみたいだからそのへん、かなりアンビバレンツですが。でも、それこそさっきの例でいけば、東浩紀たちには、もうわからないはずですよ。

 しかし、団塊批判をして溜飲を下げているのは、世代的には大月君の前後だよ。その頃まだフラグメントになった情報を、自分のバッグに入れて得意がって運搬しているようなやつはいなかった。そういうやつは、もっと下の世代だもの。

――自分ごととして言わせてもらえば、あたしらの頃、そういう連中が少しずつ出始めてたんですよ。でも、それはまだカルチャーエリートだったんですよね。たとえば唐沢俊一であり、岡田斗司夫なんかが典型で、まさにオタキングなわけです。外目には変なやつだけど、自分では確かにエリート意識を持っていた。その限りで教養みたいな意識はどこかであったんだと思うんですよね。


 ついこの間、岡田がどこかで号泣してた、って聞いたんですよ。どこかのイベントで「オタクは死んだ」と泣いた、って話。当人に確認はしてないけど、その話を若い衆なんかから耳にして、どういう脈絡だったのか聞いてみると、要は「エリートとしてのオタクは、もういないんだ」ってことを改めて認識したらしい。でも、そんなの当たり前じゃないかと思うんだけど、彼にしたらおそらく、それまでの世代の教養を知的エリートが担っていたように、正にある種の前衛意識を持っていたんだろうと思うですよ、そういうとんがったオタクの第一世代ですからね。でもその後、オタクもどんどん大衆化していったから、そんなことも言っていられなくなる。そのサイクルがわずか二十年で起こっちゃってる、ってことなんだろうなあ、と。



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 ああ、だろうなあ、中森明夫なんか全くそうだな。彼はわりと古いメンタリティを持っているよね。かつては新人類とか言われて喜んでいたけれど、よく考えてみるとかなり古い教養願望があった。


――そういうの引きずってますね、新人類というのは。意識してたかどうかは別に、ですが。世代的にはあたしくらいで変わらないけど、でも、あたし自身、現役で大学入ってることもあって、実世代的にはかなり上と親交している部分があって、浅羽通明なんかもそうだけど、まだそれ以前の教養カルチャーの尻尾がはっきり残っている。そのことは当時から自覚してましたね。ほんとうはあたしらの世代だと、福田和也みたいになるわけですよ。けれども、そこにもまた亀裂が生じていて、あたしゃ福田を最初に見た時なんか、ああ、そうか、知識・情報と自分との関係の付け方のこれだけ平然と違うやつが出てきた、と思いましたね。

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 だけど福田は、最近、断片化した量だけがたくさんある知識や情報もいいけれど、やっぱり古典と格闘するのは必要だって言ってるよ。自分ではセリーヌなんかと格闘している、と。意識はあるようだけど。

――言うだけなら言えますよ。でも「自分でやってるのか、今?」ってことですけどね。


 前から言ってるじゃないですか。山口昌男中沢新一に騙され、鶴見俊輔大塚英志に騙され、江藤淳福田和也に……と、その「構造」は基本的に全部一緒なんですよ。そこの落差を、見えていても大したものだと思わないがゆえに騙されるわけで。それは思えばオウムの時も一緒だった。



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 たしかに本は読んでる。けど、教養という地図があるとして、福田の立場で当然これは読んでるだろうというのを読んでいなかったりするんですよ。僕から見れば、アメリカのカルチュラル・スタディやってる若い連中と同じ世界観なんです。今、ネットがあるから、アメリカあたりの若い世代の院生なんかでも、こっちの日本語で書かれてきたとんでもないものを読んでる。それこそ、僕の大学院時代に書いたようなものまで読んでて、うわぁ、こいつらいったい何をどう読んでるんだ、と思ったんですけど。

 ネットで卒論を引っ張るの?

 引っ張れます。でも裾野があるじゃないですか、フリンジの部分が。それはやっぱりそこにいなければわからないもので、そこが文化だと思うんだ。たとえば福田は、保田與重郎にはくわしい、だけどそれは復刻したからだろうって話ですよ。ぐろりあ・そさえてが保田與重郎を集めてた頃は、手間も時間もかかったけど、そういうことをしないですんで、復刻版が出たからポコッとやったんだろうって。


 西部邁さんに対してもそういう感じ、あるんです。西部さんというのは早すぎるポストモダンだと僕はずっと思っていて、ある時期長く沈んでいて、蓄積はすごいですよ。しかし当然これは読んでるだろうという本を読んでいない、橋川文三は読んでないだろうし、柳田國男は「読んでないよ」って正直に言っていた。それが、読書傾向の片寄りっていう程度ではなくて、この抜け落ち方の落差っていうのはむしろ福田和也と似ている。だからこの二人、通じたのかな、と思った。


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 そこの違和感は、僕には根源的です。つまり、たしかに団塊の作り上げた生活的なカルチャーの中で、僕たちもその連続体の中にいる、それは呉智英さんの言う、まったくその通り。でも、そこにいながら違和もあるから、なんか文句言うやつもでてくるわけで。そこの違いっていうのはそれこそオウムとかの問題に戻っていくんだけれど、なにか自意識のあり様なんですよね、もう構成のされ方が違っている。


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 たしかにね、断片的な知識をそのままたずねただけで、階層が作られていないんじゃないかな。知の階層が作られていないから不安定だ。

 そう、整理されてないでしょう。


●知識の絵図面の設計思想

 俺たちの中だったら、たとえば社会学やるなら、誰の説も誰の説も誰の説もじゃなくて、自分はウェーバーならウェーバーをやると決める。それに対してちょっと違う視点からマルクス社会学的に読んでみると、いいこと言っている。ジンメルもこれでいいんじゃないか、となる。するとマンハイムはこの辺りだな、と位置がわかってくる。

 何となくズレはあるけれど大体こういうものだっていう共通認識は、みんな持ってて、だから話ができて、議論もできてきた。しかし福田を見た時、まったく違うものが来たって思ったんですよ。なのに、上の世代がこれを評価する。なんでこのズレがわからんのだろう、っていうのがずっとあった。

 ただ、俺はそうはとらなかったな。俺は最初に『奇妙な廃墟』を読んで、コラボ(コラボラトゥール)研究をやってるわけだから、コラボを研究するっていうのは、彼自身になにか内的な基軸があって、それに合わせてやってるのかなと思った。

 うーん、自分に近いせいで余計見えていないのかな。それは僕も斟酌するけれど、でも福田だけじゃなく、近いのがいっぱいいる、宮崎哲弥なんかもそうなんですよ。本は読んでるけど脈絡がない。

 宮崎君の場合は、やっぱり幼い頃の体験があってね、家庭がどうのこうのってあって。

 言うよね、ホントかうそか知らないけど、言いたがりますよね、家庭が、って。

 それと彼は、自分は文学はわからないって、これはわりと正直に言っている。

 正直というか、ある種、政治的ともいえますが。


 まあ、俺たちの場合は文学がわからないって言うのは通じなかったんだよね。それを言うのは禁じ手だった。

 もう人間じゃないって感じですよね、当時は(笑)。

 いや、そこまでは言わないが(笑)。だから、文学、なんでもいいんだよ。自分が好きな、永井荷風でもいいし三島でも。それがわかった上に図面が書けるから、それを相手と照らし合わせた上で、その差異をどう考えるかと議論していった。

 その地図を共有していないのが、下に膨大に出てきた。

 たしかにそうだと思う。今の二十代、三十代だと、頭の中にそういう知識の絵図面ができていないんだよね。

 こっちから見てもできてない。あいつら側にあるのかもしれないんだけれど。

 それは、彼らの中でその必然性がない時代になっているような気がする。

 そう思います。必要がないからやらない。困ればやりますよ、人間。

 俺たちの場合、自分なりにたとえばマルクスを基本の重心とする配置を作って、自分はそれに対してバランスを持ったウェイトをおき、自分の人生観を作って、社会に出るなり世界を見分けたりした。今の場合は学生たちが、これも良い面悪い面あるんだけれど、真面目になっているというか、よく授業も受けて。そのままいけば普通に就職もできるわけで、自分の中で新たな社会を見るための見取り図、チャートを作る必然性があまりないでしょう。だから知的エネルギーはオタク的にトリビアなものに集中していっちゃうんじゃないの。

 量の集積はしていますよ、たしかに。今こういう時代だし、できるから。でもほんとに合切袋に詰め込んだだけ。こっちから見てると、どう引っ張りだすんだろう、って。でもって修養になってない、昔ながらの教養、修養、自我の陶冶になってない……ものすごい言葉が出てきちゃったけど、そういう意味では、全然成長のモメントがないわけです。まあ、かわいそうといえばかわいそうです、あれだけの情報が入ってきていて、じゃあ丸山眞男まで辿り着けっていったら大変だもの。

 だから、丸山眞男を一つのアイテムって形で、たとえば政治思想史をやれといわれれば彼らはやると思うよ。その中で、でも自分なりのモチベーション、必然性と結びつけた時に、重心の置き方が各人いろいろ違ってくるわけでしょう。ウェーバーがいい人、マルクスがいい人、それぞれ自分なりに絵図面を書いて、自分はこういうのを書きましたと出せるだろうけど、先生がじゃあ丸山を読めっていった時、そこに丸山がランダムに配置されるだけで、自分なりに配置をする設計思想ってのが出てきてない。


 遠近感がない。いつまで経っても浮遊した断片がいっぱいあって、それを袋に入れて運搬しているだけ。何となく好きだってのはもちろんあるんですよ。でもそれ以上にならない。好きが構造化されないからリニアな形にならないし。

 ひとつ、外的にはインターネットで情報を入手しているということがあると思う。よく言われているように、新聞とか書籍と違って、情報が全部、等価に一アクセス、一結果にしかならない。

 もう一つは、若者たちが人との深い接触を嫌がる。自分自身が傷つきたくない、ということ。一つの構造を持った世界観を自分で作るのは大変しんどいし、自分をみつめ直すことだし、人と接触してその中で自分が絵図面を提起して相手の絵図面と照らし合わせて、さらに高次な絵図面を作っていく作業は、相手にかなり踏み込まなきゃいけない。

 で、相手から叩かれます。作らなければ叩かれない。だから表明しない。

 その通りなんだ。で、そのまま大学四年間やれば一応出席は、そのエネルギーは出席の方にいってるわけだから、適当にいい会社に就職できてしまう。

*1:挿入気味に言うておかねば勘違いされそうなので。この一連のエントリー、2006年頃の未成の仕事の草稿だったもの、為念。

*2:あ、聞き書きというか、話し手の主体は呉智英夫子でありますので、そのへんも。